水戸市街地北西部のロマンチックゾーンとよばれている一帯には、水戸大空襲を免れた歴史的な遺産が数多く残っており最後の紅葉を見せていました。(15日撮影)
水戸八幡宮は紫陽花で有名、初夏には50種5000本が咲き誇りますが、杉林の中に山あじさいを揃えた「あじさいの小路」付近はまた違った晩秋の顔を見せてくれます。
重要文化財の本殿の色がまるで紅葉の色です。天正18年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼした佐竹義宣公が、慶長3年(1598)に建立したと伝わります。佐竹公お抱えの「御大工」吉原作太郎(当時15才)を棟梁に、60名程の工匠の名が本殿内墨書に記されているそうです。
壽昌山祇園寺は、明から渡来した東皐心越禅師を開祖とし、水戸徳川家2代藩主光圀公の創建になる曹洞宗の寺院です。
心越禅師は詩、書、画に優れ、琴 (きん) の師としても多くの弟子を養成、日本篆刻の祖としても知られています。
境内には幕末期の諸生派首魁市川三左衛門、朝比奈弥太郎や洋画家の中村彝、詩人の山村暮鳥などの墓所があります。
桂岸寺の仁王門です。通称谷中の二十三夜尊(三夜さん)で親しまれている真言宗豊山派の寺院で、境内の庭園「保和苑」は100種6000株の紫陽花が咲く観光スポットになっています。
最近必ず仁王像を格子の間から撮るのが習慣になってしまいました。火災のあと大正11年(1922)の再建とされますので、その頃の作でしょうか。
桂岸寺は水戸徳川家創設時からの附家老中山家の墓所香華院として天和2年(1682)に建立され、後に2代藩主徳川光圀公によって保和院と改称され、さらに宝暦5年(1755)大悲山桂岸寺保和院と称し京都御室仁和寺末となりました。
その庭は光圀が保和園(後に苑と改称)と名付けお気に入りだったようです。
本堂前には助さん格さんを従えた水戸黄門(光圀公)の石像が紅葉に囲まれています。隣接の常磐共有墓地に墓のある格さんが左側で印籠を手にしているこの像は、昭和50年(1975)に郡山在住の信者の方の寄贈とされています。水戸市内にはこの他に黄門像がいろいろありますが、これは独特の親しみやすい顔つきをしています。
赤い朱雀門を入った先の「愛染明王堂」は縁結びで人気の神様で平成元年(1989)の再建、紅い色が賑やかな一画です。