はや、もう1ヶ月前のこと。 一泊で東京へ遊びに行ってきたよ。
春に行ったバンドの先輩と、「東京タイムトラベル 2018 春」に引き続き、、、「夏」です。
「夏の東京」・・・デブにとっては、「悪い予感しかない!」ですけど、今年はどうせ新潟にいても馬鹿みたいに暑いし、東京の方が湿度は若干低いのではないだろうか?と言う密かな期待もありましたが・・・はてさて、いかがだったでしょうか?
今回のヒストリーハンター達のミッションは「赤穂事件の真実」と「江戸東京たてもの園」です。
先輩は気合いの二泊三日でしたが、私は一泊二日で一日早く帰る旅程でショートカットさせてもらいました。
引退が決まってる上越新幹線の「MAXとき」2階建ての車両。 残念です。寂しくなりますのう。
上野から、まずは両国へ。 今回も先輩から「おんぶにだっこナビゲート」で大変お世話になりました。
両国駅のフードコートな施設「両国江戸NOREN」で、「日本ばし やぶ久」で日本蕎麦。
天ぷら蕎麦などは、やはりお高めですが、「せいろ」は800円くらいでリーズナブル。さすが、創業100年以上という蕎麦は美味しかった♪ なかなか、当たりでした。
駅から徒歩でトホトホ・・・いえ、トボトボ・・・回向院へ。こちらのお寺は「大相撲発祥のお寺」として有名のようです。
「回向院」
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。
この「振袖火事=明暦の大火」についても、ヒストリーハンターとして、とても興味深い題材です。いずれ、火元とされる「本妙寺」にも行ってみたいです。いろいろ謎の多い事件なのです。
このお寺には、「鼠小僧」の石碑もあります。大名屋敷から千両箱を盗み貧乏な庶民に配った時代劇などではヒーローとされていますが、実際には盗んだ金で「呑む・買う・打つ」の悪人でしかなかったようです。この石碑を削ると受験に合格すると言われてるようで、削られ真っ白になった石碑は異様な姿をしてました。
しかも、この鼠小僧の石碑の隣に、「猫塚」が建っており、トムとジェリー状態。(笑)
さてさて、回向院から少し歩くと、今回のミッションである「忠臣蔵=赤穂事件」の舞台となった「吉良上野介」のお屋敷跡です。
赤穂事件の後、吉良家はお家お取り潰しになっているので、屋敷は残ってませんが、地元の方々で、屋敷跡の一角に石碑などを建てられています。
事件は現場に立ち返るのが捜査?の鉄則ですが、ここに名前を連ねる家臣たちの石碑を眺めていて、はたと気がついてしまったのです。歌舞伎や時代劇などの世界では勧善懲悪・・・悪者にされている吉良上野介ですが、討ち入りされた時に家臣たちも殺害されていて、いわば被害者としてみることも出来ます。
47人の武装したサムライが、深夜(明け方近くだったらしいですけど)突如侵入して来て殺された、テロのような大量殺人事件ですよね? 忠臣蔵と言われたらなんとなくカッコイイですが、あくまで「赤穂事件」・・・事件だと思うと、別のスポットライトの当て方が出来ます。♪それはスポットライトではない です。
吉良上野介は、実は朝廷との繋がりがある格式の高いお家だったそうです。関西の地元ではとても評判も良かったそうな。どのような経緯があったとしても、殿中で格下の田舎侍が刀を抜いて切りつけた浅野内匠頭の方がクレイジー過ぎる。幕府の裁きにも落ち度はない。今で言う逆ギレでの仇討ち事件なのです。
現場に来て、初めて感じることができることがある・・・タイムトラベル・ヒストリーハンターの醍醐味です。
駅に戻る途中で、両国公園へ立ち寄りました。ここは「勝海舟 誕生の地」という石碑があります。
1701年の赤穂事件と、1823年に生まれた勝海舟・・・100年を100メートルも離れてないような場所で見れると言うのも「タイムトラベル」の面白さ。東京の懐の大きさです。
両国から白金高輪へ移動。 地下鉄は涼しくて助かる。
目指すは、赤穂浪士が主君の仇を討ちを遂げ、その首を洗った井戸やお墓がある「泉岳寺」ですが、その前に近くにある「大石良雄外十六人忠烈の跡」へ立ち寄りました。
ここは、討ち入りした翌年の2月に大石内蔵助たちが「切腹」させられた場所です。本来であれば打首になってもおかしくないのですが、忠義を貫いた「義士」として「切腹」という恩情だったとのことです。大型マンションの立ち並ぶ一角に、ひっそりとその場所はありました。
時代から、ここだけ取り残されたような異空間な感じ。 命日の頃には開門されるらしいですが、この時は閉ざされていました。門の隙間から覗くと石が点在していて、「いかにも」って感じで、ちょっと怖い気持ちになりました。
その場所からは、かなり高低のある道を下り、「泉岳寺」でお墓参り。
外人さん多し。 忠義って万国共通なのかしら? 意味が通じてるのかな?
一番大きなお墓が浅野内匠頭で、そのお墓を取り囲むように大石内蔵助を始め、四十七士のお墓があります。浅野内匠頭の奥様のお墓もあったと思います。
とても、よく出来てるというか、出来すぎていて、ちょっと芝居じみてる造り。
ちなみに、お土産売り場で売られてる討ち入りの合図に叩いたとされる「陣太鼓(山鹿流陣太鼓)」は、お芝居での創作で、実際には銅鑼(ドラ)を叩いたらしいです。 もうひとつ言うと、当日・・・雪も降ってないそうです。(^_^;)
今日の打上げは、有楽町に移動し「のもの居酒屋 かよひ路 日比谷店」有楽町で逢いましょう♪っすね。
とにかく暑かったぁ~。 新潟より蒸してました。 (泣)
こんな夜は、豆腐・・・「冷奴があれば、他に なんも要らない!」と言う心にもないことを呟きながら、この後に出てくる、焼き鳥串盛りなどにカジりつくのであります。
お宿は、上野。上野駅からすぐ近くなのですが、素泊まり7000円と言う激安ホテル! ちょっと心配でしたが、エアコンがガンガン効いたダブルの洋室を独り占め。ユニットバスが新しくて綺麗!ウォシュレットがないと生きていけない者には最高のホテルでした。 ありがたい!しかない。
・・・その2に続く。
春に行ったバンドの先輩と、「東京タイムトラベル 2018 春」に引き続き、、、「夏」です。
「夏の東京」・・・デブにとっては、「悪い予感しかない!」ですけど、今年はどうせ新潟にいても馬鹿みたいに暑いし、東京の方が湿度は若干低いのではないだろうか?と言う密かな期待もありましたが・・・はてさて、いかがだったでしょうか?
今回のヒストリーハンター達のミッションは「赤穂事件の真実」と「江戸東京たてもの園」です。
先輩は気合いの二泊三日でしたが、私は一泊二日で一日早く帰る旅程でショートカットさせてもらいました。
引退が決まってる上越新幹線の「MAXとき」2階建ての車両。 残念です。寂しくなりますのう。
上野から、まずは両国へ。 今回も先輩から「おんぶにだっこナビゲート」で大変お世話になりました。
両国駅のフードコートな施設「両国江戸NOREN」で、「日本ばし やぶ久」で日本蕎麦。
天ぷら蕎麦などは、やはりお高めですが、「せいろ」は800円くらいでリーズナブル。さすが、創業100年以上という蕎麦は美味しかった♪ なかなか、当たりでした。
駅から徒歩でトホトホ・・・いえ、トボトボ・・・回向院へ。こちらのお寺は「大相撲発祥のお寺」として有名のようです。
「回向院」
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。
この「振袖火事=明暦の大火」についても、ヒストリーハンターとして、とても興味深い題材です。いずれ、火元とされる「本妙寺」にも行ってみたいです。いろいろ謎の多い事件なのです。
このお寺には、「鼠小僧」の石碑もあります。大名屋敷から千両箱を盗み貧乏な庶民に配った時代劇などではヒーローとされていますが、実際には盗んだ金で「呑む・買う・打つ」の悪人でしかなかったようです。この石碑を削ると受験に合格すると言われてるようで、削られ真っ白になった石碑は異様な姿をしてました。
しかも、この鼠小僧の石碑の隣に、「猫塚」が建っており、トムとジェリー状態。(笑)
さてさて、回向院から少し歩くと、今回のミッションである「忠臣蔵=赤穂事件」の舞台となった「吉良上野介」のお屋敷跡です。
赤穂事件の後、吉良家はお家お取り潰しになっているので、屋敷は残ってませんが、地元の方々で、屋敷跡の一角に石碑などを建てられています。
事件は現場に立ち返るのが捜査?の鉄則ですが、ここに名前を連ねる家臣たちの石碑を眺めていて、はたと気がついてしまったのです。歌舞伎や時代劇などの世界では勧善懲悪・・・悪者にされている吉良上野介ですが、討ち入りされた時に家臣たちも殺害されていて、いわば被害者としてみることも出来ます。
47人の武装したサムライが、深夜(明け方近くだったらしいですけど)突如侵入して来て殺された、テロのような大量殺人事件ですよね? 忠臣蔵と言われたらなんとなくカッコイイですが、あくまで「赤穂事件」・・・事件だと思うと、別のスポットライトの当て方が出来ます。♪それはスポットライトではない です。
吉良上野介は、実は朝廷との繋がりがある格式の高いお家だったそうです。関西の地元ではとても評判も良かったそうな。どのような経緯があったとしても、殿中で格下の田舎侍が刀を抜いて切りつけた浅野内匠頭の方がクレイジー過ぎる。幕府の裁きにも落ち度はない。今で言う逆ギレでの仇討ち事件なのです。
現場に来て、初めて感じることができることがある・・・タイムトラベル・ヒストリーハンターの醍醐味です。
駅に戻る途中で、両国公園へ立ち寄りました。ここは「勝海舟 誕生の地」という石碑があります。
1701年の赤穂事件と、1823年に生まれた勝海舟・・・100年を100メートルも離れてないような場所で見れると言うのも「タイムトラベル」の面白さ。東京の懐の大きさです。
両国から白金高輪へ移動。 地下鉄は涼しくて助かる。
目指すは、赤穂浪士が主君の仇を討ちを遂げ、その首を洗った井戸やお墓がある「泉岳寺」ですが、その前に近くにある「大石良雄外十六人忠烈の跡」へ立ち寄りました。
ここは、討ち入りした翌年の2月に大石内蔵助たちが「切腹」させられた場所です。本来であれば打首になってもおかしくないのですが、忠義を貫いた「義士」として「切腹」という恩情だったとのことです。大型マンションの立ち並ぶ一角に、ひっそりとその場所はありました。
時代から、ここだけ取り残されたような異空間な感じ。 命日の頃には開門されるらしいですが、この時は閉ざされていました。門の隙間から覗くと石が点在していて、「いかにも」って感じで、ちょっと怖い気持ちになりました。
その場所からは、かなり高低のある道を下り、「泉岳寺」でお墓参り。
外人さん多し。 忠義って万国共通なのかしら? 意味が通じてるのかな?
一番大きなお墓が浅野内匠頭で、そのお墓を取り囲むように大石内蔵助を始め、四十七士のお墓があります。浅野内匠頭の奥様のお墓もあったと思います。
とても、よく出来てるというか、出来すぎていて、ちょっと芝居じみてる造り。
ちなみに、お土産売り場で売られてる討ち入りの合図に叩いたとされる「陣太鼓(山鹿流陣太鼓)」は、お芝居での創作で、実際には銅鑼(ドラ)を叩いたらしいです。 もうひとつ言うと、当日・・・雪も降ってないそうです。(^_^;)
今日の打上げは、有楽町に移動し「のもの居酒屋 かよひ路 日比谷店」有楽町で逢いましょう♪っすね。
とにかく暑かったぁ~。 新潟より蒸してました。 (泣)
こんな夜は、豆腐・・・「冷奴があれば、他に なんも要らない!」と言う心にもないことを呟きながら、この後に出てくる、焼き鳥串盛りなどにカジりつくのであります。
お宿は、上野。上野駅からすぐ近くなのですが、素泊まり7000円と言う激安ホテル! ちょっと心配でしたが、エアコンがガンガン効いたダブルの洋室を独り占め。ユニットバスが新しくて綺麗!ウォシュレットがないと生きていけない者には最高のホテルでした。 ありがたい!しかない。
・・・その2に続く。