タローがイチローを
イチローがタローを批判している。
タローをとるかイチローをとるか・・・・・
連日マスコミが煽っている。
一党独裁政権が長期間つづいている中で
双方の主張が聴けるようになり
本来の民主主義に向かいつつあるのは好ましい。
選択の余地もなく
一方の言葉に引きずられ判断力を失くしていた国民。
ようやくその弊害に気づきはじめ
もう一方にも耳を傾けられるようになってきた。
洗脳されていたように
一方的に教えられた結果の
偏狭な思想や行動は本質を見失い
平和も幸福も全体には行き渡らない格差社会を
生み出した。
さらに怖いのは傲慢を助長させてしまうことで
これは政治に限ったことではなく
公正な判断力欠如による偏見は日常身近なところに
潜んでいる。
「双方の話を聞くために耳は二つある」 とはソクラテスの教え。
慇懃な手紙を手にしそぞろ寒む
ショパンのノクターン20番が
ラジオから流れている。
映画『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー監督)でも
使われた名曲中の名曲。
ところが夜想曲の形式でありながら
きょうの秋高の爽やかさに似合うのは何故だろう・・・・・
落葉のからまつ林の明るい風景が思い浮かんでくる。
行ったことはないが
ポーランドの静かな晩秋の景色を想わせてくれる。
美しいピアノ演奏に耳を傾けながら突如、一篇の詩が生まれた。
生まれたというよりも、
不意に、どこからかこぼれ落ちたというような感じ。
推敲もできないほど短かな作品だが
なんとも捨てがたいものがあり
そのまま紹介しようと思います。
秋深む
おんなが
ミシンを使っている
行儀よく
黒猫が
それを視ている
晩秋のいっときの時間を切り抜いたような--------
今日で5日になるがカンナの姿が見えない。
他の猫たちから受け入れられ
ジージにも可愛がられ
食事のときは真っ先に勝手口に並んだのに・・・・
いじめられた気配はない、車に轢かれた様子もない。
与えられる恩恵を自ら絶って
ぷいと出て行くことが猫の習性にはあって
以前にもニ、三匹そのような屋敷猫がいた。
これはきっと「縁」の世界の出来事で
猫にも人間にも理解の届かないところ
限られた関わりでしかなかったのだろう。
ちょっとだけ我が家に途中下車したに過ぎず
いまごろはどこかの旅の空の下、
ふらふら流離っていることだろう。
そもそも猫というのは自分しか信じない。
猫なで声で甘えるのも
飼い主を喜ばせるためのポーズに過ぎない。
犬のようには決して従順ではなく
身勝手で扱い難い生きものなのである。
それでも尚、可愛いと思うのは
人間は誰かを(何かを)愛していないと生きられないのだ。
木枯らしの吹き荒れる前に
安住の地に辿り着けるといいが・・・・・
石蕗の花挿して来館者を待てり
きのうは、今年度我がロータリークラブで預っている
米山奨学金生K君のスピーチを聞いた。
内モンゴル自治区出身の中国人
現在、宇大の大学院で学んでいる。
貧しさにトウモロコシで育ったという生い立ちから
中国と日本の違いや将来の夢について40分ほど話してくれた。
昨年の王君も優秀だったが
彼も亦、それ以上に優秀な青年である。
日本に来て初めに驚いたことはスーパーでの買い物
誰も見ていないのに籠に入れてちゃんとレジを通す。
中国だったらそのまま持っていってしまうという。
官吏を目指して中国の大学に入ったが
現在の官の腐敗にげんめつし、
自分でなにかを起こそうと考えているようだ。
夜は、
青年会議所OB会20周年記念大会の打ち合わせ。
料理屋の二階で古い友人と会う。
終始、お喋りがはずみ
ついついいろいろ食べ過ぎてしまった。
ああ、又尿酸値が上がってしまう・・・・・・・。
急ぎゐる白雲一つ柚子は黄に
先日、久しぶりに上京したが
首都高速道も東名道もがら空きであった。
秋晴れの、しかも花の金曜日だというのに
往き帰りとも渋滞にあう事がなかった。
株価暴落、オイル高騰のあおりだろうか?
いつもこうなら、上京するのも決して億劫ではないのだが。
確かにこの頃、東京は一段ときれいになっている。
かつてのように、光化学スモッグで目がちかちかすることもなく
ウォーターフロントとして水辺で遊べるほど
川の流れもきれいになった。
これは個々人の意識もさることながら
やはり行政の努力によるものだろうと思う。
哀しいかな、
人間の本質は公共心よりも利己心のほうが勝ってしまう。
その自我を抑えるには残念ながら
規制や法律が必要になってくるわけで
本来、家庭の中で躾られればそれが一番いい。
今はまだまだゴミ大国「日本」である。
学校に入るまでに公徳心をきちんと身につけることができたら
将来、名実ともに「美しい日本」の創生が可能になる。
なにも手を加えない山河の美しさもいいが
人間の手による造形美も亦いいものである。
暑い日だったが,、素直に東京をきれいだと思った。
それから、1300円の和定食ランチにさえも誠実さが見て取れて
なんとも気分のいい一日であった。
晩秋の首都そこはかと暮れゐたる