ブログのネタ探しなど、たまの外出で特に暑い日などには、つい手軽に腹に入る蕎麦になってしまいます。食通ではないので気の利いた食レポをおとどけできませんが、訪れた4つの蕎麦店のご紹介です。訪問時期はずいぶん前のもありますが…
そば吉(水戸市萱場町)は、30年以上も前からの馴染みの店ですが、20年ぶりくらいの訪問です。
海藻そば、きのこそばで知られた名店で、広い店内ですが昼時はすぐ満席になります。
太めの田舎そばが少し細目になったのは、代変わりしたからでしょうか。本当はもり蕎麦でいいのですが見得張って50円高いざるそば650円、値上がりはしても価格の安さは周辺の店をしのいでいます。あまり気取らないのがここの特徴で、卓上に天かすが置いてあり、そば湯もポットに入って温かさを保っています。
近くの匠庵(しょうあん)は、店舗前の道路が水戸市との境になっていて、住所は茨城町大戸です。
常陸秋そばを石臼挽きでの十割そばがこの店の売りのようですが、のど越しを優先して二八のもりそばを頼み、川海老のかき揚げを付けてもらいました。
細切りを謳うだけあって、細めの蕎麦が好みの仙人もさすがにびっくり、もちろんのど越しもよく、細切りでも噛み応えもあり美味しくいただきました。
こちらも常陸秋そばを看板に掲げた三六庵(みろくあん)、都内の料亭で板前をしていた店主が、「常陸秋そば」という全国ブランドの産地に近い那珂市菅谷に出店しました。
民家を改築したという店内は、天井が高く、黒光りする梁と間接照明が雰囲気を出しています。
玄そばを脱穀し石臼で自家製粉するそばは細切りで、食感がよく香りが感じられました。
夜は予約限定で新鮮な魚介類のコース料理も出して板前時代の腕を振るっていると聞きました。
2年前に築70年の古民家を改装したそば処里美(常陸太田市大中町)は、保養所にする予定の埼玉の会社が、広い庭が見事なため、多くの人に楽しんでもらおうと蕎麦店を開きました。
製材業を営んでいた前の所有者の造った見事な庭は大きな石や築山を配し、周りの山里の四季に違和感なく収まっています。
地元産の常陸秋そばを自家製粉し、二八の割合で打っています。細めの麺と少し辛めのツユは仙人の好みでした。
あまり大きな改装はしない店内は、テーブル席と座敷を合わせて24席、独り客向きの廊下の窓際席は見事な庭を眺めながらそばを啜れました。
ところでざる蕎麦ともり蕎麦の違いは、海苔がのっているかどうかと認識していましたが、調べてみるとそばの長い歴史がありました。
そばが中国から日本に伝わったのは、奈良時代以前といわれ、当時は主食ではなく雑穀として「粥」や、「そばがき」にして食べていました。その後室町時代には麺状に切った「そば切り」を汁につけて食べるようになりますが、江戸時代になると麺に直接汁をかけた「ぶっかけそば」が流行したので、区別するために汁に付けて食べるのは「もりそば」と呼ぶようになったそうです。江戸中期には、深川の伊勢屋で水が切れるよう、竹のざるにのせて供したことから、「ざるそば」が名付けられました。
明治になると「ざるそば」を少し高級なそばとして「もりそば」と区別するため、そばつゆにみりんを加えたり、のりを乗せるようになりました。現在では約50円~100円の価格差がありますが、材料や味の違いはほとんどないところが多く、両方を区別してメニューに載せてない店もありますし、セットメニューでは海苔なしが多いような気がします。
また西日本では区別せずにどちらも「ざるそば」ということが多く、東日本や北海道では使い分けが多いという分析結果もあるそうです。
俳句では料理としての「蕎麦」は季語に無く、「蕎麦の花」や「蕎麦刈り」、「新蕎麦」「蕎麦掻き」などが秋や冬の季語として載っています。
新蕎麦やむぐらの宿の根来椀 与謝蕪村
痩山にぱっと咲けり蕎麦の花 小林一茶
蕎麦がきやねりそこなふて曇る月 藤野古白
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます