ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

一方を聞いて沙汰するなかれ

2008-10-31 12:49:40 | 日記・エッセイ・コラム

タローがイチローを
イチローがタローを批判している。
タローをとるかイチローをとるか・・・・・
連日マスコミが煽っている。

一党独裁政権が長期間つづいている中で
双方の主張が聴けるようになり
本来の民主主義に向かいつつあるのは好ましい。

選択の余地もなく
一方の言葉に引きずられ判断力を失くしていた国民。
ようやくその弊害に気づきはじめ
もう一方にも耳を傾けられるようになってきた。

洗脳されていたように
一方的に教えられた結果の
偏狭な思想や行動は本質を見失い
平和も幸福も全体には行き渡らない格差社会を
生み出した。
さらに怖いのは傲慢を助長させてしまうことで
これは政治に限ったことではなく
公正な判断力欠如による偏見は日常身近なところに
潜んでいる。

「双方の話を聞くために耳は二つある」 とはソクラテスの教え。

     
慇懃な手紙を手にしそぞろ寒む

   


昼下がりのショパン

2008-10-27 15:26:41 | 日記・エッセイ・コラム

ショパンのノクターン20番が
ラジオから流れている。
映画『戦場のピアニスト』(
ロマン・ポランスキー監督)でも
使われた名曲中の名曲。
ところが夜想曲の形式でありながら
きょうの秋高の爽やかさに似合うのは何故だろう・・・・・
落葉のからまつ林の明るい風景が思い浮かんでくる。
行ったことはないが
ポーランドの静かな晩秋の景色を想わせてくれる。

美しいピアノ演奏に耳を傾けながら突如、一篇の詩が生まれた。
生まれたというよりも、
不意に、どこからかこぼれ落ちたというような感じ。
推敲もできないほど短かな作品だが
なんとも捨てがたいものがあり
そのまま紹介しようと思います。

          秋深む
      おんなが
      ミシンを使っている
      行儀よく
      黒猫が
      それを視ている

晩秋のいっときの時間を切り抜いたような--------
      


ねこの家出

2008-10-23 11:37:13 | 日記・エッセイ・コラム

今日で5日になるがカンナの姿が見えない。
他の猫たちから受け入れられ
ジージにも可愛がられ
食事のときは真っ先に勝手口に並んだのに・・・・
いじめられた気配はない、車に轢かれた様子もない。

与えられる恩恵を自ら絶って
ぷいと出て行くことが猫の習性にはあって
以前にもニ、三匹そのような屋敷猫がいた。
これはきっと「縁」の世界の出来事で
猫にも人間にも理解の届かないところ
限られた関わりでしかなかったのだろう。

ちょっとだけ我が家に途中下車したに過ぎず
いまごろはどこかの旅の空の下、
ふらふら流離っていることだろう。

そもそも猫というのは自分しか信じない。
猫なで声で甘えるのも
飼い主を喜ばせるためのポーズに過ぎない。
犬のようには決して従順ではなく
身勝手で扱い難い生きものなのである。

それでも尚、可愛いと思うのは
人間は誰かを(何かを)愛していないと生きられないのだ。

木枯らしの吹き荒れる前に
安住の地に辿り着けるといいが・・・・・

     
石蕗の花挿して来館者を待てり


ウマ肥ゆる

2008-10-22 10:38:01 | 日記・エッセイ・コラム

きのうは、今年度我がロータリークラブで預っている
米山奨学金生K君のスピーチを聞いた。
内モンゴル自治区出身の中国人
現在、宇大の大学院で学んでいる。

貧しさにトウモロコシで育ったという生い立ちから
中国と日本の違いや将来の夢について40分ほど話してくれた。
昨年の王君も優秀だったが
彼も亦、それ以上に優秀な青年である。

日本に来て初めに驚いたことはスーパーでの買い物
誰も見ていないのに籠に入れてちゃんとレジを通す。
中国だったらそのまま持っていってしまうという。

官吏を目指して中国の大学に入ったが
現在の官の腐敗にげんめつし、
自分でなにかを起こそうと考えているようだ。

夜は、
青年会議所OB会20周年記念大会の打ち合わせ。
料理屋の二階で古い友人と会う。
終始、お喋りがはずみ
ついついいろいろ食べ過ぎてしまった。
ああ、又尿酸値が上がってしまう・・・・・・・。

    
 急ぎゐる白雲一つ柚子は黄に


東京がきれい

2008-10-19 11:00:55 | 日記・エッセイ・コラム

先日、久しぶりに上京したが
首都高速道も東名道もがら空きであった。
秋晴れの、しかも花の金曜日だというのに
往き帰りとも渋滞にあう事がなかった。

株価暴落、オイル高騰のあおりだろうか?
いつもこうなら、上京するのも決して億劫ではないのだが。
確かにこの頃、東京は一段ときれいになっている。
かつてのように、光化学スモッグで目がちかちかすることもなく
ウォーターフロントとして水辺で遊べるほど
川の流れもきれいになった。
これは個々人の意識もさることながら
やはり行政の努力によるものだろうと思う。

哀しいかな、
人間の本質は公共心よりも利己心のほうが勝ってしまう。
その自我を抑えるには残念ながら
規制や法律が必要になってくるわけで
本来、家庭の中で躾られればそれが一番いい。
今はまだまだゴミ大国「日本」である。
学校に入るまでに公徳心をきちんと身につけることができたら
将来、名実ともに「美しい日本」の創生が可能になる。

なにも手を加えない山河の美しさもいいが
人間の手による造形美も亦いいものである。

暑い日だったが,、素直に
東京をきれいだと思った。
それから、1300円の和定食ランチにさえも誠実さが見て取れて
なんとも気分のいい一日であった。

    
 晩秋の首都そこはかと暮れゐたる