いま、東海村の歴史と未来の交流館で「東海村の人物はにわ図鑑」という企画展が開催されています。(3月5日まで)
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日本国内で原子力の火が最初に灯った東海村は、村としては全国2番目の人口(36,000人)で、昭和30年(1955)に近隣2村が合併し、藤田東湖の「正気歌」にある「…卓立東海濱…」から命名されました。
この科学先端の地にはなんと4世紀から7世紀までの古墳が約80基もあり、今回はその出土品の中の人物埴輪が展示され、眉目秀麗な先人たちに出会いましたので一部ご紹介いたします。
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長い髪を真ん中で分け顔の左右で結んでお下げ髪のように垂らした「美豆良(みずら)」という男子の髪型です。古墳時代の男子は髪を長く伸ばしおしゃれに束ねていました。
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女子の埴輪です。頭に載せた粘土の板は、長い髪を前後で折り返して束ねる「古墳島田」という当時の女性の髪形です。
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丸い帽子を被った埴輪、頭頂部から十字に垂らした帯が印象的な丸い帽子は、特別な儀式に被るもののようです。
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左側は帽子を、右側は頭巾を被る男子の埴輪です。顔の左右に丸い輪にした粘土を張り付けて耳を表現しています。
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跪く男子の埴輪は哀悼の気持ちを伝える様子を表現しているという説もあります。
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美しい顔立ちで顔には赤い化粧のあと、口の周りに塗られた紺色は髭の表現です。威厳や気高さが感じられ王の埴輪とする説もあります。
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腕と弓は欠けていますが、弓を担いだ身軽な装備の武人埴輪です。
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盾持つ人物埴輪の頭部と胴体、古墳に背を向けて守るように置かれていました。頭部には天辺が二つに分かれた帽子を被っています。
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東北地方の土器の特徴を持つ大木式縄文土器の深鉢です。細かい装飾が施されており、作られた地方との交流があったことが推察されます。
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村内の古墳80基は、ほとんど水辺を見下ろす台地の上にあります。近くの真崎古墳群を訪れてみました。
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前方後円墳1基、6角形墳1基、円墳5基、方墳1基の8基の古墳がまとまっています。
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珍しい六角形の古墳です。
古墳群の南側の水田地帯は、当時海の入り江になっていて真崎浦や細浦を形成し、北側の標高差20mくらいの海岸段丘の上にこの古墳群があります。
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この地方の水上交通を掌握し付近を治めた権力者の墳墓が、水上から仰ぎみる高台の上に屹立している光景が目に浮かんでくるようです。
コメントありがとうございます。
人物埴輪は当時の王や付従した人々の諸儀礼の様子を具体的に
表して古墳の墳丘上にずらりと並べられていたそうです。1500年前の
我らが祖先の生活を思い浮かべてしまいます。