三笠小学校裏の三笠山・・・観音山とも呼ばれる。
三笠山は標高119.8mの超低山。近くには三等三角点の滝見沢・三笠山593.6mもあるが夏は行きたくない
。
北海道博物館資料
明治15年(1882年)、この地に空知集治監が設置された際、奈良県出身の看守が郷土の三笠山(現在の若草山)に似ていることから三笠山と命名した。
500本を超す
エゾヤマザクラやヤエザクラのほか、クロマツ、アカマツなど12種類が植樹されている。隠れお花見スポットとして近年訪れる方が増えている。
いまはナナカマドが色づきはじめている。
一番那智山からスタート
きのこいっぱいである。毒キノコ
大杉
頂上は広い。見晴らしは良くない
何度か
車で登っている達布山143.7m二等三角点▲太峰山である。漢詩の勉強兼ねて
久し振りに正規の登山道から登る。
登る人が少なくなったせいかやや不明瞭である
ツユクサは多い
青が映える
ヒグマ🐻もいるのかな
二等三角点の頂上
達布山▲三角点の説明
展望台から高いほうの三笠山
山頂にある漢詩碑。1882年(明治15年)に内務卿として視察に訪れた山田顕義が、達布山からの眺望を詠んだ漢詩を刻んでいる。
在眼天塩石狩洲/長川一帯入空流/可無禦侮張権策/駐馬太布山上秋
眼(め)に在り天塩 石狩の洲(しま)/長川(ちょうせん)一帯 空(いったいくう)に入りて流る/禦侮張権(ぎょぶちょうけん)の策 無かるべけんや/馬を駐(とど)む 太布(たっぷ)山上(さんじょう)の秋
一読しても内容は難しい
奥が深そう・・・
【
日本大学法学部125年記念誌】山田は、長州藩(山口県)出身。松下村塾に入門し、明治維新時には、戊辰戦争などで政府軍の指揮を執ったほか、伊藤博文や木戸孝充らとともに、明治政府の中枢を担い、司法大臣などを歴任。三笠へは1882年(明治15年)に内務卿として、炭鉱や鉄道の視察で訪れた。このとき、三笠市内の達布山からの眺望を漢詩に残している。 日本大学や國學院大學の基礎をつくった。
簡単だけどもう整備されていない散策路
往復25分
硬い岩石でできている達布山の地層の特徴がわかる山頂パネル
三笠市は市一帯が日本ジオパーク(地質遺産)に認定されている「三笠ジオパーク」となっている
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