ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

よきライバル

2009-03-29 14:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

同人誌『馴鹿トナカイ』の合評会があった。
出席は8名、
誰もがフランクに意見を述べることができるベストな人数。
午後2時より5時半まで
お互いの作品に対して厳しいエール交換となる。
終了後は近くの中華料理店で懇親会。

おいしい食事と愉快な会話に
たちまち焼酎のビンが空になる。
(下戸は食べることだけに専念)
あちこちの同人誌をわたり歩いてきて
当会にたどり着いた新会員が
〈こんなに面白い同人誌は初めて!〉と、はしゃぐ。

われら『馴鹿
トナカイ』は会員数こそ多くはないが
互いに相手を認め尊重し合いながら
主宰を中心にしっかりまとまっている。
わたり歩いてきた詩人には
ようやく安住の地を探し当てた気分であろう。

          おぼろ
     朧の奥の億光年の彼方から
     あらわれ
     朧の奥へ消えていく
     一匹の白蛾
     だれの魂だろうか
     朧の果ては豊潤な銀河である


         


女体神

2009-03-25 13:31:13 | 日記・エッセイ・コラム

この時期はいろいろな会合があって
きのうは町の文化協会の役員会があった。
13名ほどの出席者の内、男は2名だけ、
当会も亦 圧倒的女性のパワーに押し捲られている。

知り合いが緊急手術した。
異変を察知して救急病院に担ぎ込んだのも女性。
彼女がいなかったら命を落としていたかもしれない。

ソクラテスもナポレオンも
ダヴィンチもモーツアルトも
アインシュタインも家康も
ホメーロスも始皇帝も
イエス様でさえ
およそ天才も英雄も女性から生み出された。
総ての人間は女性から生まれ
謂わば世界は昔も今も女性によって創られている。

埴輪や土偶に女体神が多いのも
当時のひとびとが奇跡と神秘を畏れ
生命の仕組みをちゃんと知っていて
女性を尊崇していたからである。

〈この世に女性がいなかったら私は画家になっていなかった〉
ルノアールの言葉である。

豊満であることの女体の美しさ。
安らぎは美しさの根源。
スリムになるために飲まず食わずで
健康を害するなんて
実に馬鹿げたことですぞ、みなさん。

     
 行く鳥へ最敬礼のしぐさなど


お彼岸によせて

2009-03-22 11:11:16 | 日記・エッセイ・コラム

県詩人会の役員会があった。
会場はU市内にある古い民芸調のサロン、
ブランディー入りの甘いケーキと珈琲を戴きながら
和気あいあいの会議。

ご多分に漏れず当会も高齢化が進み
マンネリズムの要因となっている。
詩は比較的若いうちから書いている筈だが
現代の若い人たちは一人遊びが得意らしく
組織に所属したり グループでの活動にあまり関心がないようだ。

かかわっている別の団体もやはり
若い人の入会がままならず
会員の高齢化に憂慮している。

皮肉なもので社会が成熟するほど
高齢化が進むようだ。

墓参りした折
墓碑に刻まれている人たちの何と年若いこと。
享年30代 50代 60代と・・・・・・・
自分がこの歳になってくるとつくづく感慨深くなる。

その人たちは最期を迎えたとき
人生をどう思っただろうか。
全うしたという充足感に抱かれただろうか。
幸せだったと笑っただろうか。
それとも無念に思っただろうか。

人生80年の今日を知ったら
きっと驚くにちがいない。

ところで
ぼくが今、眼を閉じるとしたら
その瞬間 ぼくは何を思うだろうか。

宅配便がダンボール三つ抱えてきた。
一つは瀬戸内(豊島)の友人から柑橘類のミックス。
あとの二つは城崎から一夜干しのカレイとハタハタ、
それに朝市で仕入れた惣菜の数々。
今日も近所へ配ることとなる。


手をつなぐ

2009-03-19 17:00:17 | 日記・エッセイ・コラム

〈 暑い寒いも彼岸まで 〉
ほんとうにその通りになるから不思議。
自然界の正確なサイクルにつくづく感心させられる。

鮮魚店の手づくりコロッケを親戚や
お隣さんの仏壇に供える。
肉屋ではなく何故か魚屋が作るコロッケ・・・・
これがじつに旨い!
厳選された北海道産の男爵イモと
良質の揚げ油の香りに辛抱できず
運転しながらつまみ食い。
これが一番!

古くからの友人が見舞いだと言って
文鎮を届けてくれた。
何の見舞いなのかさっぱり判らないが
彼お得意のユーモアであろう。

鉄製の「喜怒哀楽像」、五人の人間が手をつないでいる。
作者は日本クラフトデザイン協会の理事長。
人生を表現しているのだろうか。
あるいは世界平和を説いているのだろうか。

なにか心にひびいてくる小さな文鎮。

      まばゆきは春分の日のワイシャッツ


食べるよろこび

2009-03-16 13:42:39 | 日記・エッセイ・コラム

とある食品製造会社の一角の小さな直売所で
油揚げを買う。
彼岸の中日にいなり寿司を作って
友人に供えるため。

いなり寿司は我が家の一番の自慢料理、
何事かあるときは決まっていなり寿司を作る。
シイタケ、ハス、カンピョウ、イカ、ニンジンなどを中に混ぜ
ちらし寿司を油揚げで包んだような
ちょっと手の込んだもの。

皆 顔をほころばせながら沢山食べてくれる。
尤も、マズイ! などと一言でも言おうものなら金輪際
お茶も出してくれないことを知っていることもあって・・・

食べることは生きること
生きることは食べること。
食べることに無関心なのは
生きることに無関心なのと同じ。

贅沢をしようと言うのではなく
おいしく食べるということである。
一切れの沢庵にも
一杯の茶漬けにも
おいしい! おいしい!
よろこびながら食べることが大切。

食べるときには食べることに心を向け
いちいち
不平不満などはもってのほか。

食べることのできるしあわせ・・・・・

おいしく食べれば
食材たちは嬉しがって
もっともっと沢山の滋養分を発散してくれる。

     
ムニエルのワインの炎春夕べ