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骨髄バンクのドナーは大切に扱われない(私の場合は)

2010年05月05日 | 心理療法ハッピーライフ
骨髄バンクのドナーは大切に扱われない(私の場合は)


2010年5月5日(水)
心理療法(認知行動療法、人生勉強療法)ハッピーライフ、矢野裕洋


5月2日に書きました、
『骨髄移植推進財団(骨髄バンク)でドナー(骨髄液提供)をされて後遺症に悩まれている方、情報交換をしたいです。ぜひご連絡を下さい。』
というブログを書きましたら勘違いをされているご意見も頂きました。

私は骨髄移植が更に広まる事を望んでおり、決して骨髄移植のドナーをした事を後悔しているのではありません。また、私が手記を発表する事でドナーになる事を躊躇する人たちが出てくる事を危惧して具体的な内容を今まで書きませんでした。

しかし、誤解されては私自身が困りますし、あくまでも私のケースという事で一部を公表する事に致しました。
(尚、手記の公表は骨髄バンク○○地区代表Sさんより真実だしリスクを公表する事はメリットがあると言われ了解を得ています。ただし、今回は正式な日時と個人名等は伏せさせて頂きます。)

11月某日 ○県のK病院に骨髄移植の件で初めて行き、血液検査を行い、数日後に骨髄バンクコーディネーターYさんより私にドナー決定との電話がありました。とても早い決定だとコーディネーターYさんは言っていました。
11月 家族と共にK病院に行き最終合意の書類に印鑑を押す。
(これ以降は先方の患者が移植の準備をする為にドナーを断れない。)
11月 K病院にて初めて尿検査をする。私もびっくりしたのですが潜血と蛋白が出ていました。この数値では骨髄採取が出来ないと主治医のN医師が言う。私が再度月曜日にK病院に来て再検査をしましょうか? と言うと、主治医のN医師は「車を運転するだけでも蛋白が出てしまうかもしれないから週末安静にして地元の近くの病院で尿検査をして下さい」と言う。(自宅からK病院まで車で1時間半から2時間掛かる)
12月某日 地元の病院にて尿検査を受ける。やはり潜血、蛋白が出ている。

12月 K病院腎臓内科を受診。エコーを受ける。先方の患者が移植準備に入っている為ドナー続行決定。
12月 輸血用採血(この日は400cc、合計800cc取りました) 骨髄液は900cc取ると聞く。

12月 K病院に入院 N主治医に塩分を控えた腎臓病食をお願いしていたのに普通食が出た。
(説明、K病院腎臓内科医師の診断は腎炎の疑い。腎臓内科医師より塩分を控えるようにとの指示があった為、既に自宅では塩分を控えた食事にしており、K病院でも塩分を控えた腎臓病食をN主治医に依頼していたのですが入院中はずっと普通食。ちなみにN主治医と腎臓内科医、コーディネーターYさんに私は小学生の時、急性の腎臓病になった話をしている。私自身、腎臓病の怖さを知っておりますので塩分を控えた食事を強く望んでいたのですが。N主治医はすっかり忘れていたそうです。)
翌日 全身麻酔による骨髄液採取手術
◎手術が行われる前まで全くの健康体。異常なし。
★手術直後、全身麻酔から醒め、病室に運ばれる途中、手術室を出る途中に、おそらく手術担当の看護師だと思うが「具合はどうですか?」と聞かれこの時点で尿管の強い痛みを訴えるが「しばらくすれば治ります」と言われただけ。
★病室に着いても痛みは治まらず、逆に強くなる。本当にこの痛みがなくなるのなら死んだ方が良いと本気で思ったほどの激痛。私の人生最大の痛みをカテーテルを抜くまで味わう。
◎看護師のHさんが激痛を訴える私に長時間付き添ってくれる。その過程でカテーテルが膀胱から抜けている事にHさんが気付きカテーテルを入れ直してくれる。入れ直す時、更に強い激痛が走ったがカテーテルを入れ直すと多少楽になる。(Hさんとは退院時に挨拶をしたが骨髄バンクYさんのいる前で思わずあの激痛が思い出され大泣をしてしまいました。Hさんや他の看護師さんたちは本当に良くしてくれました。心から感謝をしています。)
★午後3時頃一度だけ、N主治医が短い時間顔をだす。強い痛みを訴えるが、他人事のように数少なくしゃべるだけで、尿管が傷ついた説明も痛み止めの投薬もなし。カテーテルを予定より1時間早く抜いて良いという指示と点滴を増やす指示のみ。
★夕方6時にカテーテルを抜く。カテーテルを抜いた後、今度は排尿時にとても強い激痛(気絶しそうになる程)を感じて排尿が出来ない。看護師さんががんばるようにと言ってくれるのですがどうしても排尿時の激痛が記憶されてしまって条件反射になって排尿できない。とても苦しい。夜0時前にこのままだと腎臓にも悪いからとカテーテルで排尿する事を看護師さんが提案され、カテーテル(前よりは細い)の挿入をする。挿入時は声を出すほど激痛があったがカテーテルから排尿される。とても多くの尿が溜まっていたとの事。
★午後6時~7時頃に痛み止めの錠剤が出る。一錠飲む。その後、看護師さんが「この薬は腎臓に悪いから飲まない方が良いそうなので」と言って置いていた錠剤を全て引き上げる。(私の腎臓の数値を宿直医が見て判断をしたのではないかと推測。何故ならば、この痛み止めは、結局、退院時に全て渡されました。しかし、N主治医からこの薬の腎臓に対しての副作用の説明は全くない。上記した通り、私は腎臓病の経験者ですから腎臓を悪くする事はとても怖いのでその後この薬は一錠も飲みませんでした。)
☆骨髄バンクYさんは手術前(午前8時過ぎ)、手術後(3時~4時くらい)に来る。激痛に耐えている私を見て帰っている。

翌日
深夜にカテーテルで排尿をして一段落したのだけれども点滴が続いているから約1時間に一度は排尿をしたくなる。午前1時ころ強い尿意になる。看護師さんにカテーテルをお願いするのはとても申し訳ないと思い、病室に有った丸椅子にしがみついて何とか排尿をする。排尿時、涙がにじむ程のしみる感じの激痛があるが、この頃から幸いに排尿時以外はほとんど痛みを感じなくなる。
★N主治医は一度は顔を出す。丸椅子にしがみついて何とか排尿をしている事を話し、痛みを抑える薬をお願いするも、「大変でしたね~。痛みの種類が違うから粘膜の傷による痛み止めはないんですよ。」と他人事のように淡々と言うだけ。もちろん、尿管を傷つけた経緯の説明も謝罪の言葉も全くなし。結局、K病院に泌尿器科があるのですがK病院の泌尿器科の診察はありませんでした。
☆骨髄バンクYさん来る。N主治医同様、丸椅子にしがみついて何とか排尿をしている事を話し、この痛みが続くのだったら自宅でも同じ丸椅子を買わなければ排尿は出来ないだろうという話をすると、「もったいないから買わない方が良い」と何度も言う。
◎化膿止め(?)の薬が出る。この薬は退院後もきちんと飲み終わった。
★点滴は夕方なくなるが、排尿時の激痛は続く。丸椅子にしがみついて何とか排尿をしている状態。一時と比べてやや排尿時の痛みは減った。明日の退院時はこの痛みがなくなる事を心から願って深夜に寝る。

翌日(日曜日)
★午前6時頃に排尿をする。昨日よりやや痛みが増している。
★9時前にN主治医が退院して下さいと言いに来る。排尿時の激痛が減っていない。逆にやや強くなったと感じている事を伝えるが、N主治医は心ここになしというような感情を伴わない話し方で聞き流すような受け答えをする。「まだ、痛みが続くようでしたら地元の泌尿器科に行って下さい。私はもう関係ありませんから、今後は骨髄バンクのYさんと相談して下さい。」と言う。私がこの日は日曜日なので地元の当直病院を教えて欲しいと言うと、「分かりません。自分で調べて下さい。」と言って病室を出る。出掛かりながら「もうこのままお帰りになっても良いのですが骨髄バンクYさんと会われるのでしたらもう少しここにいても良いですよ。」と言って出て行く。
☆N主治医が出て行った直後、骨髄バンクYさんに携帯電話を掛ける。Yさんは「こんなに早く退院なのですか?」と驚きながら言う。N主治医から聞いていなかったのですか?と私が聞くと「聞いていない」との返事。N主治医は地元の休日担当病院を調べてくれないし、また、カテーテルでなければ排尿できなくなると怖いので地元の休日担当病院を調べて欲しいとYさんに依頼する。調べてすぐにK病院に行くとの返事。
☆Yさん来る。地元の休日担当病院を調べて来てくれる。私も分からないから主人に聞いたらインターネットで調べれば良いと言われてインターネットで調べたとの事。帰ったら丸椅子を買いに行かなければいけないと話すがここでももったいないから買わない方が良いと言う。(地元の泌尿器科に説明をする為の文書をN主治医に要求したかどうかは記憶が定かではありません。文書を要求して無視されたか、地元の休日担当病院の件など全く取り付く島がないという対応をされましたから言っても無駄だと私が思ったか今となっては分かりませんが、その後、病室に来られた骨髄バンクYさんに地元の泌尿器科に説明をするメモ一枚書いてくれていないと言うと『それは書いてもらいましょう』と言われたが私自身、このN主治医に対して強い嫌悪感からもう係わりたくないという気持ちになっていた為、N主治医の所に行こうとしていたYさんに『もういいです』と言いました。Yさんに骨髄バンクのアンケートを「N主治医の対応が酷いと書いた」と話し渡す。
◎看護師のHさんが病室に来てくれる。Yさんの目の前で不覚にも私は大泣きをしてしまいました。本当にHさんや他の看護師さんがいなかったらどうなっていたかと思うと涙が中々止まりませんでした。また、地元や自宅で排尿時の痛みが酷くなりカテーテルでなければ排尿できなくなったらどうしようと強い不安を抱えたまま退院をする。
☆病棟を出掛かる当たりで、N主治医がYさんと話す。私に話したのと同じ、「まだ、痛みが続くようでしたら地元の泌尿器科に行ってもらう事にしました。私はもう関係ありませんから後は骨髄バンクの方で面倒を見て下さい。」と話しているのを聞く。N主治医は私には話をしないで去る。N主治医からは、結局、ドナーをした感謝の言葉一つなく退院する。Yさんは正面のタクシー乗り場まで送ってくれる。JR特急電車で帰る。
☆午後、地元に帰っている私にYさんから携帯に電話がある。丁度、丸椅子を買いに車でホームセンターを回っていた所(出来るだけ病室にあった丸椅子と同じものが欲しいので何件か回っていた)。無事、地元に帰れて良かったとYさん言う。
★自宅でも排尿時の激痛は続く。ホームセンターで買った丸椅子にしがみついての排尿はだんだん痛みは和らいでは来ましたが、お正月過ぎまで続く。

その後、地元の泌尿器科の検診で左腎臓腫瘍(ガン)の疑いという診断が出る(造影剤を入れたCTスキャンの検査で幸いにも腫瘍(ガン)はありませんでした)。

この後も色々続くのですが今回はここまでの公開で終らせて頂きます。

私はこの一連の肉体的ストレス、精神的ストレスが原因で突発性難聴になったと思っていますしその可能性は十分あると言われてもいます。突発性難聴、突発性難聴の後遺症の耳鳴り、十二指腸潰瘍の治療費は全て全額私の自己負担です。「私はもう関係ありませんから」と言ったN主治医は現在もK病院で血液腫瘍科代表部長を務めています。

私自身は、十二指腸潰瘍の痛みは治まりましたが、今も強い耳鳴りがしています。