広島市中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2023年版」です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
11月10日(金)11時過ぎで、雨でした。
今月のアオギリたちは、そろそろ秋を感じてきているようで、黄葉してきているようでした。
この日は、平和記念公園自体も多くの観光客が訪れていましたが、ここアオギリ前はあいにくの雨だったからか見学する人は少なかったのです。
一番に目が付いたのは、アオギリではなくアオギリ後ろを中心に、
被爆遺構展示館園路新築工事用のバリケードが組み立てられていたことです。
私見です。
展示館への園路は必要ないとは思いませんが、
被爆遺構展示が、僅か6畳ほどで原爆が投下された昭和20(1945)年年末までにおよそ14万人もの方々が原爆で亡くなったと推測されている原爆の惨禍を感じろと云われているような展示館なのですから、
(いままで園路が無くても展示館に行けていたのですから)
園路の費用を展示館の規模を少しでも大きくすることに使えなかったのかと思うのです。
(裕編集の)被爆アオギリの四季(2023年)
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
11月10日(金)11時過ぎで、雨でした。
今月のアオギリたちは、そろそろ秋を感じてきているようで、黄葉してきているようでした。
この日は、平和記念公園自体も多くの観光客が訪れていましたが、ここアオギリ前はあいにくの雨だったからか見学する人は少なかったのです。
一番に目が付いたのは、アオギリではなくアオギリ後ろを中心に、
被爆遺構展示館園路新築工事用のバリケードが組み立てられていたことです。
私見です。
展示館への園路は必要ないとは思いませんが、
被爆遺構展示が、僅か6畳ほどで原爆が投下された昭和20(1945)年年末までにおよそ14万人もの方々が原爆で亡くなったと推測されている原爆の惨禍を感じろと云われているような展示館なのですから、
(いままで園路が無くても展示館に行けていたのですから)
園路の費用を展示館の規模を少しでも大きくすることに使えなかったのかと思うのです。
(裕編集の)被爆アオギリの四季(2023年)
11月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
17.2℃、62%