顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

七ツ洞公園とシュウメイギク(秋明菊)

2020年09月10日 | 水戸の観光


七ツ洞公園は平成11年(1999)に水戸市が開設した英国風景式庭園です。水戸市北西部の田園地帯の中に総面積10haで、英国の会社が設計し英国の建材を使って造られました。

高低差のある4つの池は、地形を利用して灌漑用としてつくられた溜池で,江戸時代にも記録の残る古いものだそうです。
その池の周りに廃墟のような構造物がいくつか建っています。

林の中には池を見下ろす広いウッドデッキ、気温が2,3度低く感じられます。

古代ローマ調の建物もあり、園内5か所で阿部寛主演のヒット映画「テルマエ・ロマエ」のロケが行われました。

ところで七ツ洞の名の由来ですが、ここには7世紀初頭の横穴古墳が7つある「七ツ洞の横穴」という史跡で、通常は池の水の下に隠れているそうです。
水戸市のホームページの写真をお借りしました。

秘密の花苑という名の,レンガの壁に囲まれた庭園(ウォールドガーデン)には、イングリッシュローズをはじめいろんな花が咲き誇りますが、ちょうど今は端境期でした。

いたって和風なシュウメイギク(秋明菊)が咲き始めていました。菊という名前ですがアネモネなどの仲間、キンポウゲ科の多年草です。古い時代に中国から渡来し、今では野生化もしており、京都の貴船山でよく見られたので、キブネギク(貴船菊)の別名でも知られ、季語としてはこちらが多く使われているようです。

ひと枝でも絵になるので、茶花や華道にも使われます。最近では八重咲や色のついた花も出回っていますが、やはり白花一重の楚々とした風情が個人的には好きです。

シュウメイギクの花びらのように見えるのは萼片で、花弁は退化しています。キンポウゲ科の植物に多く見られる特徴だそうです。

我が家でも白花を植えていますが、花の感じに似合わず地中の根は太く長く伸びて、いたるところから大きな茎を出して増えるので、マイナス印象になることがあります。

前線の影響でお天気雨の降るような日の撮影になってしまいました。


秋明菊死後の遊びを思いけり         山崎 聰
枯れつゝも秋明菊に景色あり  及川貞
菊の香や垣の裾にも貴船菊  水原秋櫻子



引接寺(いんじょうじ)…水戸徳川家歴代藩主の御霊柩の宿寺

2020年09月06日 | 歴史散歩
元禄9年(1696)水戸藩2代藩主徳川光圀公は、この地にあった広栄山心岸寺という寺を金砂郷に移し、元禄2年に水戸徳川家菩提寺として建立した浄土宗の向山浄鑑院常福寺の末寺として、この引接寺を建てました。

この寺は、光圀公をはじめ水戸徳川家歴代藩主の御神葬式に際し、瑞竜山徳川家墓所に埋葬の御霊柩の宿寺として明治初年までその役目を果たしてきました。(第10代義篤公までか?)
水戸城から瑞竜山墓所までは約25キロ、その街道沿いのちょうど中間あたりに引接寺があるので、ここで葬送の行列が一泊したのでしょうか。
引接(いんじょう)とは仏が衆生を極楽へ導くことなので、寺の名前も一連の埋葬の儀式の意味を持つような気もします。

山門です。光圀山攝取院引接寺(こうこくさんせっしゅいんいんじょうじ)と読みます。

仁王門には仏法の守護神である阿形と吽形の金剛力士像を左右に安置されています。

パワーあふれる金剛力士像、木目が際立っていました。正面から見て門の左側に阿形像、右側には吽形像が安置され、通常とは逆の配置になっています。

本尊の阿弥陀如来は、安良川村(高萩市)の八幡宮に奉安してあったものを 光圀公が引接寺に寄進したものと伝わり、背面に元禄9年(1696)に徳川光圀寄進の自筆刻銘があります。

水戸徳川家の葵紋と浄土宗紋の月影杏葉がついていました。左側は盗られてしまった…?早く戻されることを祈ります。


なお、光圀公が向山浄鑑院常福寺を建立したため、延元3年(1338)創建で家康公や水戸藩初代藩主頼房公の手厚い保護を受けてきた瓜連の常福寺は衰退し、やがて向山に移されて蓮華院と改称され、向山の隠居寺となりました。
しかし天保14年(1843)斉昭公の梵鐘供出命令に従わなかったため、向山常福寺は瓜連に戻され、伽藍なども幕末の天狗の乱で焼失してしまいます。寺宝等は直前に瓜連に移されて無事でしたが、再興の動きは明治維新で途絶えてしまいました。
(写真は瓜連の草地山蓮華院常福寺、三つ並んだ山門で知られています)

朝の表情

2020年09月02日 | 日記
残暑もやっと峠を越しました。
幾夜も続いた熱帯夜の早朝、つい目が覚めてしまい昼間の暑さが嘘のような田んぼ道を歩くことの多かった夏でした。

間もなくギラギラと殺人的な光線に変わる前の、太陽が優しく感じられるほんの一瞬です。

頼りなげな雲もすぐに消失して真夏の太陽が顔を出してきます。

河霧が出ている日がありました、那珂川に流入する涸沼川の上だけに筋状に…。
国木田独歩に、河霧のなか舟を漕ぎ出すシーンで終わる「河霧」という短編があります。
そして9月、心なしか空も空気も澄んできたような気がしました。