城里町の阿野沢にある瑞雲山龍谷院は、長禄3年(1459)に佐竹氏の庶流で大山城主の佐竹義成の開基、秀峰宗岱大和尚開山の曹洞宗の古刹です。
新緑の山裾に甍が見える遠景は、深遠な雰囲気を漂わせていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/13/c09b7563bce5cde818c2de2a9879c615.jpg)
本山は、福井県永平寺と横浜市の総持寺です。この龍谷院の末寺もかつて36ヶ寺に及びましたが、現在でも茨城県と秋田県の7つの寺が法燈を守り続けています。
龍昌院(茨城県那珂市)・円通寺(茨城県笠間市大田町)・泰寧寺(茨城県石岡市)・龍勝寺(茨城県つくば市)・照岩寺(茨城県石岡市)・金仙寺(茨城県筑西市)・龍昌院(秋田県横手市)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/6f/3f63c81274b9546a61353bd2da4bbed4.jpg)
参道はまず樹木に覆われた石段から始まります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/de/68a2396ccdadca5135de5d30ceab0f3d.jpg)
文化8年(1811)建立の山門、扁額は日本篆刻の祖といわれる東皐心越(とうこうしんえつ)禅師の書です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/af/06af30c27f6fd6fb68b8a297d27af798.jpg)
禅師は16世紀半ば明が滅亡した中国から日本に亡命してきた高僧で、水戸藩2代藩主徳川光圀公に請われ水戸で祇園寺を開山し、曹洞宗寿昌派の祖となり、篆刻、絵画、書、詩文、琴(七弦琴)など一流の中国文化を伝えたといわれます。特に篆刻については、「日本篆刻の祖」といわれ、その作品が各地に残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/26/df4270bcdada09292c35ec4480c5dea8.jpg)
中門に花の寺の案内がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ce/c9152ef5a0752d801e0b304423863fef.jpg)
茨城県の北西部、城里町、常陸大宮市、那珂市、笠間市の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて、十二支の守り本尊と花めぐりのコース「開運 花の寺めぐり」を平成17年春に設けたと記されています。
この龍谷院はその一番寺ですので、子(ね)年生まれの守り本尊の千手観音菩薩が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/4d/2529a8859331300af0e0cdd8a8b1b487.jpg)
昭和54年(1979)に建て替えられた本堂は鉄筋コンクリート製ですが、それほど違和感はありません。本尊の釈迦牟尼仏は、明応8年(1499)鎌倉の仏師、法眼秀林の作とされています。
天水桶にある佐竹の紋「5本骨扇に月丸」が輝いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/b1/48e199db1289f2af6766730d68798485.jpg)
観音堂には大山城主佐竹義成公の守り仏千手観音菩薩が安置され、子の歳の守り本尊として、安産、虫きりにご利益があると信奉されています。
観音堂の格子は左甚五郎の作といわれ、特殊な組み方をしているという情報もありますが詳細は不明です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/7d/2a0c9ac544c66df52c5fc3264e593aa2.jpg)
西南に迫っている白山(213m)や赤沢富士(275m)の山塊に抱かれた境内は、四季折々の自然とまるで一体になっているようでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/f0/3eb3c3b79613f9cf537520bc09f26db5.jpg)
すでに春の花は芍薬と山ツツジになっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/9f/b178112c7d07e884a695b0c31f19d89c.jpg)
境内の隅にシャガ(射干)が咲いていました。アヤメ科の多年草、山陰の生育環境がお気に召したようで大きな群生になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/40/66a17a4b09d2ff21c5570914cb0bf747.jpg)
見事な石垣は、1m以上の大きな石をきれいに加工して積んだ「切り込み接ぎ」です。城郭の石垣の歴史では完成された最後の様式で、戦国時代の末期に登場し、江戸城の石垣などに見られます。もちろん当時のこの地方にはその技術はなかったので後世のものでしょうが、整然と積まれた石垣は素晴らしいの一言に尽きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/09/ccc527059128abb97599587ff1a1ee46.jpg)
シャガの写真を伸ばしたら、上部にハナグモ(花蜘蛛)が写っていました。花の中に棲み蜜を求めて来る昆虫を捕食する羨ましい住環境の蜘蛛です。
暇に任せて近隣の神社仏閣や城址の歴史を訪ね歩いていますが、行動範囲が年々狭まる中でもまだまだ知らないところが多く、新しい発見に感動しきりです。