若い歯医者の澄んだ瞳がま近かに迫ってくると
たとえ男であっても何かどぎまぎしてしまう。
そちら系の趣味は毛頭ないけれど
異常な近距離で見つめられては平静でいられない。
対等に正面からならまだしも 仰向けのまま
リクライニングシートに押しつけられ逃げ道をふさがれ
無抵抗の状態で上から覗かれるのは
まるで歯医者に犯されるような気分。
ずっと昔そのようなポルノ映画があったような記憶がある。
人と人との間には暗黙の距離があり
その絶妙ともいえる距離感が平和を保っているので
境界線を越えての異常接近は心かき乱されるものである。
ちなみに恋は異常接近、
だから男と女はいつも平静さを失ってしまう。
牛すじカレーを作ったところ
次の日、コラーゲンが固まって煮こごり状態。
よろこんだのは学芸員さん、
一日美人になれるという。
しかし、お肌つるつるのコラーゲンより
じじとばばには
骨にやさしいコンドロイチンの方がありがたい。
不況なればこその聖樹の巨大さよ
中国大連からやってきている農業研修生(38名)と
地元高校生との交流会に招かれた。
彼女たちは当町に滞在し
それぞれの農業職場にて一年間働く。
給金は月額10万円ほどで
その内から9万円を毎月国元へ仕送りしているという。
地元塩谷高校のキッチンを使っての餃子作り体験。
いくつかのグループにわかれて
出来上がったものはそれぞれ味に変化があって
想像以上に美味しく戴いた。
日中関係は常にごたごたが絶えず
しっくりしないところがあるが
何の屈託もなく餃子作りに楽しんでいる様子をまじかにして
国益大事の政府間の外交以上に
こうした若い人たちの民間の交流こそ
期待が大きい。
知人の奥方の通夜に参列した。
式場は宇都宮であった。
普段、葬儀は告別式よりも通夜にでるようにしている。
告別式はなにやら社交的な騒がしさがあって
静かに死について思いを巡らす雰囲気ではない。
一方、通夜は文字通り夜という状況もあってか
しめやかで密やかで
坊主の法話にもありがたく心なごんでくる。
しかし昨夜の法話はちょっと感心しない。
坊主の法話に雄弁は必要ないが
遺族や参列者の心に染み入るような話を聞きたいと思う。
訥弁でもいい、下手でもいい
しんみりと琴線に触れるようなことばが欲しい。
ことばの力、ことばの影響力を識っているはずの坊主ならこそ
ことばを大切に扱わなければいけない。
帰り、友人と三人で鮨をたべる。
彼女たちはとある回転寿司屋を望んだが
幸いに とても幸いにその店は定休日であった。
そこで、幸いにも
落ち着ける鮨屋でゆっくり食べることができた。
深夜ひとり天地創造くず湯掻く
出掛けてから帰ってくると、姫たちはお土産をねだる。
足元にすり寄ってきて、行儀よくお座りし
じっとこちらの目をみつめる。
純粋であどけない彼女たちの瞳にみつめられたら
「ああ、疲れた 後にして」
とはとても可哀想で言えない。
なによりもそちらが優先される。
シロはなまり節 ロクサーヌは白子のりを待っている。
たまに忘れたりするとたいへん。
代わりにお惣菜の鶏の唐揚げなどをほぐしてやっても
だまされない。
「ちがうでしょう」
と、切ない眼差しで哀願される。
たまたま白子のりを切らし
似たようなものを出してやってもだめ。
他のメーカーの海苔は鼻先で押し戻し食べてくれない。
(まさかテレビのコマーシャルを見ているわけでもないだろうし)
ようやく思いが叶ったあとは、さっさと二階に上がって
自分だけの孤高の世界にひたる。
猫の味覚は犬の数十倍も優れている。
ペットフード会社の新入社員は
最初の仕事として
ドッグフードとキャットフードを味見させられるが
断然、キャットフードのほうが美味しいと言う。
確かに缶詰から皿に盛ったときの匂いは
醤油をかけて食べてみたいと思うほど美味しそうだ。
寂々と薄日の中を綿虫舞う
誰も訪ねてくる予定のない日は
さぞかしゆっくり詩が書けるだろうとお思いでしょうが
かえって寂しさに時間を持て余し
うろうろと何も手に付かない。
わずらわしさもやはり、ほどほどに有るのが宜しい。
感性に必要なのは適度の刺激なのですから。
きょうは休館日、
友人たちはこの日は遠慮して訪ねてこない。
台所はできるだけ使わないよう、外に出かけます。
とは申しましても
じじとばばの半日ほどのお出かけなので
行先は半径50キロ以内。
新しい発見や出会いの感動はそう多くは期待できません。
それでもじじの方は未だに好奇心旺盛で
目新しい店を見つけるとすぐに入りたくなるのですが
「やめたほうがいいんじゃない」
内気で控えめなばばに袖を引っぱられ
そうしてやっぱりいつもの店でラーメンとなるのです。
・・・・・・・ばばは無難を望んでいます。
ぜいたくなことは言わない、
今日のじじは
穴子の入った天ぷら定食が食べたいのです。
菊を観ながら精進の菊なます