たまには、真面目にイジメ問題。
「イジメは無くならない?」
学校だけでなく、社会にでても、どこに行っても
イジメはあるよね~って話になって、
だから、強くなるしかない・・とか、
逃げるのも勇気だとか・・大人が守ってやらねば・・とか・・・
そういう議論になりがちですが、
昨日、ご近所さんと飲んでいて、
イジメの構造を考えれば、おのずと防止方法があるという、
見解に・・・かなり目から鱗。
今のイジメの構造とは、
イジメてる本人も原因のわからないような、
言いようのない憎悪とか負のエネルギーのはけ口が
弱い所に向かってしまってる訳じゃないですか。
そのエネルギーの矛先(ベクトル)を
弱い方にでなく、強い方へ変えてあげれば良いのではないか?
それには、先生自らが
そのエネルギーを受け止める悪役に徹する。
今は物分りの良い友達先生みたいのが流行っていて、
一緒になって弱い生徒をイジメてるなんてケースまで
あって、そんなんじゃどうしようもない訳で。
かなり理不尽でも良いことは良い悪い事は悪い。
とにかく強い先生でいなきゃいけない。
弱い所に向いていた負のエネルギーを、
今度は理不尽な先生に向かってく、
しかも、クラスの団結さえできちゃうかもなのだ。
この話を聞いて、「女王の教室」のドラマを思い出した。
先生の持って産まれたキャラもあるけど、
学校の中でその構造改革できるのは、
先生しかいない訳でして、当然 親もそこには
協力が必要不可欠。
自分の家庭の中のことにも置き換えてみた。
先生だけでなく、各家庭でも「友達お父さん」増えてない?
「うん、何してもいいよ、いいよ、いいね、いいね」で
育ててないか?
悪い事をした時、良い事をした時に、
きちんと叱ったり、誉めたりしてるだろうか?
あ、「叱る」ってとこで間違ってるよな。
「怒る」でいいんだよ。
善悪の基準は、あくまでお父さんでいいのだ。
だから、お父さんはその基準を超えたことを
やったりした時は、真剣に怒っちゃえばいいのだ。
大人が本気で怒らないと、子供は絶対にわかっちゃう。
昔のお父さんってのは「頑固親父」であり、
突然、激怒してみたり、急に優しくなったり、
子供にとってものすごーく理不尽な大人だったけど、
それで良かったのだ。
一日も早くこんな親父を越えて、
一人前になりたいと思ったし、理不尽なことを受け入れる
我慢強さみたいなものも養えたような気がする。
「学校の先生だけに悪者になれ!」でなく、
家庭でもお父さんがそういう存在でいることも大事なのかも。
イジメの構造改革とはつまり、
「怖~い先生の復権と、頑固親父の推奨。」
イジメ問題解決の突破口になるのではなかろうか。
(今日は思わず、新聞の投書みたいになっちゃったわ。
出したことないけど・・)
「イジメは無くならない?」
学校だけでなく、社会にでても、どこに行っても
イジメはあるよね~って話になって、
だから、強くなるしかない・・とか、
逃げるのも勇気だとか・・大人が守ってやらねば・・とか・・・
そういう議論になりがちですが、
昨日、ご近所さんと飲んでいて、
イジメの構造を考えれば、おのずと防止方法があるという、
見解に・・・かなり目から鱗。
今のイジメの構造とは、
イジメてる本人も原因のわからないような、
言いようのない憎悪とか負のエネルギーのはけ口が
弱い所に向かってしまってる訳じゃないですか。
そのエネルギーの矛先(ベクトル)を
弱い方にでなく、強い方へ変えてあげれば良いのではないか?
それには、先生自らが
そのエネルギーを受け止める悪役に徹する。
今は物分りの良い友達先生みたいのが流行っていて、
一緒になって弱い生徒をイジメてるなんてケースまで
あって、そんなんじゃどうしようもない訳で。
かなり理不尽でも良いことは良い悪い事は悪い。
とにかく強い先生でいなきゃいけない。
弱い所に向いていた負のエネルギーを、
今度は理不尽な先生に向かってく、
しかも、クラスの団結さえできちゃうかもなのだ。
この話を聞いて、「女王の教室」のドラマを思い出した。
先生の持って産まれたキャラもあるけど、
学校の中でその構造改革できるのは、
先生しかいない訳でして、当然 親もそこには
協力が必要不可欠。
自分の家庭の中のことにも置き換えてみた。
先生だけでなく、各家庭でも「友達お父さん」増えてない?
「うん、何してもいいよ、いいよ、いいね、いいね」で
育ててないか?
悪い事をした時、良い事をした時に、
きちんと叱ったり、誉めたりしてるだろうか?
あ、「叱る」ってとこで間違ってるよな。
「怒る」でいいんだよ。
善悪の基準は、あくまでお父さんでいいのだ。
だから、お父さんはその基準を超えたことを
やったりした時は、真剣に怒っちゃえばいいのだ。
大人が本気で怒らないと、子供は絶対にわかっちゃう。
昔のお父さんってのは「頑固親父」であり、
突然、激怒してみたり、急に優しくなったり、
子供にとってものすごーく理不尽な大人だったけど、
それで良かったのだ。
一日も早くこんな親父を越えて、
一人前になりたいと思ったし、理不尽なことを受け入れる
我慢強さみたいなものも養えたような気がする。
「学校の先生だけに悪者になれ!」でなく、
家庭でもお父さんがそういう存在でいることも大事なのかも。
イジメの構造改革とはつまり、
「怖~い先生の復権と、頑固親父の推奨。」
イジメ問題解決の突破口になるのではなかろうか。
(今日は思わず、新聞の投書みたいになっちゃったわ。
出したことないけど・・)