顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

ヘクソカズラとツルボ

2015年09月13日 | 季節の花


高速の側道のフェンスに絡まっていました、いまどこでも見られる花です。
ヘクソカズラ (屁糞蔓)とは、また衝撃的な名前を付けたものです。確かに花全体に異臭がしますが、それにしても季語(夏)に詠み込むのにも躊躇ってしまいます。
花の中央が赤茶で、お灸の跡のようなので、ヤイトバナ(灸花)ともいうようなので、そちらの方が5文字で使いやすいかもしれませんが、知名度ではヘクソにかないません。

名をへくそ かづらとぞいふ 花盛り   高浜虚子
灸花にも散りどきのきてゐたる   大澤ひろし



町内の空き地に一面のツルボ(蔓穂)、よく似たヤブラン(藪蘭)は花後にユリ科独特の細長い葉が一年中ある常緑多年草ですが、このツルボは花期以外はひっそりとその存在を主張せず、毎年花が咲いたのを見て気がつきます。球根は食糧難のときは、何日もかけてあく抜きをして食したようです。
蔓穂も藪蘭も、私の歳時記には載っていません。情報としてはどちらも初秋の季語として使ってもいいようなことが書いてありました。

小江戸 佐原

2015年09月08日 | 旅行
我が家から約55キロ、70分の道のりでも、今まで行ったことがなかった、小江戸と呼ばれる千葉県香取市佐原に行ってきました。



話には聞いていた佐原の町並みは、水運で栄えた市街地を東西に走る通称香取街道、南北に流れる小野川沿いに建つ江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた木造町家建築、蔵造りの店舗建築、洋風建築などが並んでいます。確かに100年以上前の建物群は、柳と水面の風情と相まって懐かしい雰囲気を醸し出しています。
ただ、建物の傷みや、一部に廃墟化したような建物も見られ、今後このまま維持できるのかと心配になりました。この状態で観光で生きてゆくには行政のテコ入れが相当必要だし、観光客の落とす金額でそれを賄えるかと疑問に思いました。何とかいい知恵出して、保存維持に頑張っていただきたく、エールを送らせていただきたいと思います。



ちなみに、小京都(しょうきょうと)、小江戸(こえど)といいますが、単に読みやすいから「小」の読み方が変わると思っていましたが、京都の読み方は音読みだから、「小」は音読みの「しょう」と、江戸の読み方は訓読みだから、「小」は訓読みの「こ」になると分りやすい解説がありました。

サトイモの花

2015年09月06日 | 季節の花


サトイモの花は、滅多に咲かないと言われているため、「里芋の花が咲くと病人が出る」という言い伝えが残っており、逆に韓国では「里芋の花を見ると幸運が訪れる」といわれているそうです。熱い夏には咲くことがあるらしく、今まで気にしていなかったせいもありますが、今年初めて見かけました。道端の畑で撮ったのはまだつぼみですが、咲いた写真を見ると、同じサトイモ科のミズバショウやカラーによく似ています。
俳句では、芋というと里芋のことで、秋の季語、例句の中に里芋の花もありましたが、芋の花となると晩夏の季語で出ています。いずれにしても、花もそれほど珍しくないのかもしれません。

里芋の花に雨音ありにける  中貞子



いつも通る庭の芝生の上、前の日は見かけませんでしたが、朝突然にキノコが出ていました。直径2センチちょっとのまるで傘のようなかわいい形です。ウエブで調べるとどうも「キコガサ(黄小傘)タケ(茸)」らしい。芝生などによく見かけるキノコで、食毒不明ですが食用にはしないようです。英語では「White Dunce Cap」(円すい形の帽子)と呼ばれています。
季語のキノコの例句を探しても、いわゆる食用の名のあるキノコを詠んだものが多く、毒キノコその他はあまり見かけませんでした。

月光に毒を貯へ毒きのこ   遠藤若狭男
ひと晩で出でてキノコの睥睨す  顎鬚仙人

弘道館の屋根

2015年09月02日 | 水戸の観光
予約案内は小学4年生の団体です、この世代で興味を持ってもらえることは嬉しいことですが、内容と説明する言葉を選ばなくてならないので、とても難しいの一言です。終わってから、屋根を撮ってみました。



正庁の重厚な屋根です、東日本大震災後に屋根の上に覆いをかけ、一年かけて修理しました。伝統的な技法でその道の名だたる職人の指導の下に施工した水戸市のN左官㈱のホームページに下記のように載っています。

『今回の工事は国の重要文化財であり、復元工事のため現代の材料は使用できず伝統的な材料を現場で作成して使用した。今回の仕事で何より、嬉しかったことは、若手左官へ、こまい壁、荒壁、漆喰、屋根漆喰のはら、ひも、印籠、青海波、漆喰彫刻、鬼瓦の漆喰の影盛等の左官の伝統的材料の作り方、工法の伝承が出来たことである。左官の技能伝承は、学校、訓練校、練習では不可能であり、実際の仕事を通して親方、先輩から指導をもらい、実際に仕事をして、失敗を重ねながら習得するしかない。一年がかりの工事であったのでじっくりと若手左官に技能伝承ができたのは、茨城県の左官業界にとっても大きな財産となったと思う。』

漆喰で作った波の動き、きれいな青海波と整列した印籠、職人の方の心意気を見る思いです。通常携われない技術の伝承には、確かに二十年遷宮のようなシステムが必要なのかもしれません。



破風の下部にある懸魚(げぎょ)、この形が弘道館の正門、正庁正面、正庁側面などで微妙に違います。
写真は正面のもの。棟木や桁の先を隠すための飾り板ですが、火災から守るため,屋根にほどこした火除けのまじないとされています。
上部には六葉と菊座があり、中心には樽の口、口をひねると出てくる水をイメージし、左右に流れる鰭、水と深い関係の魚で火伏のおまじない、六葉と蕪にはハート型があり、これは猪目と言うようです。分類的には、猪目懸魚になるのでしょうか、東大寺の鐘楼に似た形のものが出ていました。また、この懸魚の部分は、174年前の建設当時のものか、昭和38年の大修理のときのものかもよく分かりません。
 
正門の懸魚、ちょっと違っています。



正庁側面の懸魚、少し違うのは、大修理の時に腐った部分を取り換えるのでしょうか。