2021/12/17
11月に国立近代美術館の「民藝の100年展」を見に行って
白洲正子が器について書いた本が家にあったのを思い出しました。
一時期、白洲次郎・正子夫妻がよくメディアに取り上げられたことがあり
そのころ、白洲正子が使っている器とはどんなものだろうと、この本を買ったのでした。
あらためて読みかえしてみると趣が深い。
今となっては、自分のなかでは忘れかけている日本の美に対する心持ちが、湧き上がってきます。
「花器」の章より、引用させていただきます。
花の占めたる位置のたしかさ
これは木下利玄が大正11年(1922年)、病床において詠んだ歌で
数年後に四十歳で亡くなった。
この歌は何か動かしがたい覚悟とでもいいたいものが表れており
幽明の境にほのかに浮かんだ牡丹の花に
永遠の命を託した静かな喜びが感じられる。
もともと花とはそういうものである。
自然の花が美しいのは当たり前のことだが
人間が関わることによってそれは一つの「思想」となる。
有名な利休の逸話に
秀吉に所望されて庭一面に咲いたみごとな朝顔で茶会を催すことになったとき
利休はその朝顔を全部切ってしまい
たった一輪だけほの暗い茶室の床の間に活けたという。
これが茶道の神髄であり、花を生かすことの意味である。
花を活けるときは、花器が大いにものをいう。
私の場合は、花器が師匠であった。
器を見たときに花の形は決まっている。
べつに高価なものでなくてもよい。
時には庭の竹や石や灰皿で間に合わせることもあるが
私が一番うれしかったのは
近江の堅田のつくだに屋さんで
つくだにを煮ていた大笊(ざる)をもらった時である。
何十年も使ったのですばらしい味になっており
あれに寒菊をばっさり入れたらどんなにいいだろうと思っていたら
二つ返事ゆずって下さった。
今は私の宝物の一つになっている。
(本の写真を私が撮ったもので、真ん中に見開きの線が入っています)
寒菊を入れたらきっときれいでしょうね。ほんとうに。
籠に活けた紅葉の、こんな写真もありました。
次の、椿を活けた花器は、平安時代末期の「須恵器経筒外容器」だそうです。
お経を入れた須恵器の経筒を守る外箱にあたるもので、しっかりしている。
白椿を一輪入れても、紅バラを20本入れてもたじろがない
と白洲正子は書いています。
これはもとは坂東三津五郎が持っていたものだそうです。
この本を読んで、町田市鶴川にある白洲邸「武相荘」を訪れたのは2009年1月のことでした。
見学できるように開放されていました。
茅葺きの古い大きな農家で、まわりの自然も素晴らしいものでした。
武相荘にショップがあり、心惹かれた1枚の皿を買いました。
黒漆の直径18㎝の木製皿です。
買うときに「骨董品ですがいいですか?」と訊かれたのでした。
骨董品とは知りませんでした。
骨董品である方がかえってうれしい。
木製で軽く、つやもあります。
骨董品と呼ばれるものを買ったのは初めてでした。
この『器つれづれ』の本を作っている最中、
1999年12月26日に白洲正子は88歳の生涯を閉じてしまいました。
遺された娘の牧山桂子さんの尽力で出版されたそうです。