広島市佐伯郡五日市町大字上河内の河内公民館横に建立されている「忘れまい大災害・碑」です。
※1999(平成11)年6月29日豪雨に対する碑ですが、過去に河内地区での災害についても取り上げています。
この碑は、災害の記録については、河内地区を中心にとらえていますので、
1999(平成11)年6月29日豪雨(広島県砂防課の資料を参照すれば)
『・気象概要
6月29日午前0時ころから降り始めた雨は,午前中は県北部を中心として局所的に強まり時間雨量20mm以上を記録したが,広島市を中心とした県南西部では,午前中は時間雨量10mm以下で推移した。
午後になって前線の活動が活発になり,13時~16時にかけて,広島市佐伯区から広島市安佐北区一帯で強い降雨を観測した。また,15時~17時にかけて大柿町(現江田島市大柿町)から東広島市の一帯では,呉市を中心として強い降雨を観測した。
そして,降雨は,広島市方面で16時ころ,呉市方面で17時ころ,東広島市方面で18時ころになり順次止んだ。 6月28日~6月29日の連続雨量は大野IC199.5mm,戸山271mm,呉市184mmの大雨となった。
特に,6月29日の時間雨量は,八幡川橋14時~15時に81mmとなったのを始め,戸山で14時~16時に63mm,呉市で15時50分~16時50分に73mmと記録的な短時間降雨となった。
・被害状況
被災箇所は,土石流等災害で139箇所,がけ崩れ災害で186箇所にもおよび
死者31名,行方不明者1名,家屋全壊154戸等。
特に,被害は都市近郊の新興住宅地に集中し,都市型の土砂災害と位置付けられる。』そうです。
兄が役場に行ったとき「水害碑が伝える ひろしまの 記憶」広島市危機管理室発行のパンフレットがあったのでもらったということで、わたしの参考になるだろうと、くれたのです。
ここで取り上げた佐伯区河内公民館に「忘れまじ大災害・碑」が建立されていることを知ったので、息子が帰宅するのに回り道になるが連れて来てもらい撮影したのです。
(裕編集の)(1999年6月29日豪雨)忘れまい大災害・碑
※1999(平成11)年6月29日豪雨に対する碑ですが、過去に河内地区での災害についても取り上げています。
この碑は、災害の記録については、河内地区を中心にとらえていますので、
1999(平成11)年6月29日豪雨(広島県砂防課の資料を参照すれば)
『・気象概要
6月29日午前0時ころから降り始めた雨は,午前中は県北部を中心として局所的に強まり時間雨量20mm以上を記録したが,広島市を中心とした県南西部では,午前中は時間雨量10mm以下で推移した。
午後になって前線の活動が活発になり,13時~16時にかけて,広島市佐伯区から広島市安佐北区一帯で強い降雨を観測した。また,15時~17時にかけて大柿町(現江田島市大柿町)から東広島市の一帯では,呉市を中心として強い降雨を観測した。
そして,降雨は,広島市方面で16時ころ,呉市方面で17時ころ,東広島市方面で18時ころになり順次止んだ。 6月28日~6月29日の連続雨量は大野IC199.5mm,戸山271mm,呉市184mmの大雨となった。
特に,6月29日の時間雨量は,八幡川橋14時~15時に81mmとなったのを始め,戸山で14時~16時に63mm,呉市で15時50分~16時50分に73mmと記録的な短時間降雨となった。
・被害状況
被災箇所は,土石流等災害で139箇所,がけ崩れ災害で186箇所にもおよび
死者31名,行方不明者1名,家屋全壊154戸等。
特に,被害は都市近郊の新興住宅地に集中し,都市型の土砂災害と位置付けられる。』そうです。
兄が役場に行ったとき「水害碑が伝える ひろしまの 記憶」広島市危機管理室発行のパンフレットがあったのでもらったということで、わたしの参考になるだろうと、くれたのです。
ここで取り上げた佐伯区河内公民館に「忘れまじ大災害・碑」が建立されていることを知ったので、息子が帰宅するのに回り道になるが連れて来てもらい撮影したのです。
(裕編集の)(1999年6月29日豪雨)忘れまい大災害・碑
5月17日(安芸区のわが家付近)天候:はれ。
19.5℃、53%
とてもご丁寧な記録に理解ができますことに敬意を表しております。
いつもお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
多忙に甘え拝見しましたままに失礼いたしております事をお許しくださいませ。
ブログはテレビの録画から少し紹介させて頂いておりますが、5月24日(金)
千葉市遺族会総会終了までまだまだ落ち着きません。
こちらの新興団地の多くが風化花崗岩という一見頑丈に見える処を切り開き団地が造られていますが雨には弱いことで、
先の広島土砂災害での出来事を云うまでもなく、豪雨時に多くの方々が亡くなった大災害になるのです。
先の大戦後80年を迎えようとしている各県の遺族会も転機の時期なのでしょうね。
同じ被爆80年を迎えようとしている当地でも、幼児の時に被爆した兄でさえもう80歳を超えているのですから。
悲惨でしかなかった戦争の実相を次世代に如何に受けついでいけるのかと思いますが、わたしでさえ既に後期高齢者でぼけてきていますので。