中区大手町の元安川緑地帯に建立されている「原爆犠牲ヒロシマの碑」です。
原爆ドーム傍の元安川河床には、原爆の熱線で表面 が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。
1981年、広島市が元安川の美化工事にとりかかった時、当時の高校生が、瓦の発掘と平和への決意を固める碑の建設を呼びかけ、戦争も原爆も知らない世代が中心となってつくりあげました。
彼らの努力の結晶である「原爆瓦」がこの碑に嵌め込まれています。

天が まっかに 燃えたとき
わたしの からだは とかされた
ヒロシマの叫びを ともに
世界の人よ
(裕編集の)原爆犠牲ヒロシマの碑
原爆ドーム傍の元安川河床には、原爆の熱線で表面 が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。
1981年、広島市が元安川の美化工事にとりかかった時、当時の高校生が、瓦の発掘と平和への決意を固める碑の建設を呼びかけ、戦争も原爆も知らない世代が中心となってつくりあげました。
彼らの努力の結晶である「原爆瓦」がこの碑に嵌め込まれています。

天が まっかに 燃えたとき
わたしの からだは とかされた
ヒロシマの叫びを ともに
世界の人よ
(裕編集の)原爆犠牲ヒロシマの碑
7月2日(安芸区のわが家付近)天候:くもり