暑くて、暑くて、
広島ぶらり散歩関連頁の編集気力がなく長い夏休みを取ることにしました。
そこで、このgooブログでは、
1964(昭和39)年、わたしが最初に買ったレコード(ドーナツ版)ビートルズの“プリーズ・プリーズ・ミー”の紹介記事から
〔途中夏休みの登校日のごとく、通常記事「被爆アオギリ2024年8月25日」、「平和記念公園2024年8月25日」を挟んで〕
レコード(アルバム)中心に(いまだ初心者園芸関連4記事を含み)記事にしてきましたが、
きょうのこの記事・夏休み20で終わりということで。
スコットランド人でフォーク・ロック・ミュージシャンのドノバン(1946- )さんを取り上げました。
※アルバムには“ドノバン”と記述していますが、
ウィキでは'ドノヴァン’と表記しています。
アルバム「Donovan's Greatest Hits」は1969年リリースのようです。
価格は、ジャケットに記述なく、いくらだったか覚えてはいません。
Donovan -「Sunshine Superman 」
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夏休み19:オーティス・レディング「My Girl」
2024年08月30日 08時00分00秒
きょうは、アルバムに“SOUL AGE”とあるように、独特な歌唱法のソウル歌手
オーティス・レディング(1941-1967)さんを取り上げました。
*若くして自家用飛行機事故死。
アルバム「オーティス・レディング LIVE IN EUROPE」1972.3発売。1968年亀渕昭信(1942- )さんの解説を再録しています。
価格は、@1,800円/アルバムでした。
“ドック・オブ・ベイ”かなと思ったのですが、このアルバムには無かったので、
Otis Redding -「My Girl」にしました。
広島ぶらり散歩関連頁の編集気力がなく長い夏休みを取ることにしました。
そこで、このgooブログでは、
1964(昭和39)年、わたしが最初に買ったレコード(ドーナツ版)ビートルズの“プリーズ・プリーズ・ミー”の紹介記事から
〔途中夏休みの登校日のごとく、通常記事「被爆アオギリ2024年8月25日」、「平和記念公園2024年8月25日」を挟んで〕
レコード(アルバム)中心に(いまだ初心者園芸関連4記事を含み)記事にしてきましたが、
きょうのこの記事・夏休み20で終わりということで。
スコットランド人でフォーク・ロック・ミュージシャンのドノバン(1946- )さんを取り上げました。
※アルバムには“ドノバン”と記述していますが、
ウィキでは'ドノヴァン’と表記しています。
アルバム「Donovan's Greatest Hits」は1969年リリースのようです。
価格は、ジャケットに記述なく、いくらだったか覚えてはいません。
Donovan -「Sunshine Superman 」
8月31日(安芸区のわが家付近)天候:はれ。
27.0℃、78%
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夏休み19:オーティス・レディング「My Girl」
2024年08月30日 08時00分00秒
きょうは、アルバムに“SOUL AGE”とあるように、独特な歌唱法のソウル歌手
オーティス・レディング(1941-1967)さんを取り上げました。
*若くして自家用飛行機事故死。
アルバム「オーティス・レディング LIVE IN EUROPE」1972.3発売。1968年亀渕昭信(1942- )さんの解説を再録しています。
価格は、@1,800円/アルバムでした。
“ドック・オブ・ベイ”かなと思ったのですが、このアルバムには無かったので、
Otis Redding -「My Girl」にしました。
8月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(晴れてきそう)。
27.0℃、88%
バンドを組まれていたこと、
愛器を紹介されていた記事などなどその才能に感嘆していましたから。
わたしは、ギターも弾けず、おまけに音痴。
夏休みの絵日記代わりに、久しぶりにレコードを引っ張り出してみましたが。
いまどきはユーチューブで気軽に聞ける時代になっていますね。
古くからNETの友になっていただいていたから、
やはり健康でおられるか気に掛かるのです。
これからもよろしくお願いいたします。
懐かしい想い出深い曲をご紹介いただいて、
有難うございました。
素敵なアルバムをお持ちで、羨ましい限りです。
当方の昔ばなしで恐縮ですが、
この爺さんの二十代前半のバンド時代に、
地元でも有名なナイトクラブからの出演オファーがあり
ロックバンドのアップテンポの曲を演奏する訳にもいかず、
♪ドッグ・オブ・ベイや、♪マイ・ガールなど
オーティス・レディングさんの曲を選んで、
演奏したのですが、
3曲を演奏したら、クラブのマネージャーさんが来られて、
「今日はこれで閉じて帰ってくれ!」と言われ、
その日に首になりました。(笑)
もう1曲は、ローリングストーンズさんの「♪テル・ミー」という曲でした。
そのお店のオープニングで客の少ない時間からの演奏でしたので、
なんか派手なロックでもと期待していたようでした。
うちのバンマスが相手としっかり打ち合わせをしたようでしたが、
なんかコミュニケーション不足で、
逆に想い出深いステージになってしまいました。
長々と失礼しました。
追伸ですが、
いつも裕さんのURLが目につき、日々頑張られていらっしゃると思い、
リスペクトしております。
有難うございました。
まだ学生時代で、いまと同じようにラジオを聞き流して時で、気に入ったアーチストのレコードを求めていたように思います。
親に無理を云ってトリオの家具調オーディオが鎮座していたことを思い出します。
兄と違って、クラッシックはさっぱりですから。
ずっと夏休みの音楽特集を拝見してきましたが、
裕さんは私と音楽の趣味がよく似ていると思いました。
1969年と言えば私が23歳の年でミニスカートをはいていた頃ですが、
ロックよりはサイモンとガーファンクルなどを聴いていました。
「My Girl」は聴いたことがありますが、
オーティス・レディングさんが、若くして自家用飛行機事故で
なくなったことは知りませんでした。