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水戸藩の藩校弘道館には数本の蝋梅があり、数輪咲き始めた早咲きの梅より先に、黄色い花を咲かせて芳香を漂わせています。蝋梅でも基本種の地味な「和蝋梅」という品種です。
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弘道館は天保12年(1841)水戸藩9代藩主の徳川斉昭公が開設した藩校で、ここでの学問は「水戸学」といわれ、幕末の志士たちに大きな影響を与えました。
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幾度かの戦火を奇跡的に免れた正門、正庁、至善堂が当時のまま残っており、国の重要文化財に指定されています。
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正面玄関は6坪の板貼りの式台があり、尊攘の雄渾な掛け軸がかかる24畳の諸役会所(控えの間)につながります。
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正面玄関の鬼瓦に付いた水戸葵紋、冬空と蝋梅が鮮やかです。
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左手には藩主隣席の儀式などを行う正席の間、二の間、三の間があります。
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正庁の畳廊下には銃痕や刀疵が残っています。明治元年(1868)10月、ここでの藩内抗争最後の戦いで約200人ほどの藩士が亡くなっています。
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正庁の奥の至善堂は、藩主の休息所と諸公子の勉学の場所、最後の将軍で斉昭公の第七子慶喜公もここで5歳から文武に励まれました。雨戸の部屋が藩主の御座の間です。
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至善堂一番奥の御座の間は、慶喜公が約3か月ここで謹慎して朝廷に恭順の意を表したことで知られています。
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至善堂には御座の間のほかに二の間、三の間、四の間、溜りの間があり、正庁との間は十間の畳廊下で結ばれています。
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蝋梅と築地塀…、正門の袖塀は重要文化財なので、東日本大震災の補修は国の施工、築地塀は県の施工で行ったそうです。
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早咲きの八重寒紅にも白壁の築地塀が似合います。
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こちらは八重冬至、冬至の頃に咲くから名付けられた早咲きの梅です。何年か振りに7cmの降雪を記録した雪が残っています。
斉昭公の有名な七言絶句、「弘道館中梅花を賞す」で「雪裡春を占む天下の魁」(雪の残る中で春を独り占めして天下のさきがけのようだ)と梅の花を詠っていますが、幕末の動乱や藩内抗争で2000人近くの藩士が亡くなった水戸藩の、先駆け過ぎた悲哀を感じてしまいます。