ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

じぶんを探しに

2007-08-29 00:43:16 | 日記・エッセイ・コラム

人間、
還暦過ぎたら自分自身の人生を生きても
許されることと思う。
これまでの社会人としての生き方から一歩離れた人生、
世俗的なしがらみから抜け出して
ほんとうの自分探しの人生・・・・。

五木寛之氏の著書『林住期』の中でも
人生の仕上げに向けての大事な時期を示唆している。

〈 何の役にも得にもならないことを・・・ 〉 と、
友人たちの揶揄が今にも聞こえてきそうだが
林住期に該当するぼくは
徐々に不義理を重ねながら
下手な詩をせっせ、せっせ、書き綴っている。

抒情詩や叙事詩、あるいは社会派のような
沢山なスタイルの詩が氾濫しているが
ぼくの書くものはそのどれにも属していないような気がする。
より私的で視座の狭い作品である。
しかし、それが自分なのであるから
それでいいと考えている。

誰のためでもなく
自分自身のために書いている。
もしかしてぼくの詩作は写経のようなものかもしれない。

   
テレビ消して虫の思ひを思ひけり    やす


花の仕かえし

2007-08-23 11:32:50 | 日記・エッセイ・コラム

  〈 わたしの体、まだ燃えているのよ 〉
野づらを吹く風に
赤黒色のその身をふるわせている吾亦紅
(われもこう)
一枚いちまい夏の日が去っていく。

とあるレセプションの席に吾亦紅だけを
どっさと飾ってやろうと
群生している畦に分け入って
ひと抱えもあるほど刈り取った。
ところがそのあと突然、ひどい頭痛に襲われた。
はじめは風邪かと思ったが
どうやら吾亦紅が何らかの毒ガスを発散させたらしい。
  ひとつひとつの花には臭いなど全く無いのに・・・・。

欲深い人間への
吾亦紅の恨みだったかもしれない。
あとかたもなく刈り取ってしまうという
あまりの理不尽さに報復してきたのかもしれない。
ニ三本なら黙って見過ごしてやったのに・・・・と
よほど腹に据えかねたようだ。

嘘だぁ と思われるかもしれないが
これはまぎれもない事実です!
手伝った女房も同時にひどい頭痛に襲われたのだから。
草や花や樹木にも確かに意思は存在し
いつも何かを感じては発信しているのだ。
良き感情には良き香りを
悪しき感情には悪しき臭いを・・・・・。

以来、
吾亦紅を見つけても決して手折るようなことはしない。

    
老鶯に心かよはせ露天風呂    やす


青年ケンチャン

2007-08-20 12:06:24 | 日記・エッセイ・コラム

けさ6時、
昔の友人が西瓜を届けてくれた。
と言うことは、彼は5時半に家を出ている。
自分で育てたものらしいが、
これほど巨大な西瓜は見たことが無い。
ぼくの細腕ではとても抱えていられない。

彼は35・6年前、
ぼくのレストランに夜ごと集まってきては
暖炉の火をかこみ
人生論、恋愛論、政治論など熱っぽく語り合った
仲間たちのひとりである。

ベトナム戦争が終結し
テロリスト日本赤軍に世界が震撼し
小松左京の「日本沈没」がベストセラーとなり
ラジオからはカーペンターズのイエスタディ・ワンスモアが流れ
だれもが悶々とした青春の焦燥感を抱いていた時代であった。

かれの結婚を堺に交流は無くなったが
突然、こうして訪ねてきてくれた。
互いに髪も白くなったが
彼はぼくをマスターと呼び
ぼくはケンチャンと呼び
たちまち、あの若きウェルテルに還っていく。

男はいくつになっても
少年のままだ。

   
鳴きまねをして老鶯を惑はせり      やす


「行Gyou」

2007-08-14 19:04:56 | 日記・エッセイ・コラム

死者にかぎらず、お盆ともなると生者も亦
人をなつかしみ集まってくる。

休みが取れたからと
久しぶりの知人が訪ねてきた。
随分と白髪も増えた。
彼は二十年ほど前、事故で子どもを失くしている。
自分の不注意が原因だったとして
以来、月命日には必ず墓参りをしている。
二十年間、いちども欠かした事がないと言う。
その上、大好きだった肉食も絶っていると言う。
鶏肉も豚肉も牛肉も一切、口にしないと言う。

〈 墓場まで持っていく 〉
この念を貫くには「行」がともなうものであるから
人前で軽々しく言葉にはできない。
  言うは易し、行うは難し
彼はだれにも何も言わずニ十年間、黙々と
その「行」を積みつづけていた。
お盆だからと、今日はじめてそれらの話をしてくれた。

ぼくにも後悔は数え切れないほどあるが
〈 墓場まで持っていく 〉と言えるほどの
すさまじい覚悟や決意は持っていない。

言うだけで何もしない人たちが大勢の中で
彼はこれからも黙々と「行」を積みつづけ
悔悟の念を独りで引き摺っていくことだろう。

頭のさがる思いだ・・・・・・。

   
銀漢や死ぬも生くるもゆめのゆめ    やす   


盆まじか

2007-08-11 14:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

お盆に向かい民族の大移動がはじまった。
静かなわが町にも見知らぬ人たちや車が増え
朝から騒々しい。

精進揚げの野菜を買いに
行きつけの直売所に出かける。
晩夏の烈しい陽射しの下
ムクゲやサルスベリやのうぜんの花が咲き誇り
波打つ青田の上を悠々と鬼やんまが飛行している。

直売所はすでにいっぱいの人だかり。
片っぱしから野菜の山が消えていく。
予約しておいた日光唐辛子の他
シシトウ・アスパラ・舞茸を買う。

かぼちゃと並んでクワガタ虫が売られている。
虫かごに三匹ほど入っていて千円。
これが親子連れに売れているらしい。
田舎の子がクワガタを買う・・・・・?!
ちょっと裏山に入れば自分で捕れるものを
千円のお金を払って買うのだ。

いのちはもはやお金で手に入れるものなのか。

   
糸張りしまま甲虫死にゐたる   やす