広島市佐伯区湯来町大字下に建立されている「中曽政之助翁之碑」です。
※題の揮毫者は文部大臣灘尾弘吉(1889-1994)です。
*中曽(なかそ、なんそ、なかぞ)との読みが主流で、わたしが思った´ちゅうそ’は違ったようです。
〔中曽姓は、全国では広島県が一番多いようで、中国地方に集中した姓のようです。〕
碑文が薄くなり読めなかったのです。
昨年5月太田川の津伏橋を撮影した時、見えた石碑でしたので、撮影していたのですが
中曽さんのことがわからなかったのでほったらかしていたのですが。
灘尾弘吉が文部大臣在任中かその(前)後にこの碑が建立されたと推測し、
広島県選出の衆議院議員、参議院議員、広島県会議員、湯来町町長を中國新聞発行“広島県大百科事典”で調べてみましたが該当しなかったので、政治家では無かったのではと思いました。
それでは、文部大臣に揮毫を依頼したということは、教育者だったという可能性大と推測しました。
県立高等学校の校長先生だったか、佐伯郡水内村時代か湯来町での中学校か小学校の校長先生を長く勤めておられた方かなと思ったのですが、(わからないことには違いありません)、灘尾さん揮毫でしたので頁を編集しました。
★上記gooブログ記事の画像が出ていない時は、
下のHPでの画像を見てやってください。
(裕編集の)中曽政之助翁之碑
※題の揮毫者は文部大臣灘尾弘吉(1889-1994)です。
*中曽(なかそ、なんそ、なかぞ)との読みが主流で、わたしが思った´ちゅうそ’は違ったようです。
〔中曽姓は、全国では広島県が一番多いようで、中国地方に集中した姓のようです。〕
碑文が薄くなり読めなかったのです。
昨年5月太田川の津伏橋を撮影した時、見えた石碑でしたので、撮影していたのですが
中曽さんのことがわからなかったのでほったらかしていたのですが。
灘尾弘吉が文部大臣在任中かその(前)後にこの碑が建立されたと推測し、
広島県選出の衆議院議員、参議院議員、広島県会議員、湯来町町長を中國新聞発行“広島県大百科事典”で調べてみましたが該当しなかったので、政治家では無かったのではと思いました。
それでは、文部大臣に揮毫を依頼したということは、教育者だったという可能性大と推測しました。
県立高等学校の校長先生だったか、佐伯郡水内村時代か湯来町での中学校か小学校の校長先生を長く勤めておられた方かなと思ったのですが、(わからないことには違いありません)、灘尾さん揮毫でしたので頁を編集しました。
★上記gooブログ記事の画像が出ていない時は、
下のHPでの画像を見てやってください。
(裕編集の)中曽政之助翁之碑
11月3日(安芸区のわが家付近)天候:(現在もやっています)はれ
19.5℃、66%