顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

錦秋の偕楽園公園

2016年11月19日 | 水戸の観光
梅花の印象が強過ぎる偕楽園周辺ですが、秋が深まると、えっこんなとこに!というように色付いた木々が自己主張をはじめます。

まずは近年人気のもみじ谷です。護国神社から徳川ミュージアムに向かう谷沿いに遊歩道をつくり整備されました。谷間ですので鑑賞、撮影は午前中がいいかもしれません。

護国神社入口向かい側の淵明堂跡、2代藩主光圀がこの丸山の上に小さな堂を建て、敬愛する中国の詩人陶淵明の木像を安置し、淵明堂と称しました。また堂の壁に猩々の絵を描かせたので猩々亭とも呼ばれました。

9代藩主徳川斉昭と7番目の子、最後の将軍となった徳川慶喜の親子像は千波湖畔で紅葉に囲まれていました。ともに激動の幕末に大きな足跡を残しました。

湖畔の紅葉の間から、好文亭を撮ってみました。最近街路樹で人気のモミジバフウ(紅葉葉楓)のようです。紅葉(もみじ)の葉に似た楓(フウ:カエデとは近似種)というのが名前の由来です。

常磐神社境内の義烈館は、2代藩主光圀(義公)と9代藩主斉昭(烈公)や水戸学などに関連する資料が展示されています。

偕楽園内のもみじ谷と勝手に名付けた、吐玉泉南側の水のある一画はいつものように人通りもなく、ひっそりと最後の晴れ着を見せていました。

暁鐘は旧制水戸高校の寄宿舎の暁鐘寮にあった鐘楼の鐘です。弘道館の学生警鐘に由来して昭和10年に建てられ、戦時中に供出されましたが、昭和44年に復元鋳造、その後この場所に建てられた鐘楼に吊るされました。破帽、マント姿の卒業生が記念日には姿をみせていました。

隣接した茨城県歴史館には、偕楽園の西門から県道の下を通って行けるようになりました。銀杏並木は半分くらい葉が落ちてしまい、黄色い絨毯になっています。少し臭うのは銀杏の実、あまり拾う人も最近は見かけなくなりました。飽食の時代ですが、かく言う仙人は、別な公園で(数えながら)700個以上拾いあちこちに分けてあげました。
やがて葉もすべて落ち、寒い冬の到来です。

山くれて紅葉の朱をうばひけり  与謝蕪村
濃紅葉に涙せきくる如何にせん  高浜虚子