中区大手町の平和記念公園原爆ドーム東側緑地帯に植えられている「第1回平和祭記念樹・クスノキ」です。
被爆から2年目の1947(昭和22)年8月6日、広島市、広島商工会議所、広島観光協会の三者が発起人となって設立された「広島平和祭協会」が主催者となって、第1回平和祭が開催されました。
平和祭では濱井信三広島市長によって初めて平和宣言が発表されました。
平和の樹として選ばれた「クスノキ」が当時の慈仙寺の鼻の平和広場(現在の平和記念公園北端の元安川右岸)に植樹されました。のちに現在地に移植されました。
(裕編集の)(第1回平和祭記念樹)クスノキ
1947年平和祭、浜井信三市長の平和宣言は、
まだ日本が占領状態で、プレスコードが敷かれていた状態だったことを忘れてはいけないと思います。
(裕編集頁)第1回平和宣言1947年
被爆から2年目の1947(昭和22)年8月6日、広島市、広島商工会議所、広島観光協会の三者が発起人となって設立された「広島平和祭協会」が主催者となって、第1回平和祭が開催されました。
平和祭では濱井信三広島市長によって初めて平和宣言が発表されました。
平和の樹として選ばれた「クスノキ」が当時の慈仙寺の鼻の平和広場(現在の平和記念公園北端の元安川右岸)に植樹されました。のちに現在地に移植されました。
(裕編集の)(第1回平和祭記念樹)クスノキ
1947年平和祭、浜井信三市長の平和宣言は、
まだ日本が占領状態で、プレスコードが敷かれていた状態だったことを忘れてはいけないと思います。
(裕編集頁)第1回平和宣言1947年
4月23日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
文中の漢字の読み、意味に学ばせて頂きました。
クスノキも立派に育っていますね。
いつも貴重な事柄を学ばせて頂きありがとうございます。
このときは、平和の樹に選ばれたクシノキでしたが
いまでは広島市の木になっています。
被爆した樹木の中でもクスノキは多くあり、未来へ平和を語り継いでくれる樹木のようです。
占領下での平和式典でしたが、広島市配給課長だった時に被爆した市長ですので、平和を強く発信しなくてはと思っておられたのでしょうね。
今に続く平和記念式典での市長の平和宣言に受け継がれていくことを願わずにはおられません。
それにしてもそちらのコロナの広がりは先の第3波をしのぎそうで心配しています。(こちらもじわっと広がってきています)
充分の注意はなさっておられるでしょうが、なお一層の注意でお過ごしください。