〈 政治活動には金がかかる・・・・ 〉
献金を正当化する政治家たちの、この非常識な常識。
ケタはずれの金にかこまれ
金銭感覚を麻痺させてしまった妖怪たち。
・・・・・・・育てたのはわたしたち国民である。
なにもかもやり放題という
長期間にわたる一党独裁による眼に余る言動。
今日そのことにようやく目覚めた温厚な日本民族、
参議院での与野党が逆転した。
おごれる者久しからず・・・・とは
歴史の証明するところ。
大山鳴動鼠一匹
この大きなエネルギーが
単なるムードや風向きで済ませることなく
未来の二大政党制への鳴動であってくれればいいと
願うばかりである。
糸とんぼ草の吐息におどろきぬ やす
新鮮な野菜を戴いたので、てんぷらにする。
冷凍庫のアカイカを解凍し
きのう直売所で買った舞茸とアスパラも揚げる。
「向う三軒両隣」がわがやの周囲にも戻ってきた。
いろいろ戴いても二人暮しには食べきれない。
お隣の時計屋さん、左斜向かいのチズちゃん、
右斜向かいの万屋さんへおすそ分け。
菓子類は裏の独り暮らしのばあちゃんへ塀越しに手わたす。
・・・・普段、この塀は猫たちのメインストリート。
ばあちゃんちには近くの老人たちが集まるので
お茶菓子として喜んでくれている。
チズちゃんは贅沢な独身貴族。
全国から美味しいものを取り寄せてはおすそ分け。
時計屋さんは例の手打ちそばや熱々の焼き芋。
万屋さんは裏山の山菜や大きく実った柚子を届けてくれる。
裏のばあちゃんからは何も届かないが、それでいいのだ。
四年前、区長になってみて初めて気づかされたのである。
近所付き合いの大切さ、お隣さんパワーというものを・・・・
それまでぼくは近所のこと、何も知らなかった。
すれ違っても、どこの誰さんなのかさっぱり判らなかった。
周囲の人たちは、鼻持ちならぬ気取りやとして
ぼくを見ていたに違いない。
恥ずかしいことだった。
遅ればせながら、きょうもまた向う三軒両隣り
仲良く声掛け合っている。
蝉穴の闇のかなたの薄明かり やす
この度のポークカレーは見事な出来栄えであった。
これまでのカレーの中ではナンバーワンと言える。
旨いものが出来ると
誰彼なしに食べさせたくなって電話する。
〈中村屋のカレーよりも美味!〉 と
よろこんでくれる人もいるが
これはチト誉めすぎ・・・・・かも。
基本を守ったこと。
手をぬかなかったこと。
余計なものを加えなかったこと。
などが美味しく出来上がった所以だと思う。
なにごとにも基本が大事。
独創性も過ぎたるは云々である。
たとえば抽象絵画の中に一瞬、そのインパクトに
魅かれてもやがて飽きてしまう作品があるが
これは基本(デッサン)を習得していないからであろう。
いかに抽象といえども基本の無いものはダメだ。
基本があってこその独創性
それがないのはただのドタバタでしかない。
人間に骨格がなかったら
鮟鱇のようにぶよぶよしてしまう。
三十人分のカレー
食べつづけて三日になるが
もう少し鍋の底に残っている。
白靴のかかる貧乏ゆすりとは やす
はじめてのヒグラシが向かいの西山で鳴いた。
わずか二声、三声ほど鳴いて
そのあとは深い沈黙。
雨模様の中を様子伺いに出てきたものだろう。
地表近くまで這い上ってきて
( まだか、まだか ) と、ひしめき
あがいているセミたちの姿が眼に浮ぶ。
暗い土中での七年と泣きとおすだけの七日と
セミにはどっちが現世だろうか。
ほんとうに幸せなのはどっちの世界だろうか。
あの泣き腫らした眼を見るにつけ、そう思う。
ぼくは明け方に鳴くヒグラシが好き。
かそけきその声にはこころが清められようだ。
( ひぐらしはカナシ、カナシと鳴くんだよ )
明日の朝は、
足尾のカジカ浄土を訪ねることになっている。
( あした天気になーれ )
ひぐらしの声この世ともあの世とも やす
台風一過、青空が眼にしみる。
体の具合は気圧にも影響されやすいので
腰痛持ちにとって今日の天気はとても気分がいい。
それにしても雨が降るたび、山が崩れ、家が流され
街も村も甚大な被害をこうむる。
30ミリでも豪雨と言えるのに この頃は
1時間に100ミリという驚異的な記録の降雨もあって
明日がとても不気味である。
営々と築き上げた人々の文明が
濁流に消えていく光景を目のあたりにし
ノアに命じた神のことば(創世記)が脳裏をよぎる。
そのとき、ぼくは選ばれるだろうか?
あっ! 地震・・・・・
10時13分 新潟をまた地震が襲った。
震度6強は三年前と同じだ。
梅雨の月照らせ崩壊の町の上 やす