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「式内社」は「延喜式内社」ともいい、律令制度による支配を行った大和国家で平安時代中期の延喜5年(905)に編集された「延喜式」の中の、当時の官社(律令制の神祇官または国司の祀るべき神社)として神名帳に載っている神社のことです。
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式内社は全国で3132座(祭神の数)、2861社(神社の数)が記載されており、それらは約1200年前に実在した由緒正しい、格の高い神社ということになります。
常陸国では大社7座7社(いずれも名神大社)、小社21座20社の計28座27社が記載され、常陸大宮市ではこの立野神社だけです。
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立野(たての)神社は、社伝では約1400年前の大化2年(646)に久自国造の物部氏の一族、立野連が現在地から約1キロ離れた西塩子との境の立野山の山腹に祖神を祀ったのが始まりとされています。
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その後、天正年間(1573~1592)にこの一帯を治めていた佐竹氏の一族の小瀬庄三郎義隆が、現在地にあった白幡山の鹿島神社に合祀して立野鹿島神社と称して、小瀬の総鎮守としましたが、その後いつの頃からか立野神社と呼ばれるようになったと伝わります。
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木製の鳥居は、近辺では珍しい本柱の前後にそれぞれ低い控え柱を設けた両部鳥居です。
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大きな石をくり抜いた手水舎はこじんまりとしてまわりの景観に溶け込んでいます。
御祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなつとべのみこと)で、風の神とされ、風を防ぐことから五穀豊穣の神、嵐除けの神としても地域の人々に信仰されてきました。
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天保5年(1834)水戸藩9代藩主徳川斉昭公より地方二十一石寄付され、また、明治5年(1872)には最後の藩主だった昭武公より水戸家重宝の塗弓一張が奉納されました。
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本殿の千木は外削ぎ、鰹木は5本でした。千木の削ぎ方や鰹木の数で男神、女神を分けるという説は現在では俗説とされているようですが。
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伊勢神宮遥拝門…500キロ以上離れた伊勢神宮に行かなくてもここから遥拝することができます。
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茨城県北の2社5寺で「佐竹七福神巡り」を設けており、ここは大黒天でした。
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摂社が多く中には小さいながら凄い彫刻の施された社もありました。
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見事な龍の彫刻と木鼻まで付いた摂社は稲荷神社です。
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本殿の下には緒川が流れています。約10キロ南で那珂川に合流し、那珂湊で太平洋に流入します。
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左右の狛犬は長い年月を経て表情がまろやかになったような気がします。
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神輿殿には社紋の左三つ巴の入った金色の神輿が格納されていました。
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6月初旬に行われる境内社の素鵞(そが)神社の祇園祭ではこの神輿の渡御があり、静か山里は威勢のいい喧騒につつまれるそうです。(※写真はチャレンジ茨城県民運動HPよりお借りしました)
昔の儘のたたずまいを残すこの緒川地域には1100世帯ほどが散在しているだけですが、地域の方々に崇敬され、ともに長い歴史を刻んできた神社の姿を見ることができました。