はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

流されてちょっぴり悲しい

2020年02月28日 | 雑感

2020/02/27

 

私は自分の感覚を信じるほうで、噂のような類にはあまり流されない。そして、後から振り返ってみると間違っていなかったと思うのだ。

昨日、ティッシュやトイレットペーパーが買い占められているというのをニュースで知った。家の在庫を調べると、2か月分はあったので今は買わなくても大丈夫だと思った。

食品についても非常用アルファ米も置いてあるし、日常の食品は揃っていて、何も買う必要はないと思っていた。

 

今日、知り合いから電話があった。

ショッピングモールに行ったら車が行列していたので何かと思ったら、トイレットペーパーや米を買うための列だったという。そして自分も買ったから、私にも買ったほうがいいというのだ。

パンデミックになったら、きっと物資が流通しなくなって足りなくなる、外に出られなくなって家で非常食料を使うことになるかもしれない、備蓄しておくに越したことはないと。

私もなるほどと思った。備蓄しておくのも悪くない。

そこで電話を終えてから買い物に出た。もう夕方だった。

ティッシュ、トイレットペーパーは4つのスーパー、薬局をまわったがひとつもなかった。噂通りだったのでびっくりした。誰が買ったのだろう。みんなどうして噂を知っているのだろう。

暗くなって寒かった。暗い街を人をよけ自転車で走りながら、なんだか悲しくなってしまった。

私は何をやっているのだろう。

今日、明日に必要なものではない。少なくなった時に補充すればいいことだ。急に紙類をたくさん使うこともないと思う。

3.11のときだって、私は買い占めなかった。必要な人にそれが届けばいいと思ったから。困っていない私は買うまいと思っていた。

お米はスーパーにあったので1袋買った。「お1人様、1袋限り」と紙が貼ってあったから、米も買い占めている人がいるに違いない。でも食品は溢れ、足りないとはとても思えなかった。

ああ、自分の勘を信じないで、珍しく人の話に流されて走り回ってしまったなあと思った。

米の袋を持って家に帰った後も、なんだか気落ちしてしまった。自分の平穏だった気持ち、判断をかき乱された感じだった。突然の電話(電話はいつだって突然だ)には心構えがない、つい考えずに応じてしまう。

 

新型コロナについては思うことが多くて、今は整理して書くことはできない。

でも、ひとつ言えることは、この感染症が、将来、働き方の改革や子どもたちの登校、学習方法に革新をもたらすきっかけになるのではないかと思う、ということだけ書いておこう。

 

 

コメント
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