顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

文殊院、花の寺5番寺…戸村城の出城的位置

2023年06月17日 | 歴史散歩

茨城県の北西部の寺院八ヶ寺が宗旨を超えて設けた、十二支の守り本尊と花めぐりの「花の寺」の5番寺は、那珂市にある真言宗智山派の朝日山文殊院乗蓮寺です。

永承年間(1050年頃)に創立され、佐竹氏一族の戸村城の祈願所として信仰され今でも佐竹氏の紋が付いています。


近隣では戸村観音文殊院という名で親しまれています。


山門への長い参道は季節を彩る花が植えられています。


山門の扁額は、文殊院です。


山門をくぐるとお城の堀のような位置に川が引き込まれています。


本尊の十一面観音菩薩像は、桜川の雨引き観音像と同じ木で作られているという情報もありました。
花の寺の午年の守り本尊、勢至菩薩も祀られています。


本堂の扁額は戸村観音となっています。
現在でも安産子育ての戸村観音として信仰厚く、毎年4月17日の縁日には近隣から多くの人々が参拝するそうです。


目を惹く大きな不動明王像やいろんな石像も迎えてくれます。


境内に若宮八幡宮、大杉大明神の二社があるのは、神仏混淆時代の名残でしょうか。

この文殊院は、那珂川左岸の比高約6mの河岸段丘上にある中世城址戸村城の出城的な一画を占めています。

戸村城は、永暦元年(1160)藤原秀郷流の那珂氏3代通兼の子で能通がここに居城し戸村氏を称したといわれます。南北朝時代に南朝方として、常陸瓜連城の楠木正家に従い活動しましたが、北朝側の佐竹氏に敗北し那珂氏一族とともに戸村氏は滅亡しました。
その後15世紀、佐竹氏12代佐竹義人(義憲)の3男義倭が、寛正元年(1460)ここを修築して居城とし、戸村氏を称して佐竹氏の南方を代々守りました。慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田へ転封なると従属し、寛文12年(1672)からは横手城代として佐竹氏の重臣をつとめました。

城址主郭部は東西400m、南北300m、外郭を含めると東西最大450m、南北700mで、その主郭部は南側にあり、その東側と北側の外郭部には、家臣の住居や城下町があったと推定されますが廃城以来400年、農地、宅地化が進み土塁や堀の一部がわずかに残るだけです。