顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

巨人たちの足跡…水戸市埋蔵文化財センター企画展

2020年01月18日 | 水戸の観光

明治22年(1889)に水戸が市制施行されたちょうどこの年、「常陸国風土記」に巨人伝説とともに記された貝塚が,現水戸市塩崎町に所在することが確認されました。この「大串貝塚」発見から130年、水戸市の近代的埋蔵文化財調査が始まり、「台渡里官衙(が)遺跡群」「吉田古墳」などの国指定史跡発見へと続く足跡と現在を「総まくり」した企画展が水戸市埋蔵文化財センターで行われています。

展示構成の序章では 「近世 考古学、胎動す-水戸黄門「発掘」記」で、水戸藩2代藩主光圀公が栃木県大田原市湯津上で発見された那須国造碑の主を調査するために、古墳を発掘、記録して、保存のため埋め戻した日本考古学の最初とされる業績を取り上げています。

第一章は「明治 伝説の巨人、その正体-若林勝邦と大串貝塚-」、明治22年(1889)帝国大学人類学研究室の若林勝邦によって存在が確認され、その後「常陸国風土記」に記された貝塚として多くの研究調査が行われ、国指定史跡になりました。

常陸国風土記の那賀郡には…
平津の駅家の西一二里に岡あり。名を大櫛という。上古人あり。体は極めて長大く、身は丘壟の上に居ながら、手は海浜の蜃を摎りぬ。その食らいし貝、積聚りて岡と成き、時の人大朽の義を取りて、今は大櫛の岡という。その践みし跡は、長さ四十余歩なり。尿の穴の径は、二十余歩許りなり。

第二章は「大正 仄暗い、石室の奥に-柴田常恵と吉田古墳-」、大正3年(1914)採土のため掘削され小さな塚から石室が現れ、調査に訪れた帝国大学柴田常恵により線刻壁画をもつ古墳として発表され、後の調査で「石室奥室に線刻壁画をもつ八角形の古墳」として日本唯一のものとされました。

第三章 「昭和 よみがえる、古代の甍-高井悌三郎と台渡里廃寺跡-」、昭和9年(1934)茨城女子師範学校の高井悌三郎が畑で一片の古瓦を発見したのが始まりで、その後数度の調査を経て古代寺院や官衙跡が明らかになり、台渡里官衙遺跡群として国指定史跡になりました。

第四章 「平成 埋文センター、始動-相次ぐ新発見と新しい公開・活用手法の模索-」、平成3年(1991)大串貝塚の保護活動を目的に整備された大串貝塚ふれあい公園内のL.E.Cセンターがその後埋蔵文化財センターとして始動、年間の発掘調査は200件を超えるようになりました。

第五章 「令和 祝え、新時代の到来を-水戸市埋蔵文化財センターのいま、そしてこれから-」では、国民の財産である文化財を保護、保存して後世に伝えてゆく使命と、市民の生活に関係する開発とのバランスを模索しながらの今後の意欲が述べられています。

地味ながら内容の濃い、しかもオシャレな展示で楽しめる企画展でした。スタッフの意気込みも充分感じられますので、ぜひ水戸の古代から現在に至る先人の足跡に触れてみてはいかがですか。

なお、展示は2月24日(祝)まで、入場無料、9:00~16:15、月曜休館(祝日の場合は翌日) 水戸市塩崎町1064-1 水戸市大串貝塚ふれあい公園内  電話029-269-5090