ひと臼目
今年のお餅つきは大人4人、子供2人。口周りや手を粉で真っ白にして出来上がりました。お米を一晩水につけておき、セイロで蒸して、その後餅つき機で。合計3臼。
ひと臼目すぐの出来上がりを皆で頬ばると、口周りの白さの広がりと共にお腹の満足感の広がりに「ニンマリ」となりました。
ひと臼目
今年のお餅つきは大人4人、子供2人。口周りや手を粉で真っ白にして出来上がりました。お米を一晩水につけておき、セイロで蒸して、その後餅つき機で。合計3臼。
ひと臼目すぐの出来上がりを皆で頬ばると、口周りの白さの広がりと共にお腹の満足感の広がりに「ニンマリ」となりました。
麦踏み
もうすぐ新しい年を迎える。年末からお正月には色々な行事がある。初詣もお餅つきもその一つだ。
この時季に、子供が孫たちを連れて、今年も帰れると言う。東京に住んでいる孫たちは長女が来年5才になる。喜んで一緒に帰るのはいくつまでだろうか。
お爺ちゃんは、故郷と一緒に思い出す楽しいこと作りをと思いをめぐらせる。今年は麦踏みもその一つにできそうだ。小さな足に長靴をはいて歩く姿が目に浮かぶ。次女は3才、こちらは手を繋いでリードをして踏ませよう。姉を真似して後を追う、幾畝かは踏むだろう。麦踏みは分闕(ぶんけつ)を促すために行う。役立つ手伝いでもある。
麦畑には写真機とパンとを準備して。ひと段落したら腹ごしらえだ。
ことば
テレビドラマの主役が「私は小賢しい」と発言しうつむく。「小賢しい」とは利口ぶって、生意気だとの意味だ(goo国語辞書)。この言葉を耳にして思わず意識が集中した。
自分の発言が「小賢しい」と感じることが私にもあり、この感覚を持つ人がいることに安心もできた。二人で、野菜づくりの畑を猪がミミズを求めて荒らす会話していた。どのように防ぐか。相手から「私は柵の外に、魚釣りのスジ糸を足元付近に張った。この糸の効果か、ここ数日荒らされない」と。「そうですか。そんな糸で効果があるのですか。費用の面でも良さそうだし、良いですね。」
会話は、相手と自分とのことば数のバランスも大切だと感じている。一方のみが多くを話して終わるのは「良くはない」と。話が弾み広がることが好ましい状態だと。そんな事を思っているせいか、上記のようにいらぬ「費用の面でも」と加えてしまう。
この「小賢しい」は「目下の相手に使われる」と言う。会話では、使いたくも使われたくもない。しかし自分へは投げかけて反省したいものだ。そうすれば、会話にあたたかさが生まれそうだ。
真田丸
先日最終回を迎えた「真田丸」。私にとって今年を楽しいものにさせてくれた。真田の豊臣や上杉、徳川との付合い方。そして兄弟が徳川と豊臣に別れても、いかにして正面からの激突を避けるかを工夫する。そのような策士の成功を見て、困難さが大きいほど切り抜け時には、より爽快さを感じた。
さて、豊臣と徳川の最後の戦い「大阪夏の陣」、前の戦いにおいて負けなかった豊臣方は真田幸村や後藤又兵衛らを中心にまとまりがあった。一方徳川方は、この1614年には、世代交代をし、数では大きく上回っていたが経験不足の集団も多かった。そんな徳川方の軍議の折の、本田正信の発言には家康は頷き、秀忠は感服の様子が窺えた。
「後藤又兵衛に調略の使いを送ろう」「受け入れなくてもよい。使いが戻って来たら、すぐに『受け入れた』との噂を流す。又兵衛は打ち消そうとして気持ちが逸る。それはまとまりの乱れを生む。自滅につながる。」
秀忠たちへの教え、も正信にはあったのだろう。どの程度の効果があったかは判らないが、又兵衛の軍は最初に崩れた。調略であり、謀略でもあった。負けない楔を打ったと言えそうだ。
選択
「だまって過ぎても3日、懸命に過ごしても同じ3日や」朝の連ドラ「ベッピンサン」で使われた。その後、キアリスでは急いで品物を揃えて陳列する。売上高は目標を大きく上回った。
売れ行きが良くて、品切れに。陳列棚を減して品数に棚を合わせようとした。デパートの社長が見ていて、アドバイスをくれた。この言葉により懸命になれた。
定年を迎えて後、2年がすでに過ぎようとしている。何気なく生きても、目標を持って生きても、同じ人生である。私も連ドラと同じく、後者を選択したい。ブッダの次の言葉を思い出している。死後を訊ねる人に対して、死後を考えるより、短い人生だから先ずは最も重要なことから手をつけなさい(仏教超入門 白取春彦より)と。「一生懸命に生きなさい」の意味と理解している。
電飾写真(山口市)
「開戦は避けるべきだとの認識」は指導者たちの間に広くあったという。(12月8日新聞天声人語)しかしそれを自らの責任で発言せず空気に流された。そして破滅的結果へと進む。――。なぜ発言せずに、なぜ空気に流されたのだろう。
山本五十六・連合艦隊司令長官は「是非やれといはれれば初め半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら二年三年となれば全く確信は持てぬ」と語った。また日米の生産力の差も明らかだったという。私なりにその「なぜ」を考えてみたい。
先ず、なぜ開戦は避けるべきだと発言しなかったのか。陸軍は中国とすでに数年戦い続けていた。アメリカはその中国へ武器など応援しており、戦争の終わりが見えない。またガソリンの輸入ができなく変わり、先行きは「負け」となる。この負けを避けるため。
次になぜ空気に流されたのか。日本は明治以降の戦争には「勝利」経験のみ。また国内は統制された日本優位情報ばかりが存在。国民は中国を応援するアメリカを叩き早く戦争を終わらせたいと考えた。その時の国民は開戦を肯定。開戦への空気の流れは大きく、個人では努力しても方向変更へ導けないと判断したため。
まとめると、「負け」を避けるため、そして開戦肯定の空気の流れが大き過ぎたため、となる。さて破滅的結果を避けるために、指導者たちはどのタイミングにどう行動すべきだったのか。まだ共有された認識はないようだ。しっかり考え、その結論を多くの人が共有しておくことは大切だと思うが。
愛情ある助け合いに
高齢者には見守りが必要だとよく聞く。そのための活動がなされているという。どんなことを行うのか。そしてそれはどんなことに役立つのか。理解を深めたい。
高齢者(65歳以上一人暮らし又は、75歳以上の人のみの世帯)の異変とは。新聞が数日分たまっている。数日間、雨戸がしまったまま。最近元気がない。ここ数日、姿を見かけない。会話がかみ合わなくなってきた。季節にそぐわない服装をしている。などとある。
そして見守りにより、高齢者の異変に早期に気づき、必要な支援につなげていくこと、ができると説明されている。さらに、見守り支えあう地域づくりや閉じこもりの防止、介護予防の推進を図りますと。(神戸市のホームページの拾い読み)
確かに、新聞のたまった状態などは気づき易い。異変が起こったことを知ることができる。「なるほど」である。しかし私にはまだ消化しきれない何かが残っている。ホームページが表現を柔らかくしているためだろう。
深読みをしてみると、効果について、目指すものは少し前進した「閉じこもり」や「孤立」を予防することであろう。この見守りは、江戸時代にあった檀家制に似ている。噂話の材料にせず、愛情ある助け合いになることを期待したい。
近所の山茶花
とても気持ちの良い挨拶に出会えた。こんなことはなかなか少ないだろうと思う。
少し狭い道を時間に追われながら車で通りかかった。すれ違う場所が見つけにくい畑のあぜ道、中央部分はアスファルト舗装がされている。相手の赤い車の運転手は女性。私の車は白だ。
車をゆっくり走らせて、すれ違いができそうな場所に止め道を譲った。ところが相手の車はバックを始め、そのうち道を譲って止まった。しかし通りぬけできそうにない。そこで、私は少し傾き加減にはなるが、あぜ側にさらに寄せた。それを見て、車はゆっくり近づいて来た。窓を開けて「ありがとうございます」。私もつられて「ありがとうございます」と口から。
迂闊謝りという相互がともに相手に感謝する仕草がある。車での状況もこれに該当する、日本の良き習慣だと思う。忙しい時間帯だったが、気持ちが温かくなった。そして「今日も良い1日だぞ」と感じられたときでもあった。
筑紫野市社会福祉協議会ホームページ
福祉委員の方と出会う機会があった。福祉委員と民生委員との役割の違いがわかり難い。どちらも地域の福祉ニーズを把握し関係機関へ連絡、見守り・支援活動への参加、福祉に関する情報の提供が主だ。
同じであれば、組織を分けずに統一して、住民数や所帯数により役割を果たす人数を配分すれば良い。どこかにメリットがあるため重複されているのだろう。そのように理解して違いを探す。しかしやはり「よくわからない」、これが結論だった。
その中でも、筑紫野市社会福祉協議会のホームページの関係図に、違いかなと思われるものが記述されていた(添付)。「調整する」の部分だ。はっきりと知りたいものだ。