ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

ことだま

2007-09-30 11:45:04 | 日記・エッセイ・コラム

〈 ピアノがやかましい! 〉
この一言で隣人を刺し殺し
〈 出て行け! 〉
この一言で子どもはストリートガールになってしまい・・・・

コトバには言霊
(ことだま)というものが内在している。
良いコトバには良い言霊が
悪いコトバには悪い言霊が憑いていて
それを使用する人間の人格や運勢にまで影響を与える。

良いコトバとは肯定的で明るく前向きなコトバ。
悪いコトバとは否定的で暗く後ろ向きなコトバ。

常に良いコトバを発している人間は温かな人柄を感じ
人に好かれいつも周囲がにぎやかである。
悪いコトバを発している人間は冷たさを感じ
人に嫌われいつも孤独である。

「ペンは剣より強し」・・・・コトバも然り。
使い方を間違えば人に危害をおよぼすが
やさしい一言が救いとなって
相手の人生を明るいものに変えてしまうこともある。

〈 愛しているよ 〉
この一言で勇気や希望が生み出されることもある。

   
早稲匂う窓全開にして走る    やす


変わりゆくもの

2007-09-26 10:23:02 | 日記・エッセイ・コラム

人のこころの根底は
善意によって占められているのかもしれない。

内閣総理大臣の退陣挨拶を見た国民の多くは
去っていく人への寂しさと同情を抱いたであろう。
それまでの批判やバッシングが一気に影を潜めてしまった。
新政権のスタートに気をとられて
昨日の事に思いが廻らなくなったせいもあるだろうが・・・・・

31歳になる甥と会話する機会があった。
このような退陣劇は前代未聞で
今後もこのようなことは起きないだろうという僕の意見に
〈 いや、これからはこういうのも普通にあると思うよ。ぼくらの
 世代だったらそうするよ 〉 あっけらかんと彼は応えた。
割りきりが早くなるということだろうか。

トップリーダーたるものは
「命を懸けて」「ぶっ倒れるまで」
などというのはもう古いのかもしれない。

昭和25年を堺に日本人の考え方や価値観が
変わったといわれている。
その点で〈 戦後レジームからの脱却 〉は
考え方として間違いではなかったと思う。

  
 神を説く声やはらかし秋日傘   やす


さまようものら

2007-09-20 22:12:21 | 日記・エッセイ・コラム

    きょうは一篇の詩を紹介します。

       さまようものら

  ねぐらに帰らないカラスが増えている
  夕刻
  電線に集まってきて
  そこで夜を明かすのだ
  (七つの子との約束はどうしたのだろうか)
  おびただしいその数に
  ひとは首をすくめて通り過ぎる

  ビルの谷間
  地べたにたむろするヒヨコたち
    うち?
    つまんなぁい
    おかね?
    なぁーい あははは
    ごはん?
    ここにいればだれかが声かけてくる
    しんぱいなぁーい
  薄っぺらな服装に病人のような化粧
  ケータイがずっと光ったままだ

  陣を敷いたまま
  とつぜん、総大将が退散した
  胃腸の具合が悪かったということらしいが
  行き場を失くした沢山の美しいコトバたちは
  浮遊霊となって秋の空をさまよっている

  約束はなにひとつ果たされないまま

      
一斉に番ふとんぼう日和かな    やす


哀愁のフラメンコ

2007-09-16 13:53:52 | 日記・エッセイ・コラム

知人が出演していることもあって
とあるフラメンコ教室の発表会を観に行った。
総勢30余名の群舞は華やかで元気をもらったが
踊ることに懸命なあまり一様に表情が硬い。
もっと楽しみながら踊ったら
観客もさらに盛り上がったことだろう。

かつて本場フラメンコが観たくて
ドイツ・フランスを巡りバルセロナに向かった。
ところが途中でバルセロナ空港がストライキに入ってしまい
飛行機が着陸できない。
急遽、予定に無いロンドンに廻されてしまった。ザンネン!

ジプシーの相反するような熱情と哀愁は
おとこのこころを虜にして離さない。
切々とあるいは挑発的なその黒い瞳に魅せられて
おとこは魂のぬけがら同然。

潮のようにあとからあとから押しよせてくるブレアの昂揚感と
ひき潮のようなソレアの深い嘆き・・・
ジプシーの悲しみと秘められた情熱の調べ。
 熱情とは哀しいものなのだ。

帰り道、ドライブスルーで冷えたモカクリームを買う。

   
カルメンの嘆きにも似て曼珠沙華   やす


美しいそのとき

2007-09-13 00:33:07 | 日記・エッセイ・コラム

とかく、ひきぎわは難しい。
他人のひきぎわについてとやかく言うのは易しいが
自分自身のことになるとその見極めは難しい。
多くがそのタイミングを誤まって
見苦しい姿を露呈している。
せっかくの功績が一気に色あせてしまうのだ。

それは政治の世界に限らず
企業に於ける後継者との交代、
スポーツ選手の引退、
父から子への家督の引継ぎ・・・等いろいろある。

権力の座、人気の座というのは
よほど居心地がよろしいのだろう、
摑んだものをなかなか手離そうとしない。
余力のあるうちに引退したほうが
どれほど美しいかを承知していながら
自分自身のことになると
ぼろぼろになるまでしがみついてしまう。

そのときが早すぎれば「放棄」と見なされ
遅すぎたら「執着」として非難を浴びることになる。

最後のその時の姿が、ひとの記憶に残るもの。
だからこそ美しい終り方が肝心なのだ。
「常在戦場」ということはそういうことでもある。

今日、安倍総理大臣が辞任した。
                         〈9月12日記述〉

   
コスモスや最終走者まだ見えず   やす