人間というものは、植物などのように種々多様で考え方や生き方も多様ですね、
本当にいろいろな種類の人間がいるものです。だから『人種』という言葉があるのかもしれません。
都会などに群生しなくては生きていけない「人種」もいます。
企業などに「寄生」しなければ生きられない「人種」も存在します。
自ら、生活のための職業を創り出せない人間は、
まるで動物園で飼育されている、自ら餌をとれない(生活の糧を得ることができない)動物のようになってしまいます。
ですから、「職探し」の人たちで職安には失業者があふれています。
これまでの自分の人生を振り返ると、どうも、私は野生の人間なので企業などに「寄生」することや「群生」ができない人間のようです。
幼い頃からの田舎育ちで「お山の大将」のように生きてきて、都会で学生生活を送り、
その後田舎へ帰って一人で事業を興して、挫折してから山へ閉じ籠っての孤独なシステム開発人生。
その後は、自分のコンテンツを普及させるために、たった独りで全国各地を巡りながら販売したり、
石油ビジネスそのものを現場で学びながらシステムとして掘り下げながら生きてきた。
まさに「深耕」という言葉がぴったりの油まみれの人生です。
社会に迎合せずに、自ら生きる道を模索して生きるということは大変なことだと今になって痛感しています。
最近の報道では、大企業のリストラが一段と厳しさを増しているようです。
これまで、大企業で安穏と飼育されながら生きてきた人達がリストラ策によって世の中に放り出されることになるはずです。
人間には生計を立てるための職業である生業(なりわい)というものがあります。
生業とは本来、『すぎわい』と読みます。
その語源は、草箒(くさぼうき)]の種という意味で、
生計を立てる道は草の種のように多くいたる所にある。という意味なのだそうです。
厳しい言い方をすれば、
今後、産業構造などの変化で世の中に不要とされる人材が多発するわけですから、
まさに『変化と試練が人と企業を強くする。』という時代が到来するはずです。
大企業という傘の下で飼育されながら、盤石だと思って生きてきたサラリーマン諸君!
裸になった自分に果たして何ができるのか・・・・
今後、何を「生業」として生きていくのか・・・・
誰でも常に考えながら生きていく必要があると思います。
私は、自分の実体験からこの事を強く考えながら生きていくつもりです。
そして、新たな生きる道筋を常に模索しながら生きています。