ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

怒りの風

2008-02-25 14:17:50 | 日記・エッセイ・コラム

「春一番」という言葉にはどこか明るく、心ときめくものがあるが
昨日のそれはとんでもない暴れん坊であった!

瞬間最大風速はゆうに35メートルは越えていただろう。
屋根をそっくり持っていかれたり
ぺしゃんこに倒壊してしまった家もある。
我が家では美術館の屋根瓦が吹飛ばされた。
門に備え付けの郵便受けまで何処かにいってしまった。
近所を探してもどこにも見当たらず
よほど遠くにとばされたようだ。

お隣のハウス農家のトマトも全滅した。
これからいよいよ出荷の最盛期をむかえる筈が
今年はもう諦めるほかないと嘆く。
美味しいトマトが食べられると楽しみにしていたが・・・・

昼からU市にてロータリークラブの会合があって
途中まで出かけてはみたものの
いろんなものが宙を飛びかっていた。
ハウス栽培用のテントや割れたプラスチック看板や木の枝など
信号機は引きちぎられまいと必死だ。
さらに道路は氷結、車が真っ直ぐには進まない。
前を行く軽自動車も横滑りしている。
こんな春の嵐は初めて!!
これ以上は危ないので引き返して欠席の電話をする。
(実はこの日のぼくの新聞占いが、転倒・転落注意と記されてあった)

NHKテレビ午後6時のニュースで
わが町の被害が放映されたほどであるから
すさまじい春一番であった。

これも環境破壊による異常気象の一つ・・・・。
人間の垂れ流しへの警告。

    春一番去りて迷子の風小僧
  やす


幸せって・・・・

2008-02-18 10:34:01 | 日記・エッセイ・コラム

詩人会の小会合があった。
今年度の新人賞を選考する大事な会議。
出席者は4名、皆ぼくより年上の軍国少年・・・?
主題の協議が終わると忽ち、戦争のことに話題が移る。
終戦当時5歳であったぼくに、戦争の記憶はないが
それでも防空頭巾をかぶせられて
向かいの山の穴に連れていかれたことだけは微かに覚えている。

あれから60余年・・・・
富と豊かさを求めてまっしぐら、
その夢を奇跡的にも実現し世界一の金満国になった日本。
しかしその代償として失ったものも大きい。

「日本人は節操を失くしてしまった」 とは司馬遼太郎さんの嘆き。
日本中いたるところ欺瞞と偽善と人殺しの繰返し、
とどまることのない欲望の渦。
 
庶民はやっても自分はやらない・・・
これがエリートたるゆえんである筈が
現実は、庶民さえ退くほどの悪辣非道に手を染めている。

夜、NHKスペシャル番組で
ミャンマーの海洋民族モーケンを観た。
驚異の潜水能力と9・0というおそるべき視力で
魚介をを獲って暮らしている。
政府は村への定住をすすめるが、家族は船上で生活している。
わずかな食べ物を囲み、大家族がくったくなく笑う。
子どもたちは偉大な父を見習ってつぎつぎ海に潜る。

幸せっていったい何だろう・・・・・つくづく考えさせられた。

  
 恋猫のさやあて其処へもう一つ   やす


やきいも

2008-02-09 22:59:28 | 日記・エッセイ・コラム

K市市民文化センターにて県の文化振興大会があった。
セレモニーのあと、アトラクションとして芸能発表があったが
雪が降りそうなので途中で退場した。

ロビーでお抹茶を一服戴く頃には、やはり白いものが舞ってきた。

帰路、街道沿いにはためく「やきいも」の幟に惹かれ
一軒の店に立ち寄る。
 ( ぼくにはあちこち覗く趣味があって )
お兄さん風の二人がやっているバラック建ての店。
 ( これはちょっとミスったかな )
千円分頼んだら、一本おまけだと両手に余るほどの量をくれた。
 ( 見かけで決め付けてはいけないな )

かじかむ手のひらにやきいもの温もり・・・・
ロンドンの焼栗がふと、想い出された。
コートのポケットに温もる焼栗。
空港で日本赤軍の兵士と間違えられたり
丁度、今日のように雪催いの寒い日であった。

やはり雪が烈しくなってきた。
車の中は芳ばしいやきいもの匂い。
 急いで帰ろ。

   
月は溶けては積る雪浄土    やす    


君よ、安らかなれ

2008-02-08 12:47:32 | 日記・エッセイ・コラム

二月に入って、親しい人が相次いで亡くなった。
二人とも自ら命を絶って・・・・・・
未だ50代半ばの有能な男たちであった。

昨年の夏には抱えきれないほど巨大な西瓜を
秋には新米を担いでやってきた。
30年ぶりの再会であったが
年月はたちまちフラッシュバックして
君もぼくも若き日のウェルテルに戻っていった。

  ぼくのやっていたレストランで暖炉を囲み
  恋愛論や芸術論、あるいは文学や政治について
  夜の白むまで語り明かした仲だった。

それが突然・・・・
昨日、別な用件があって電話をしたら
奥さんが出て、今しがた亡くなったばかりだと言う。
〈 主人はマスターから贈られた詩集をとても喜んでいました 〉と
悲しみを押しころしながら話してくれた。

君がよくよく決断したことに
何一つ言葉をさしはさむ余地はないが
それにしても何故、今なのか!・・・・・

春になったら再たやってきてくれるものと心待ちにしていた。
はにかみながら 〈 ぼくが作ったから 〉と、野菜をいっぱい抱えて・・・・。


   
沈黙の受話器を耳に冴え返る     やす


曖昧でいい

2008-02-05 17:10:57 | 日記・エッセイ・コラム

「こんにちは どちらまで?」 
「ハイ ちょっとそこまで」
「それはそれはご苦労さまです お気をつけて」

日常の挨拶であって、どこにも違和感を覚えることはないが
よくよく考えてみると おかしな挨拶である。
「ちょっと そまで」とは いったいどこのことだろうか?
もしかしてこれから泥棒をしにいくのかもしれない。
あるいは密会へ急いでいるのかもしれない。
たしかなことは何も分りはしないのに
それを「ご苦労さまです」とは おかしな話ではないか。

しかしこの曖昧な挨拶によって私たちは
普段のコミニュケーションがしっかりとれているのである。

「日本ニッポン」が正しいのか「日本ニホン」が正しいのか
母国の呼び方さえ曖昧で 自分がニッポン人なのか
ニホン人なのかはっきりしない。
このような民族が他にいるだろうか・・・・

「善処します」 「そこのところをなんとか」
いつか誰かに「ショウ・ザ・フラッグ!」右か左かはっきりせい!
と責められて返答に困惑した日本だが
日本はもともと曖昧な玉虫色を美徳としてきた。
否! と拒絶して相手を傷つけてしまうことを好まない
深い情緒と配慮を持ち合わせている。

モナリザの魅力は あのミステリアスな微笑であって
それは日本人に通じる曖昧さなのである。
春夏秋冬の微妙な季感の中でつちかわれた私たちの文化。
谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」などは曖昧の極め付きではないだろうか。
もっと自信を持って曖昧さを貫こう!

     
如月の日は淡々と豆腐売り    やす