2018/08/26
24時間テレビに羽生さんが出ていて、しばらくぶりの羽生さんの映像だった。
この映像を撮影したのは、たぶんファンタジーオンアイスが終わって1週間以内のことだろうから、7月初旬ではないかしら。
ファンタジーオンアイスが終わってから、しばらく羽生さんのことを書いていなかったけれど、忘れていたわけではない。
今頃になったからこそ書こうという気になる。
7月2日の国民栄誉賞以来、新しいニュースはなく、7月中旬にはトロントへ戻ってしまったところを見ると、もうゆっくりのびのびできるのはトロントしかないのではと私には感じられた。
オリンピック2連覇の後、足の状態がそれほど思わしくないのに、長いアイスショーのシーズンをこなし、終わってから日本で骨休めをしてもよさそうなものを、トロントへ戻ったのは、もう日本は落ち着ける場所ではないのではと思ったのだ。
その頃、ネットも憶測だけで、ことさら大ごとのように書かれたものがたくさん出て、うんざりするような気分だった。何も言わないこと、そっとしておくことが一番いいように思うのに。
私は、今年のファンタジーオンアイスはプレゼントを用意しなかった。プレゼントを考えたり、渡すのもファンの愉しみの一つであるが、トラック1台分にもなるプレゼントは、運んだり仕分けをするのは大変な負担になりそう。1つでも減らしたほうがいいのではと思ったからだ。
これは、村上大介さんがアップしたyou tube動画を見て、確信したことだ。村上大介さんの動画はプレゼントに対する感謝の動画だけれど。アメリカに帰る飛行機に乗る前夜に、このプレゼントをすべて開封してコンパクトに荷物としてまとめなくてはならないから、今夜は徹夜になるかもしれないというようなことを言っていた。
ファンの気持ちを大切にする人なら誰でも、プレゼントは粗末に扱えない。プーなどぬいぐるみは寄付するにしても、それ以外の手作りの作品など、心のこもった品々は捨てがたく、置く場所も考えなくてはならない。数がすごいだろうから、それにかける時間も大変だろう。
人々の思いを愛情も応援も期待も、一身に受けとめてきた羽生さんを、そっとしておいてやりたい気持ちが私の中でまさっていたのだ。
そして、24時間テレビの話に戻るけれど、楢葉町の裁縫教室の方の言っていた言葉、「素敵な日もあった。私たちは大丈夫です。」
ああ、いい言葉だな、とじ~んときた。
2015年のいわき市の仮設住宅訪問時には、「またいつかお会い出来たら…、それも楢葉で。」という裁縫教室の婦人の言葉に、「そう思います」と答えた羽生さんは、ちゃんとそれを覚えていたのだ。この有言実行もたいしたものだと思う。
(羽生さん、長い間私たちに心を傾けてくれてありがとう。でも、もう大丈夫。その思いは解き放ってね。今度は自分のことに思いを傾けてね)と婦人は告げているのだ。
一つ肩の荷を下ろしたに違いない羽生さんは、新しい、また新しい課題、違った自分を見つけにいくだろう。
24時間テレビに羽生さんが出ていて、しばらくぶりの羽生さんの映像だった。
この映像を撮影したのは、たぶんファンタジーオンアイスが終わって1週間以内のことだろうから、7月初旬ではないかしら。
ファンタジーオンアイスが終わってから、しばらく羽生さんのことを書いていなかったけれど、忘れていたわけではない。
今頃になったからこそ書こうという気になる。
7月2日の国民栄誉賞以来、新しいニュースはなく、7月中旬にはトロントへ戻ってしまったところを見ると、もうゆっくりのびのびできるのはトロントしかないのではと私には感じられた。
オリンピック2連覇の後、足の状態がそれほど思わしくないのに、長いアイスショーのシーズンをこなし、終わってから日本で骨休めをしてもよさそうなものを、トロントへ戻ったのは、もう日本は落ち着ける場所ではないのではと思ったのだ。
その頃、ネットも憶測だけで、ことさら大ごとのように書かれたものがたくさん出て、うんざりするような気分だった。何も言わないこと、そっとしておくことが一番いいように思うのに。
私は、今年のファンタジーオンアイスはプレゼントを用意しなかった。プレゼントを考えたり、渡すのもファンの愉しみの一つであるが、トラック1台分にもなるプレゼントは、運んだり仕分けをするのは大変な負担になりそう。1つでも減らしたほうがいいのではと思ったからだ。
これは、村上大介さんがアップしたyou tube動画を見て、確信したことだ。村上大介さんの動画はプレゼントに対する感謝の動画だけれど。アメリカに帰る飛行機に乗る前夜に、このプレゼントをすべて開封してコンパクトに荷物としてまとめなくてはならないから、今夜は徹夜になるかもしれないというようなことを言っていた。
ファンの気持ちを大切にする人なら誰でも、プレゼントは粗末に扱えない。プーなどぬいぐるみは寄付するにしても、それ以外の手作りの作品など、心のこもった品々は捨てがたく、置く場所も考えなくてはならない。数がすごいだろうから、それにかける時間も大変だろう。
人々の思いを愛情も応援も期待も、一身に受けとめてきた羽生さんを、そっとしておいてやりたい気持ちが私の中でまさっていたのだ。
そして、24時間テレビの話に戻るけれど、楢葉町の裁縫教室の方の言っていた言葉、「素敵な日もあった。私たちは大丈夫です。」
ああ、いい言葉だな、とじ~んときた。
2015年のいわき市の仮設住宅訪問時には、「またいつかお会い出来たら…、それも楢葉で。」という裁縫教室の婦人の言葉に、「そう思います」と答えた羽生さんは、ちゃんとそれを覚えていたのだ。この有言実行もたいしたものだと思う。
(羽生さん、長い間私たちに心を傾けてくれてありがとう。でも、もう大丈夫。その思いは解き放ってね。今度は自分のことに思いを傾けてね)と婦人は告げているのだ。
一つ肩の荷を下ろしたに違いない羽生さんは、新しい、また新しい課題、違った自分を見つけにいくだろう。