ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

想像力を

2015-06-23 12:06:34 | 日記・エッセイ・コラム
ある日、一枚の写真に眼が釘づけとなった。

桐生市が観光用に作成したもので
篠原涼子がモデルの実にシンプルなポスターである。

ところが感じるところは誰も同じようで
そのポスターが今、評判を生んで
全国から注文が殺到しているそうだ。

考えることも感じることも人間大差無いのに
政界ではもめごとが絶えない。

戦争は誰もが忌み嫌うはずなのに
いかにももっともらしい理屈をつけては
危険な方向に歩もうとする人間が居る。

手柄を立てたいのだろうか。
歴史上の宰相として名を残したいのだろうか。

私は直接戦争を知らない世代ではあるが
想像力は充分に持ち合わせているつもりだ。
体験者の話から、ドキュメンタリー映画から、
歴史小説・文献から沢山の悲惨さを知らされている。

戦争は無惨な結果を遺すだけで何一つ良きことはない。

人間、
誰にでも平等に与えられている「想像力」を駆使して
------その先のことを見つめよう!


     むしむしとむしむしむしと蟻の列

蕎麦

2015-06-21 18:18:15 | 日記・エッセイ・コラム
打ちたての蕎麦が届けられる。
早速つゆを作りせいろにて冷たく戴く。

蕎麦も上等、汁も上等。
デザートはこれも亦頂きもののブルベリーにヨーグルトを和えて戴く。

ごきげんな昼食である。

されどこの低気圧には悩まされる。
持病の坐骨神経痛によくない。

姫ロクサーヌの具合もよくない。
腰痛の注射をしてからずっとうずくまったままである。

痛みは治まっているようだが
老猫の体には注射の負担が大きすぎたのではないだろうか。
かれこれ十日にもなるが
自分からは餌を食べようとしない。

猫用の流動食をスポイトで無理やり流し込む。
一日三回に分けて僅か30~40グラム。
小鳥の餌程度の量だが
かろうじて命を繋いでいる。

        
      梅雨に潜むわれは草魚となりゐるや

本質

2015-06-17 17:15:21 | 日記・エッセイ・コラム
いろんな役職から手を引いて
現在は自分の為に時間を使っている。

若いころは
人の為、社会の為とエネルギーを費やしてきたが
果してそれがどれほどの役に立てたのか
はなはだ心もとない。
なかには“余計なおせっかい”さえあったと思う。

若さとか情熱とか純粋というものは
なかなか厄介なもので
独りよがりや思いあがりにも通じて
傍迷惑になる場合も多々ある。

歳をとるとだんだん本質が見えてきて
見栄や背伸びの愚かさに気づかされる。

自然体で生きることのよろこび
つまり自分の思いを第一として生きることの意義。

雑草として人に嫌われながらも
健気に生きている葛の葉ですら近頃は愛おしく見えてくる。


      病猫の水のむ音や熱帯夜

ならぬことはなりませぬ

2015-06-16 17:29:59 | 日記・エッセイ・コラム
”集団的自衛権の行使は違憲である”

政府が頼みとした3人の憲法学者が
口をそろえて忠告している。

1名は自民党が用意した学者であり
なんともお粗末な話である。

何故そんなに急いで法案を通そうとするのか-----
大見栄を切って
オバマさんに約束してしまったから 
なにがなんでもということだろうか。

側近に正しく意見する者はいないのだろうか。
陰で批判ばかりするのではなく。

この頃とんでもない事を言い出す日本の首相に
国内外の信用はガタ落ちである。


     荒梅雨に海底都市となりけるや

落語

2015-06-04 10:03:00 | 日記・エッセイ・コラム
このごろ寝ながら落語を聴いている。

「名人落語寄席」
古典から現代落語まで十名ほどの噺家のCD。

中でも古今亭志ん生と三遊亭円生の話は見事だ。

生ではなくCDなので細やかな所作動作を見ることはできないが
それでも巧みな話芸からその様子は充分に想像できる。

笑いにはほっと癒される笑いと 
ぐったり疲れてしまう笑いとがある。

この頃お茶の間を騒がせているお笑い芸人たちの
下品な笑いとはちがって
落語の根底には上質なセンスが光る。

  笑いは百薬の長 笑う角に福来る

しかし馬鹿笑いはいけない。
やたら手を叩いては大笑いしているが
当人には気づいていなくとも
表情がほんとうに馬鹿に見えてくる。

次の世は 
しあわせを売る噺家になろうかとも思い巡らせている。

      
       尺取虫大河を前に立ち上がる