同人誌『馴鹿トナカイ』の合評会があった。
出席は8名、
誰もがフランクに意見を述べることができるベストな人数。
午後2時より5時半まで
お互いの作品に対して厳しいエール交換となる。
終了後は近くの中華料理店で懇親会。
おいしい食事と愉快な会話に
たちまち焼酎のビンが空になる。
(下戸は食べることだけに専念)
あちこちの同人誌をわたり歩いてきて
当会にたどり着いた新会員が
〈こんなに面白い同人誌は初めて!〉と、はしゃぐ。
われら『馴鹿トナカイ』は会員数こそ多くはないが
互いに相手を認め尊重し合いながら
主宰を中心にしっかりまとまっている。
わたり歩いてきた詩人には
ようやく安住の地を探し当てた気分であろう。
おぼろ
朧の奥の億光年の彼方から
あらわれ
朧の奥へ消えていく
一匹の白蛾
だれの魂だろうか
朧の果ては豊潤な銀河である
そうしないと詩にならないのもわかりますが。
読めない‘あたい’が馬鹿なのね!と言われれば、その通りかも。
お店がお客様のことを考えないで仕事をしているようなもの。
自分達の世界だけでいい というのならそれでいいのですが。
せめてルビくらいふってほしい と思っている人は多いと思う。
「おぼろ」雰囲気はわかります。
〈あたい〉が馬鹿なのではないですよ。
ひらがなだけの詩もあれば、カタカナだけの詩もあって、雰囲気を出したいだけなのね。でも、ご指摘には気をつけます。 「おぼろ」の雰囲気、わかってくれてありがとう! これはとある俳句結社から頼まれて書きましたの。