ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

ちいさな供養

2008-05-25 11:26:08 | 日記・エッセイ・コラム

山陰からハタハタが届く。

あまり好きな魚ではないが、毎年2,3回送られてくる。
実はこういう不細工な姿の魚こそ旨いらしく
妻は煮たり 焼いたり 近所へ配ったりしている。
今回はそれでも余るので南蛮漬けにして保存する事にした。
これならぼくにも美味しく食べられる。

秋田出身のあるひとのブログに
「ハタハタは神の魚、魚ヘンに雷とも書き雷鳴と共に
 12月の荒波の中を押しよせてくる」 とある。
そこにはハタハタずし というのが写真で紹介されているが
なんだか生ぐさい気がして、ぼくにはダメかもしれない。

知人に川魚を捕るひとがいて時々持ってきてくれる。
「食べますか?」 と最初に訊かれたとき
うっかり 「はい」 と応えてしまったのがマズかった。

ハヤ、ヤマメ、カジカなどを電気で捕るらしく
中には息を吹きかえす魚もいて
それらをバケツに入れて近くの川に放流してやる。
 (そのひとには内緒)
銀鱗をひるがえして泳ぎだす姿を見やりながら
なにか善きことをしたような気がして
少しだけうれしくなってくる。

残りは川魚好きのお隣さんにあげる。

   
田蛙のネオンまみれの恋歌かな   やす


虫けらのように

2008-05-22 10:50:56 | 日記・エッセイ・コラム

昨年のシロアリ掃討大作戦から、かろうじて生き残った一群が
この陽気につられて這い出してきた。
早速、業者に来てもらったが、生殖機能が破壊されているので
これ以上は殖えないということであった。
それにしてもこの逞しい生命力------!
彼らにエールを送りたい気分にもなる。

人間の生命が虫けらのように扱われている。

「誰でもいい 人を殺してみたかった」
 通り魔殺人の理由である。
「面白いので皆で殴り殺した」
 ホームレスの老人をを襲った少年の理由である。
「育てるのが面倒になって------」
 我が子を殺した母親の理由である。
「いちいちうるさいので------」
 親を殺し家に火をつけた理由である。
「別れたいと言ったので-----」
 恋人を殺した男の理由である。
「遊ぶ金が欲しかったから--------」
 タクシーを襲った理由である。

いとも短絡的な理由で人間が人間を殺してしまう
その理由の理由はどこにあるだろうか?

母乳を与えない、食事はコンビニのファーストフード、
----------「ぬくもり」を知らないまま育つ。
受験とファミコン、
----------「絆」を知らないまま育つ。
大人たちにはびこる欺瞞、
----------「信頼」を知らないまま育つ。
学校という格差社会、
----------「希望」を知らないまま育つ。

一方では、ナチスのやった「選別」を彷彿させるような
弱者抹殺という冷酷な政策がつぎつぎ生み出されている。

  
 新茶注ぐしづく大事に大事にな   やす


光まぶしく、風薫る

2008-05-20 13:34:24 | 日記・エッセイ・コラム

客人を那須に案内した。

途中、ひいきの店で買った葡萄パンを齧りながら
新緑がまぶしい! 風が薫る。
久しぶりにあちこちの店を覗き歩き
あらためて那須の奥深さと面白さを満喫した。

三人の客人の一人は40年前に初めて会ったひと。
当時、そのひとも僕も青春真っ只中、
それぞれにそれぞれの世界で輝いていた。
思い起こせば往時茫々----------
〈 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響き 〉である。

サヨナラだけが人生だ と言い切った文士がいたが
まこと、時間も出会いも矢のように遠ざかっていく。
共にかつての青春の輝きは失せて
40年という時間は宇宙の彼方である。

残りの時間が見えてくると
身辺の総てのものが愛しく思えてくる。
若葉を吹いて来る風の音にも 夕べの雨の匂いにも
散華の椿の花にも すれ違うひとの声にも------
格別の感慨が湧いてくる。

けれども人生を虚しいとは考えないようにしている。
虚しい! と思った瞬間、虚しさに取殺されてしまうから---------

過ぎ去っていく時間を追いかけるのはやめよう。
昨日のことに思い煩うのはやめよう。
あれこれ余計なことに心まどわされず
サヨナラだけが人生だと あっさり達観してしまおう。

   
消えてなほ胸をよぎりし黒揚羽    やす


おお、ナミダサマ

2008-05-15 14:53:28 | 日記・エッセイ・コラム

ものもらいの治療ついでに
他の眼病について検査して貰ったが
白内障、緑内障異常なし、
目の疲れはドライ・アイが原因であった。
検査紙に泪が溜らない-------
三流のテレビドラマに泪を流したりするのに
肝心な時にはパサパサ乾いている。

涸れてしまうほど大量の泪を
人生の中で流したことあっただろうか。

ミャンマーのサイクロン、四川省大地震、
悲惨な災害現場の映像がリアルタイムで流れてくるのに
泪が出ない。
胸に迫るものはあっても、どうしたことか泪が流れない。
目だけではなく心までもがドライ・ハートになってしまって
ぼくはきっと冷淡な人間なのかもしれない----
などと思ったりもして。

ナミダはアミダサマの化身。
いつもは心の奥底におわして、静かに見守ってくれているが、
ときに瞼から現われたあとは
五月の空のように何もかもが清々しくなる。

 「目は心の鏡」 
心の有りようが目に表われる。
心が怒っているときは目つきも険しくなり
心が悲しんでいるときは目に憂いの陰があり

ドライ・アイとは、きっと心が渇いているのだ。
いつの間にかナミダサマが何処かに行ってしまったのだ。

   
ひとと居てことば少なにサングラス   やす


とある小さな感動

2008-05-13 19:33:46 | 日記・エッセイ・コラム

けさのお通じは感動的であった!

このところ、快便とは縁がなく常に後味の悪いものであったが
それが今朝、するするすとーんと、
きれいさっぱり出て行ってくれたのだ。

腹の中を薫風が吹きぬけるように爽快である。

それまでは整腸剤やヨーグルトの力を借りてもダメだったのが
誠にいさぎよく、色艶もいい、太さも長さも実にいい!
さっそく流してしまうには惜しい気がして
敬虔なこころで彼らに向かい、拍手を打ち
グッドバイ と声を掛けてから
ブルーレットの清流にのせて流してやった。

長い間ぼくの中に在ってぼくを悩ませていたもの---------
渦と共に消えていくのがなんとも名残惜しい。

食事療法の効果がいよいよ表われたのだろうか。
野菜と海藻と雑穀飯---------
たまには魚を食べるが、肉や動物性脂は食べない。
大好きなカツ丼など、もっての外で
スーパーに入っても肉売り場は素通り
試食のおばさんに呼び止められても知らんぷり。

午後はキノコ味噌を作る。
五種類のキノコの粗みじんをテンメンジャン、トーバンジャン、赤味噌で
炒めただけのもの。
サニーレタスやサラダ菜に包んで食べる。
炊き立てのご飯の上に添えてもいい。

     
牡丹咲くひねもす経を聴かされつ   やす