住職のひとりごと

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住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

救われるということ

2021年08月01日 07時25分25秒 | 仏教に関する様々なお話
2012年01月29日 投稿の原稿に小見出しを付けて再掲載します。



救われるということ

先月の仏教懇話会で、DVD『親鸞・白い道』(三國連太郎監督作品)を皆さんとともに拝見しました。今日では大きな宗派の開祖として祀りあげられている祖師ではありますが、そのどん底の生活ながら己の信じる教えを説き続けた生涯の、一時代を切り取った作品でした。時代背景人間関係も繋がらないいままに見終わり消化不良ではありましたが、苦労された祖師があり今があることを忘れてはいけないのだと思えました。

鑑賞会の後に、「仏様を信じれば本当に救われるのでしょうか」と問われる方がありました。時間もかなり超過していたこともあり、きちんとお答えする間もなく終えてしまいましたが、この一ヶ月、ずっとそのことを考え続けていました。仏様を信じるとはどんなことだろうか、救われるとはどんなことだろうかと考えました。漠然とそう思っているようにも思えますし、しかしそれは本当に切実な問題なのだろうと思えます。

信じるとは

仏様を信じるとは、仏様の何を信じるのでしょうか。仏様という存在でしょうか。仏様の慈悲心でしょうか。それともその教えでしょうか。仏様というものに対する私たちの漠然とした思いは、もう少しはっきり言うとやはりそのお力、救って下さるであろうと思えるその働きということではないかと思います。仏様のそうしたやさしい心を信じるということであるならば、何もしなくても救って下さるのだろうか、どのようにしていたら仏様はお救い下さるのかと考えねばならないのではないかと思います。

また、仏様の教えを信じるということになれば、お釈迦様がどんなことをお話になられたのか、どんなことを私たちに願っているのかということを知らねばなりません。お釈迦様は、この世の中はどういうものか、私たちが生きるとはどのようなことで、なぜそのような不安の中にあるのか、その心を安らかにするためにはどのように考え、どのようにしたらよいかということを教えられています。無常、縁起、四諦、十善などなど。そして私たちに早く自分のところへ来ること、つまりは悟ることを願っています。日々少しずつでも研鑽し近づいてくるように願われています。

普通、私たちが何かを得ようと思ったら、金品なり、何かすることによって、実現する、かなえられるということになります。人に何かをお願いすることを考えても、それなりに筋を通し礼を尽くしてお願いするということが必要でしょう。仏様に何かお願いする場合でも、やはり何か必要でしょう。お供えをしたり、お経を唱えたりということはだからこそなされるものなのだと思います。お経を唱え、教えを学び、一心にお唱えするところに心静まり、心清まる。

つまり信じるということは、そうした自らの心が改まる、清まる、変質することを伴うものなのだとも言えます。それこそが信じるということなのであろうかと思います。

救われるとは

それでは、救われるとは何でしょうか。どうなれば救われたと私たちは思えるのでしょうか。死後の救済ということでしょうか。死んでから仏様のところへいくということでしょうか。死後、仏国土にいけたら幸せでしょうか。仏様の世界とはどんなところなのでしょうか。浄土三部経にはきらびやかな荘厳世界が描かれていますが、私たちはそこへいけたら本当に幸せなのでしょうか。

仏の世界、それは悟りの境地のことだそうです。パラダイスのような、夢のような、何でも願い通りになるような快適な世界ではなく、逆に何もなくても憂いのない世界と表現した方がよいのだと思います。それは心の次元の話ですから、仏様の世界というのはとても清らかで簡素な品行方正な厳粛な世界なのだろうと思います。私たちの心が想像する快適な世界と思ってしまうと少し違うのだと思います。仏様方にとって快適な世界なのでしょうから。

たとえば、今でも、ものすごく心を清らかなものにするために、山に入り修行を重ねる人たちがいます。スリランカやミャンマー、タイなどでは一日瞑想ばかりして、毎日毎日それだけの生活をされている人たちがいます。その人たちは何もなくても、瞑想して心が穏やかで静かな毎日が心地よいのです。一時的にそんな生活に憧れてその場にいれたとしても、一週間、一ヶ月が普通の人には眼界ではないでしょうか。一生そこで、周りの人たちの供養を受けていられる人たちの心はどれだけ高次元のものなのか想像もつかないのです。仏様の世界とはそうした人たちよりもさらに心のレベルの高い人たちの世界だと思ったらよいのではないでしょうか。

ですから、簡単に仏様の世界にいきたい、安楽な世界にいきたいと思っても、ちょっと普通にいられるところではないと思った方がよいのではないかと思えます。それにかなう心を作らねばいられない、安易に立ち入ることが出来ないところとも言えるのではないでしょうか。ですから、死後のことよりも、今いるこの世界で、私たちのこの居やすいところで、少しでも救われてあるようにした方がよいのかもしれません。今が不安でつらいならば、死後の世界もその不安のままにそれに相応しいところに身罷ることになります。

今救われてあるために

それでは今が安心できるようにするにはどうしたらよいのでしょうか。安心できるとはどういうことでしょうか。安心とは、今のこの自分、そのままで良いと思えることではないかと思います。何の心配することもなく、憂えることもなく、苦しみもなく、不安もなく。満ち足りていると思えること。それは、とても難しいと思えるかもしれません。

誰にも不安があり、心配があり、憂いがあるものなのかもしれません。ですが、たとえ何かあったとしても、それで良い、そんなことがあっても当然だと、世の中とはそんなものですと思えるならば、それはそれで自分にとっては今の自分で良いのだと思えるのではないでしょうか。逆に、何かあると、ちょっとでも不満なことがあると面白くない、つまらないと思ってしまったら、どんなことがあっても喜べず、幸せは永遠にやってきません。

お釈迦様がこの世の中は苦しみばかりですよと言われるように、大変なことばかりなんだと諦めて、何があっても、それで当然なんだと思えたら、何があってもその人はいつも平静な心でいられますし、そうした自分でいいんだとも思えるでしょう。そして、少しでも、お経などを唱えたり、お釈迦様の教えを学んだり、日々の生活の中からその教えに得心がいく、そうしていろいろな人や者たちのお蔭で自分は生かされている、大きなそうした存在に自分は支えられているのだと思えるとき、心は清まり、心改まっている自分にも気づくことが出来るでしょう。そのとき、既にその人は救われてあるのではないでしょうか。

みんな誰もが、毎日大変なことばかりの世の中です。それでもやらなければ生きていけません。言いたいことが山ほどあっても、言ってどうなるものでもないのですから、いずれ何も思わないようになるでしょう。何も思わず毎日頑張っている自分にこれでいいのだと思える。そうしてあるからこそ生かされている自分に気づく。今に満足し安心し、自分に納得する。死後のことにも思い煩うこともなく、そうして大切に一日一日を生きたらよいのだと思います。

それはそうそう簡単ではないのかもしれませんが、日々飽きずに、大変だとは思っても、嫌だと思わずにやり遂げている、そんな自分を誇らしく思え、そんな自分だからこそまた生かされているんだと思えるならば、それこそが救いなのではないでしょうか。そうして、その人はすでに仏様に救われてある自分に気づくことでしょう。

ですから、今こうしてあることがすでに救われているのだと思えるようでありたいものだと思うのであります。

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すみませんを口癖にしない

2021年07月21日 20時38分18秒 | 仏教に関する様々なお話
すみませんを口癖にしない


『地球の最期のときにIn Deep』という情報分析サイトがある。2015年ころからサイトを立ち上げられ、科学的な新説を紹介したり、社会の変化についての秀逸な分析記事を投稿されている。昨年の夏頃から、現在も世界中に展開するコロナ騒動についての深い見解、最新の情報分析と未来予測を常々参考にさせていただいてきた。とりわけ、昨年の米国大統領選の少し前に、バチカンの大司教で、ローマ教皇フランシスコと敵対していることで知られるカルロ・マリア・ビガノ神父がトランプ大統領に公開書簡を送ったという情報とその内容は、私にとり特に貴重なものであった。

ここに紹介するのは、そのIn Deepで2016年9月26日に投稿され、2020年8月20日に更新された記事《「すみません」という日本語を口から発することをやめることについて》である。実は今日21日は毎月朝8時から大師堂にて護摩の御祈祷を行っており、1時間ほどの護摩のあと、いつも参拝された皆様に短い法話をしているのだが、今日はこの記事を参考に話をさせていただいた。

この記事では、バランス力学整体院院長の山本浩一郎さんという方の『腰痛は心の叫びである』という本を紹介されて、その中で、慢性的に体の痛みを持っている人は「すみません」という言葉を口癖にしている人が多いというのだ。そして、この「すみません」という日本語には、自己否定の意味合いがあり、こんな自分にこんなにしてもらい申し訳ないという気持ちを表しているのだと、さらには、自分が存在していること自体に謝罪している印象があるという。

私たち日本人は、なにげに、「すみません」と口にすることが多いわけであるが、そのことについて、それがどういう影響を自分に与えるかということにもまったく無頓着に使ってしまっているのではないか。「すみません、すみません」と、連呼すればその場が収まるとでもいうように、つい口に出てしまったり、何を頼むにも、「すみません」と言い、レストランで人を呼んだり、注文して料理が運ばれてきた時にも、「すみません」と言ってしまっていたりということがある。

たしかに、人に何かしてもらって感謝の気持ちを表す時にでも、つい「すみません」と言ってしまいがちであり、それは相手にお世話を掛けたという気持ちの他に申し訳ないという気持ちも含めて言っていたり。が、そこにはやはり、こんな私にという自らを卑下した気持ちも含まれているとされるように、知らず知らずのうちに私たちは自らを貶めているのかもしれない。

ところで、高野山の元管長で高野山大学学長も歴任された松長有慶先生の著作『訳注 声字実相義』を昨年読ませていただいたが、そこでは、私たちの五官にはいってくるものや心の中で思ったり考えたこと、仏教では六根(眼耳鼻舌身意)に入る六境(色声香味触法)という世俗的なものが、現実世界に存在するままで、絶対の真実なのだと教わった。そこには諸仏が充満してあると。

つまりは、すべての声(音)も言葉も法身大日如来の説法なのであるとするのであるから、私たちの耳に入る自分の声さえもが、真実のものとして仏の声として、私たちの身にも心にも反応し染み入っていくということであろうか。だとするならば、自己を否定するかの言葉を吐き続け自分の耳にも入れているということは、当然のことながら自己の身体も心も自ら痛めつけていることになるのであろう。

私たちは、言葉を発する時には何事も意識的に、プラスになることを、良いことを、自分自身も周りの人たちにも善くあるように言葉を発する必要がある。In Deepにも書かれているように、これからは「すみません」ではなく「ありがとう」、人を呼ぶ時には「お願いします」、謝る時には「ごめんなさい」と言うべきなのであろう。

これから毎日暑い日が続く。つい口から出る言葉は「暑い暑い」と、さらには不平不満の言葉が口から付いて出がちになるかもしれないが、夏なのだからあたりまえなのだと諦めて、少し風が吹いたら、いい風だと涼しさを味わい、日陰に涼を感じてすずしさを感じ、身体を休めつつ、おかしなコロナ騒ぎにも動ぜず暑い夏を乗り切りたいものだと思う。

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煩悩について 1

2021年07月11日 17時43分51秒 | 仏教に関する様々なお話
煩悩について 1


一昨日の懇話会で、仏教伝道協会発行の『さとりの知恵を読む』の「仏のたとえ話6粗金のたとえ」を読んでいたら、首楞厳経の一説に「心の粗金を溶かして煩悩のかすを取り去るとどんな人でも、みなすべて同一の仏性を開き現すことができる」とあり、その解説には、迷い悩み苦しむ私たちではありますが、それは煩悩が邪魔をしているからで、その一つ一つの煩悩に気づき、これを取り去っていけば、仏になる性質・仏性を現し、それを発揮させて生きていけるのですと書いてありました。

すると早速に、「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのですか」との質問がありました。貪瞋痴の煩悩と言われるわけですが、もちろん貪瞋痴はあくまでたくさんの煩悩を集約するものとしてあるわけです。一口に煩悩といっても様々ですから、まずは煩悩とはいかなるものかと考えてみたいと思います。

煩悩は、生きとし生けるものの身と心を惑わし、問題を起こし苦しみをもたらすものです。それによって性格を悪くしたり、悪業をつくり、ありのままにものを見られなくすることで、正しい智慧を妨げ、私たちを悟りから遠ざけていくものです。そうして、生きることに執着させ、何度も輪廻を繰り返していく潜在力ともなります。煩悩は、また表面には現れず、心の奥底によくない性格や性癖として潜在し、外界からの刺激によって表面化するので随眠といい、これに対し表面的な煩悩は纏といったりします。

それではまず、お釈迦様の時代に、煩悩はどのように考えられていたのでしょうか。お釈迦様の根本教説である五蘊十八界は、まさに外界から取り入れた刺激に反応し執着をしていく、つまり煩悩を生じさせていく過程を説明するものでした。十二因縁は煩悩である無明や渇愛、取により苦を生じていく行程を指し示すものであり、四聖諦はまさに煩悩を滅して悟りを得る原理を示しています。

ではどのように煩悩は分類されているのかといえば、初禅に入ると鎮伏される煩悩として、五蓋(欲貪・瞋恚・惛沈睡眠・掉挙悪作・疑)があるとされ、修行の段階に応じて滅してくべきものと捉えられていたことが分かります。ただしこの五蓋はその後も日常生活に戻れば立ち現れてくるとされ、その後四つの階梯にいたるごとに悟る際に機能しない状態にしていくのだといいます。

五蓋の内容は以下の通りです。
欲貪とは、欲界の貪欲で、五官から入る好ましい対象に対する愛着する心。
瞋恚は、それに対して好ましからざるものに対する反発、拒絶する心のことです。
惛沈睡眠は、心が沈んで隠れていたい寝ていたいという心。
掉挙悪作は、表にでてその瞬間落ち着かず混乱した心、過去の失敗を思い出し後悔すること。
は、なすべきことに逡巡し疑い、勇気のない心。

次に、初歩の悟り(預流果の悟り)の時に断ぜられる煩悩として、三結(身見・疑・戒禁取)があります。

身見とは、実体として私というもの、真なる私があるという考え、信念。
は、ここでは、善悪業報や三世因果、縁起の教えを疑うこと。
戒禁取とは、禁欲、苦行や儀式に対する執着。

それから、一来果の悟りを経て、不還果の悟りを得られると捨断されるものとして、五下分結があり、欲貪・瞋恚・身見・疑・戒禁取の五つであるとされます。もう人間の世界には戻ってこないというこの段階になってはじめて欲と怒りがなくなり、完全に落ち着いている心が生まれるとされています。

そして、阿羅漢果において断ぜられるものを五上分結といい、色貪・無色貪・掉挙・慢・無明の五つです。
ここにあるは、自分のことにしか目にない自己中心的な心ではなく、私がいるという実感から私は他の人と同じ同じでないという程度の計らいの心。
無明は、すべての煩悩の元になる心であり、すべての煩悩・迷いの根源であり、一切が無常・苦・無我と発見するまで残る執着のもとにある心です。

次に、部派仏教の中から、説一切有部の煩悩論から、六大煩悩・十大煩悩を見てみましよう。六大煩悩は、すでに見てきた、貪欲・瞋恚・愚痴・慢・疑・見の六つであり、十大煩悩は、見を五つに分けて、身見・辺見・邪見・見取・戒禁取となり十となります。

ここではこの五つに分けた見のみ見ていきますと、身見、戒禁取はすでに見たとおりです。
辺見とは、世間は常なり断なり、有辺なり無辺なり、肉体と霊魂が同一なり別なり、如来は死後存在するしない、など両極端な誤った考えを持つこと。
邪見とは、布施なし、献供なし、祭祀なし、善悪業の報果なし、此の世なし、来世なし、母なし、父なし、化生有情なし、修行証果の修行者なし、善悪も業報も三世因果も認めない考え。
見取とは、自己中心的な自説のみが正しいと固執した考え。

さらに、大乗仏教の時代となり、瑜伽行派は煩悩分類として、根本煩悩をまず示し、それに付随するものとして小中大の随煩悩があるとして次のように分類しています。根本煩悩として、貪・瞋・慢・無明・見・疑があり、随煩悩として、小随煩悩に、忿・恨・覆・悩・嫉・慳・誑・諂・憍・害があり、中随煩悩に、無慚・無愧があります。さらに、大随煩悩として、惛沈・掉挙・不信・懈怠・放逸・失念・散乱・不正知があります。これまでに解説していないもののみ見ていきますと。

忿とは、瞋より生ずる激しい怒り癇癪のこと。
とは、瞋恚が心の中で永続する恨み。
は、自分の過ちを覆い隠す心のこと。
は、自分の罪や過失にこだわり他人のいさめを聞かず悩むこと。
とは、他人の善いこと栄誉を喜ばす妬むこと。
とは、住まい、家屋、布施、称賛、法施など物惜しみする心のこと。
とは、他人を偽り欺いて惑わすこと。
とは、自分の本心を隠して他人におもねりへつらい従順を装う心のこと。
とは、健康、血統、自由、長寿、聡明、善行を誇り高ぶる心のこと。
とは、他に危害を加えようとする心のこと。

無慚は、過ちを犯しても自己の内心に恥じないこと。
無愧は、間違ったことをしても外部社会に対して恥じないこと。

惛沈・掉挙はすでに見てきました。
不信は、心を澄んで浄らかなものにしようとしない心のはたらき。
懈怠は、善きことに積極的でなく悪に向かいやすい心のこと。
放逸は、外界からの刺激に惑わされ自らの今に心がないこと。
失念は、はっきりと記憶できない精神作用。
散乱は、対象に対して心散乱して定まらないこと。
不正知は、正しく対象を知見することを妨げる心の働き。

以上仏教において各時代ごとに煩悩についての捉え方を見てきました。時代を経るに従い、大まかな捉え方から、私たち自身の身近な心にも思い当たるものがいくつも見つかることが分かります。さて、これらの煩悩をいかに取り去っていくのか。取り去れるものなのかどうか。次回にまた考察してみましょう。

 参考文献 仏教用語の基礎知識・水野弘元著・春秋社 佛教学辞典・法蔵館
      ブッダの実践心理学第二巻・A・スマナサーラ長老・サンガ 


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祈りについて

2021年04月24日 13時10分45秒 | 仏教に関する様々なお話
祈りについて 四月の護摩供後の法話



私たちは、だれもが自然に幸福を願い、不安や恐れから逃れたいと思い願い祈る。しかし仏教はいつのころからか、学問仏教としては、特に、祈り、つまりご祈祷や祭祀儀礼は仏教にあらずというような観念が浸透している。現世利益を求めるなどというのは仏教ではないという。確かに初期経典の中にもそのようなくだりはあるけれども、はたしてそうなのであろうか。

パーリ長部経典には、「信者から施された食べ物で生活しながら、・・・火の献供、・・・王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術・・・そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている。これもまた、比丘の戒です。」(第4ソーナダンダ経他)とある。しかしこれは、悟りに日々精進する比丘方の戒としての記述であり、そのような人々にとって無益であると言われたに過ぎない。

今日、お釈迦様の時代の仏教を継承されているとされる南方の仏教では、パリッタといわれる護呪経を毎朝比丘方はお唱えになられている。これらの中には、蛇の害から逃れたり、病気が癒やされたり、信者たちの幸福を願って、唱えられた伝統によって今日迄大事にされてきた経典であるという。つまり、悟りへの本分に差し支えのないように、唱え、祈ることは許されていたと考えられるのであって、祈りを否定したわけではないと言えよう。

アングリマーラ経という経典が、パーリ中部経典にある。人や動物を心なく殺し、大人数で武器を手にして取り巻いても退治できなかったアングリマーラを、お釈迦様は一人静かに近づき、説教して改心させて比丘として僧院に生活させていた。ある時アングリマーラが托鉢していると、一人の婦人が難産で苦しんでいた。どうしたらよいかをお釈迦様に問うと、「私は生まれてより故意に生き物の命を奪ったことはない。この事実においてあなたの身体が安らかになりますように」と言いなさいと教えられる。しかしそれでは偽りを言うことになるとアングリマーラが言うと、それでは「聖なる生まれによって生まれてより・・・」と言い換えて言うように教えられ、その通りその婦人の所に行き言うと、その婦人も胎児も楽になったという話が残されている。その人にとって最も難しい厳しい戒を保っているというその事実、その功徳によって願いが叶いますようにと祈る行為を教えて下さっているものと解釈できよう。

さらに、これも初期経典の一つ法句経の第166偈の因縁物語にアッタダッタ、自己の利益を意味する名の比丘の話がある。お釈迦様があと四ヶ月後に入滅するであろうと言われた一言に慌てふためき、多くの比丘方が何をしていいか分からず、香や花を供えて供養してお釈迦様の延命を願う中で、ひとりアッタダッタという比丘は修行に専念していた。周りの比丘たちが単独行動するアッタダッタのことを告げ口すると、お釈迦様は呼びに行かせ理由を聞かれると、アッタダッタは「お釈迦様が生きておいでになる間に最高の悟りを得られるように瞑想に励んでおります」と答える。すると、お釈迦様は、「アッタダッタは立派である、香や花を供えて供養するよりも、最高の悟りを得ることが何より大事であり、そのことは私への無上の供養である」といわれたという。

供養とは、インドの言葉では、プージャーpujaであり、尊敬供養礼拝を意味し、今日でも、インドでは盛んにプージャーが行われ、神様に沢山の香や御供えをし読経がなされる。仏教でも、ブッダ像に香灯明供物がお供えされて読経がなされる。しかし、仏教での供養pujaはその上に修行が何よりの供養であり、お勤めには心を浄める、心を無にして、きれいにするという要素が欠かせないということになろうか。だからこそ、法事などの亡くなった人の供養にも読経がなされるわけだし、今日のお護摩においても皆さんは、火が上がっている間一心に心経を唱え、すべての思い計らい願いを仏様に放下して、おまかせして、心を清浄にされたのではないかと思う。写経をする、四国をひたすら遍路して歩く、それらも当然のこと、持戒して行じることになる。だからこそ願い祈りが通じるのではないか。

最後に、悟りとは何かと言えば、心をきれいにして、さらにこの世の真理を諦める、つまり真実を知ると言うことに尽きる。今の世の中、益々混迷を深めているように見える。自然のことに様々な作意を故意に塗りつけることによって、人々が迷い動揺している。私たちは作意されたものを受け取らず、ただありのままに見ていくことで、その真実相を知り、世間や周りの人たちに翻弄されることのない、落ち着いた生活を心掛けてまいりたいと切に思う。


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懺悔とは

2021年04月06日 14時48分07秒 | 仏教に関する様々なお話
懺悔とは  3月の護摩供後の法話




今年の初護摩では、礼拝について述べました。礼拝に込める万感の思いというような少々重たい話になりましたが、今日はその続きとなる懺悔について話してみたいと思います。懺悔と、さんげと濁らずにいうと仏教の懺悔となりますが、ざんげと発音しますとキリスト教でいう懺悔となります。神の前に自らの罪を告白するというような意味となるわけですが、それと仏教の懺悔がどう違うのかというようなことであります。

山岳修行にいきますと、山に登っていく道すがら、「懺悔懺悔六根清浄」とかけ声をかけ、同行の人らで繰り返し唱えながら歩きます。山岳修行といえば、吉野の大峰山、羽黒山など出羽三山、それに九州福岡の英彦山などが有名な修験道の霊場となりますが、皆同じように山伏の格好をして白装束に地下足袋を履いて山を登っていくわけです。

余談ですが、一昔前まで、大阪の中学校などでは、遠足に大峰山に行き、男子生徒は皆縄を体に巻かれて崖から前のめりに落としては、お父さんお母さんのいうことを聞くか、親孝行するか、悪いことをせんかといわれて、大きな声で返事をしないとずるずる下に落とされて、ちゃんと返事をすると上に上げてもらうというような度胸試しのような修行まがいのことをしていたと聞きます。もちろん今ではそんなことをしている学校はないと思いますが、いい悪いは申しませんが、そういういい時代がありました。

では、この六根とは何のことでしょうか。これはお釈迦様の時代にはおそらくほかの修行者たちにもなじみのある用語であったと思われますが、外界から私たちが取り込む刺激の入り口のことです。目、耳、鼻、舌、皮膚の五官に心を合わせて六根(眼耳鼻舌身意)といいます。外界から入ってくるものを見たり聞いたり味わったりして、私たちはその刺激を受けて様々な欲の心や怒り、愚かしい思いを重ねていくことになるわけで、その入り口である六根を俗世間から切り離して、制御し、清浄なるものにして修行に取り組むことを宣言しながら山修行に望むということなのでしょう。

このように心について懺悔するということが仏教では重要であることがわかるわけですが、私たちが勤行次第の中でお唱えする懺悔文には「無始よりこのかた貪愼痴の煩悩にまつわれて身と口と意とに造るところの諸々のつみとがを皆悉く懺悔し奉る」とあります。貪愼痴に代表される様々な煩悩によって行うこと、身と口と心で行うことすべてがみな懺悔に該当しますよということです。この場合、身体で行うこと、口で行うことについては、懺悔しやすいと申しますか、相手があったりすればやり過ぎた言い過ぎたとか、反撃があったり言い返されされて痛い思い嫌な思いをしたり、一人で行ったことでも記憶に残りやすいので後悔したりということで懺悔はしやすいわけです。

しかし、心の行いは、何もしていません、心で思っただけですというように思う方もあるようです。が、心の中ではどんなことでもできてしまうわけです。誰にもとがめられず痛い思いもせずに、心で思うことは行いやすいのです。それによって憂さを晴らすということもあるかもしれませんが、それがゆえに反省もせずに心の中は汚れっぱなしということになりがちです。欲、怒り、疑い、嫉妬、恨み、辛み、怠け、驕り、慢心など汚れた心にならないように、仏教では心の中で何を思い考えているか、自らの心に気づく、観察する、制御するということが大事なことと教えられているのです。そのために先ほど述べた六根というような教えもあり、細かく観察する仕方を教えているのです。日頃日常を過ごす上ではなかなかしずらい心の観察のために坐禅をしたりということも必要となってまいります。

また、懺悔文には、「無始よりこのかた」とありますように、始まりのない輪廻転生の中にあるがゆえに再生を繰り返しつつきて今に至る、あまたの業による自分を思い、それらすべてについて懺悔するのだというのです。私たちには実際に過去世で何をしてきたのかを知ることはできないわけですが、ただ言えることは今ある自分はそうしたすべての過去の業のもとにあり、それらに影響されつつ今生を生きているということです。されどこうして人間に生まれてきているということは、それだけで少なくとも前世で善い業があったといえます。現在の悪い行いは過去の悪い業を結果させる、善き心善き行いは過去世の善い業が報いて善い結果をもたらすといいます。ですから、私たちは、善いことも悪いこともたくさんの業を積み重ねてきて今あることを思うとき、常に自らの心を善い心にしておくべく心を観察をしつつ過ごすことが大切なこととなります。

改めて懺悔文を唱えるとき、何度も再生を繰り返してきた過去の行いに思いをいたし、それらについて懺悔するとともに、日頃なかなか自らの心を観察し心の過ちに気づくことなく過ごしていることへ反省をこめて、改めて日々心のありように気づくことを決意したいものです。懺悔文は、ただ唱えるのではなく、そうした意味合いをきちんと心に反芻しつつお唱えしたいと思います。


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仏教徒とはいかにあるべきか

2021年03月07日 14時03分40秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教徒とはいかにあるべきか 昨日の法事後の法話に坐禅会での話を加筆



今日はお父さんお母さんの三回忌七回忌を併せて行いました。三回忌は阿弥陀如来、七回忌は阿閦如来が本尊となります。この掛け軸には中央の大日如来の左下に阿弥陀さん、左上に阿閦さんが居られます。回忌毎に本尊様が移っていきますので、こうして掛け軸を掛けていただき法事を営むことになっています。

さて、こうして十三仏の掛け軸を掛けて経を読み法事を営むのは皆さんが仏教徒であるからです。仏壇を構えるお宅は仏教徒のご家族と、例えば外国の方が見ればそう思われます。ですが、皆さんは自分が仏教徒であるという認識はない。でも、海外に行って入国カードなどにある宗教覧になんと書くのかといえば、やはりブッディストと書くのではないかと思うのです。

そこで今日は仏教徒とは何か。いかにあるべきかという話をしたいと思います。まず勤行次第にも初めに合掌礼拝とありますように、私たちは仏様を礼拝しますが、それは仏様がありがたい存在であり敬い帰依すべき対象と見做しているからです。インドの学校などに行きますと、先生に子供たちが挨拶する時、右手で先生の足に触れてその手を額に持っていき合掌し挨拶します。これはインドならどこでも目にする光景ですが、先生の足下にひれ伏して先生を敬い、なにもかにも学ばせていただきますという純真な気持ちを表すものです。

これと同様に帰依礼拝も、三帰と言いますように、仏様という絶対的な心の平安を得られた尊い存在と、私たちがそこに至るために教えられた教えと、ともに同じ仏の道を歩む尊い出家の僧たちという、三宝に帰依しますが、ただ仏様という尊い存在を敬うだけでなくその教えもともに悟りへの道を歩む僧たちにも帰依をするのは、自分たちも仏様のような勝れた智慧を身につけさとり、世の中のためになる立派な人格を育てていきますという気持ちが表れているのです。私たちにはそれぞれ人生の目標や希望があります。それらの先の先に自分も何れはお釈迦様のように最高の悟りが得られるように、お釈迦様のように何度生まれ変わっても沢山の徳を積んで悟る日が来るまで日々向上することを願い誓うのが帰依三宝ということの本当の意味するところだと思います。ですから、仏教徒とは、お釈迦様を人生の理想として悟りを最終目標として生きる人々のことであるということができます。

ではお釈迦様はどんなお方だったのかということですが、幼少の頃からよく物思いにふける方であったと伝えられています。気がつくと木の下に佇み目を閉じて黙想ないし瞑想に入られていたといいます。自分の置かれた立場、世の中の様子、生きるとは何か、なぜ苦しみ多き人生を人々は生きねばならないか、どう生きるべきか、そんなことに心向かい沈思瞑想にふけられていたのではないかと思われるのです。出家された時のいきさつを語る伝説には四門出遊という物語がありますが、ある日東の門から城を出て街を周遊すると老人に出会い、また別の日に南の門から出ると病人に出会い、若さや健康への傲慢な心が消えたと言います。また西の門から出ると死者の葬列に遭い、自分も死によって人生が突然終わることを知り、北の門から出ると出家修行者に出会い、俗世間を捨てて生きる苦しみからの解放を探求する道を歩むことを決意されたということです。

私たちもお釈迦様が抱かれたように様々な悩み苦しみを感じ日々生きています。そうした置かれた場所で日々感じられる生きずらさ、分からずにしていることも多いと思いますが、悩み苦しみのもとを自ら問う、またさまざまなことについてそんなものだよと簡単に受け入れるのでなしにきちんとその意味や考えを問う、疑問に思うことが大切なのだと思います。何で一時間も分からないお経を聞かなくてはいけないのかとか、法事とはそもそもなんなのか、それは自分の人生とどう関わりがあるのか、仏壇とは何かと色々仏事に関してだけでも疑問に感じことが多くあると思うのです。そうしたことを受け流してしまわずに、その時に問う、疑問をひとつ一つクリアしていくことが大切なことだと思います。多くのお経も、お釈迦様をお訪ねした人が疑問や悩みを尋ねられてお答えになった内容となっています。ですから仏教徒は問いを発することを大切にするということですね。

そして、お釈迦様は、当時インドでは神々の世界を当然のことと皆信じ、神々の意向によって世の中の禍福が決まる、だから決められた祭祀を間違わずにすることが大切であると考えられていた時代に、この世の中の真実、真理をはっきりと認識することによって智慧を得られお悟りになられたお方です。ある経典によれば、お悟りになられる晩、座禅瞑想し深い禅定に入られたお釈迦様は、まず自らの過去世に思い巡らされ、何万回もの過去世においてそれぞれに功徳を積みつつ転生してきた自らの命の営みをご覧になられたと言います。それから他の者の命の営みをご覧になると皆それぞれ善悪の業に従って生まれ変わりしていく姿をご覧になられ、それから悪業を造る煩悩を滅する智慧について心を向けると、苦しみと煩悩について如実に知ることとなり、すべての煩悩から心が解脱したということです。つまり、生きるとは何か、どうして苦しむのか、どう生きたらよいか、この世の真実とは何かを悟られてブッダと成られたのでした。私たちも、何か悩みの原因となることの真実がわかると、それまでモヤモヤしていた気持ちが嘘のように晴れたりしますが、真実を諦めることは心が安まり平和になることです。ですから、人に言われたり書籍からの知識で分かったような気になるのではなく、仏教徒は、自ら真実なるものを見いだす、探求する、そして体得するということが大切なのだということだと思います。

それからお釈迦様は悟られてから縁ある人々に向けて法を説かれますが、その説き方を対機説法と言い、法を説く相手に相応しい説き方をされたということです。農夫なら農夫の分かりやすいように、学者ならそれに相応しく、また楽器を演奏する人ならその楽器について説きながら理解が深まるように話をされました。それぞれの個性を重んじ、個々の立場考え方を尊重しながら法を説かれたのでした。ですから仏教は皆と同じようにしていたら良いという発想はありません。皆それぞれの考えを持ち、それぞれのやり方生き方を尊重する立場といえます。ですから仏教徒は、自らの考えを問われ生き方を問われていると言えるのかと思います。誰々が言うからではなく、みんなそうしているからではなく、自らの考えをはっきり述べられることが大切になってきます。そして他の人の個性や考えを尊重することも大切なことです。

最後にお釈迦様が大切に、特に出家の弟子たちに説いた大切な教えに不放逸ということがあります。普段何かをしていても常に私たちはいろいろな刺激によって心が移り変わり、昔のことを思い出しては回想し、物思いにふけり、欲や怒りの心からあのときああしていたらと考えてみたり、自分の都合の良いように未来を想像してみたりいたします。心を煩悩のままに過去未来に放逸に遊ばしているわけです。お釈迦様は常に、いまここにある自分がなしていることに正念正知であれと教えられています。身体でしていること、口で話すこと、心で思うこと考えていることに気づいているということです。八正道という教えの七番目にある正念とはまさにこのことで、気がついたらやっていた、怒りをぶちまけていたとか、欲や怒りにまかせて頭の中で色々妄想していたということではいけないのです。心の中で自分のしていることを言葉で確認しつつ妄想を断ち切る事を心掛け、妄想する心の習慣を止めることが大切です。仏教徒は、そうして落ち着いた心で妄想せずに生活することが大切であると教えられています。

以上仏教徒として大切な五つのポイントについて述べてみましたが、もう一度まとめますと、①お釈迦様を人生の理想とする②自らの疑問や問いをもつ③自ら真実を明らかにしていく④自分や他者の個性考えを尊重する⑤不放逸であれ、ということになるかと思います。これら五つのことを大切に生きることで日々向上する人生を歩み、功徳を積み、そのことがそのまま御先祖の供養にもなるのだと思います。今混迷の世の中にある私たちも、世間の定説や因習に惑わされることなくこの世の真実を探求されたお釈迦様のように、世情言われることの本当のこと、真実を自ら問い、付和雷同せずに、真実を見極め、自らの見方考えを大切にして、ひとつ一つの行いを自ら確認しつつ生きてまいりたいと思います。

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世の中と仏教

2021年02月03日 19時42分45秒 | 仏教に関する様々なお話
世の中と仏教
2008年01月13日 投稿分を再掲します



(ある方からのご質問に対する返事として書いた文章です。この世の中の様々な問題と仏法とはどのように関係し、どのような恩恵があるのかとのご質問でした。多少の改訂をしてあります)

○○様 私も実は、この世の中の成り立ちと仏教がどのように関係し、どのように説明されるものなのかにとても興味があります。現実の私たちの生活の様々な悩みの中に立ち向かい、それらをこともなく救い出す力が仏教にはあるはずです。

大きな歴史の流れの中で今の現実はとても複雑な要素を併せ持ち、それぞれの人がそれぞれの立場と環境の中で歴史と対峙している。歴史などという大それたものを出してこなくとも、誰もが日々の生活に仏教が生かされなくてはいけないと思っています。まさに○○様が抱かれている様々な問題点についても同様かと思います。

そこで、やはり私はお釈迦様が何故に縁起を説かれたかということに立ち返ってみたいと思うのです。何事も因縁によって結果したものであるという、すべてのものに原因ありとする立場です。何事もあるべくしてある。今の心を抱くのにも原因がある。すべてのことは原因があって結果しているということです。

今の日本が不況と言いながら、おおかたの人たちが厳しい生活を強いられながらも他の国々のように飢えずに生活していけているのも先人の努力のお陰でしょう。自殺が多いのは人々が物に振り回され周りの人の心を軽視してきた結果でしょう。役所の官僚たちの横暴で税金を無駄づかい、ないし搾取されるのも経済発展ばかりを尊重し、政治や特に選挙を甘く見てきた国民の不甲斐なさの結果でしょう。

ただ、地球環境の問題や様々な感染症の問題は世情言われている情報が故意に全く別の目的からなされ、そのことをマスコミを通じて世論を作るためになされている啓蒙活動ではないかと思っています。

世の中は誠実で真面目な大多数の人たちとそれを操作し扇動して大衆をある方向に向けさせ管理していこうとする立場のごくわずかの人間がいるようです。ですがそのごくわずかの人間たちの力は計り知れなく大きく私たちは大きくはその流れの中に置かれている。

だからこそガソリンがこんなにも高騰しているとも言えるでしょう。介護の問題も大きな社会問題です。上部の者とのコネによって簡単に有利な介護認定を得る人もあるようです。そういう嫌らしい社会を作ってきた原因がこれまでの社会の歴史に刻まれていることでしょうし、私たち自身の心の中にもそうした心が隠れ潜んでいるのかもしれません。

介護にせよ、結局はそれぞれの人間対人間の接点から起こる問題だと思います。子供たちに目の輝きがないのも自由が失われ、何事も管理する姿勢が優先され、親たちも余裕なく家庭教育を疎かにしてきたからではないでしょうか。

ゲームに携帯、パソコン、便利な道具はそれら機械に人間が使われるようになり人々の生きている実感を大人からも子供からも失わせてしまいました。しかしこの流れはそう簡単には修正が効かないような気がします。私たち自身がこうして通信し合っている現実もありますし。

大きくはすべてをこの縁起の教えという枠の中で真摯にその成り立ちを静かに受け入れるしかないのではないでしょうか。今の時代に生まれあわしたのを嘆いても仕方ありません。今の時代に生まれ出てきたのも私たち自身の業だとも言えます。

ですが、もちろんだからといって現状をあるべき姿だと思っているわけではありません。今の世の中に蔓延する拝金主義、雇用制度のあこぎなまでの労働者搾取、政府の国民生活をないがしろにしてまでも国民の財産をみな他へ横流しするような政策、たとえ目的を限定したとしても軍隊を海外に派遣するなどに賛成するものではありません。そのことをすべてしっかりと克明に知悉しながらなお、そのことを大きく捉え、その成り立ちを冷静に見つめなければならないと思うのです。

人生とは苦しみであると言われたのもお釈迦様です。苦しい、イヤな世の中だ、不安だと思いを重ねていくのにも原因が必ずあるはずです、根本的には欲や執着が誰にでもあります。そのことにまずはきちんと気づく必要があるようです。そして、これが今の現実であると、きちんと受け入れて、執着を生み欲を作り出す思考を遮断していくことが大切なのではないでしょうか。

なおかつ、自らは慈悲の心に住して、すべての生きとし生けるものたちに幸せを願いつつ、人々と接し、機会を見つけてはその人たちにそれぞれに応じて教え導くという姿勢を持つことしか残る道はないように思えます。

そうして心安らかに死を迎える、死ぬ瞬間には世の中がどうのと言っても仕方ないわけですし、ただ静かに心穏やかに死を迎える。そうして沢山の功徳、よい体験を得られたことなどを思い出されながらそのときを迎える。

そうすれば、必ず来世はよいところに転生するはずです。何も心配することはないのではないでしょうか、感謝と慈悲の心で死を迎えるということこそが私たちに安らぎをもたらし間違いのない死後を用意してくださるはずだと思います。

○○様の思っていたお答えとは似て非なるものかもしれませんが、今の私にはこの程度のことしか申し上げることが出来ません。どうか、インドでの体験によってすばらしい知識や知恵をお持ちであることを大切になさり、多くの周りの人たちをお導き下さいますことを念願いたします。

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礼拝に込める思い

2021年01月22日 09時54分58秒 | 仏教に関する様々なお話
礼拝に込める思い(昨日の薬師護摩供での法話に加筆訂正しました)




今年も初大師初護摩の日を迎え、早朝からたくさんの皆様お参りをいただきありがとうございます。世界は混迷を深めておりますが、私たちの日常はそれぞれに置かれたところでしっかり生きていかねばなりません。そこで今日は仏教徒にとって最も大事でもあり、また基本となる礼拝の意味するところについて考えてみたいと思います。今護摩行の初めと最後に、「オンサラバタタギャタハンナマンナキャロミ」と唱え礼拝しました。これは正しくはサンスクリット語では、「オーン・サルワ・タターギャタ・パダ・バンダナン・カローミ」となり、すべての如来方の御足を頂戴し礼拝します、という意味となります。

インドの学校などに参りますと、子供たちが先生に挨拶する時、右手で先生の足を触りその手を自分の額に持っていき、それから合掌し、ナマスカールとニコニコして挨拶する光景をよく目にします。これはまさに身を低くして先生を敬い、自分を無にしてすべて先生の教えに従いますということを表す伝統的なしぐさとなっています。学校の先生ですから、様々な社会通念慣習も含め各教科の学びも頭を真っ白にして先生から一から学ぶ姿勢を表すのです。

私たちが仏様を礼拝する時もこれと同様に、身を低くして身も心も真っ白に清らかにして、すべて教えに従いますという気持ちで礼拝することが望ましいのです。そして学ぶべきは教えであり、決して当時のインドの人々が神を礼拝するような私たちの世界とは隔絶した超越的な存在としてただその恩恵を求める姿勢ではなく、私たちも仏様の所へ一歩でも近づいていくのだという思いで、人生を生きる目標として最高の存在である、つまり学び行ずる理想としての仏様を敬い礼拝するのだとの思いを持つことが大切なことであろうと思います。

お釈迦様という方は釈迦族の王子として産まれ、幼少の頃から物思いにふけることが多かったと言われています。出家時の四門出遊の伝説に語られるように、生きるとは何か、なぜ苦しみがあるのか、なぜ苦しみ多き命を生きるのかとずっと問い続けられました。そして、ヤショーダラ妃が、王子の役目として大事な跡継ぎを生んだのを確認して出家されました。苦行の末に禅定に入り、当時はすべては神の意向であり、定められた祭祀をその通り行う事こそが禍福を左右すると考えられていた世間の中で、神との合一、梵我一如ではなく、すべての真実、この世の真理を悟ることによって、あらゆる苦しみからの解放を成し遂げられたのでした。だからこそお釈迦様は尊いのです。

ある経典によれば、お釈迦様はお悟りに成られた晩に、はじめに深い禅定に入られて、自らの過去世について思い巡らされ、その何万回とも言われる過去世での、それぞれの名前から家族仕事行いの数々を回想されていき、功徳を積みつつ転生してきた自らの命の営みについてご覧になられました。それから、他の者たちの生存についてご覧になられ、様々な者たちがそれぞれの行いの善悪の業によって生まれ変わりしていく姿をご覧になられました。そうして、煩悩を滅する智慧について心を向けると、苦しみと煩悩について如実に知られ、欲と生存、無明のすべての煩悩から心が解脱したとされています。そして、生きるとは何か、なぜ苦しんでいるのか、いかに生きるべきかと教えられたのです。

ところで、昔、チベット仏教の瞑想会で、ラマ僧から仏教は問いから始まると教わりました。多くの経典はお釈迦様のところに訪ねてきた人が自らの心の煩悶を問うことから成立していると。ですから、自ら何が問題なのか、どうすべきかとの自分自身の心から発する問いがあって初めて私たちは教えを学ぶスタートに立つことが出来るということになるのです。お釈迦様が幼少の時から持ち続けられた問い。同じように私たちの心の中にある悩み苦しみを自ら認識し、どうあるべきかと問うことから学びは始まります。それを経典に求めることもありましょうし、人からの言葉にヒントを得たり、何か作業をしていてふと思いいたることもあります。さらには、生まれ変わり生まれ変わりしてきた私たちの業について考えることも必要かもしれません。それらさまざまなところから学びが得られることと思います。

そうして日々を過ごしながら、私たちはどう生きるべきか、どうあるべきかといえば、それは徳を積むということに集約されるのです。日常の中で、周囲の人々に挨拶をする、にこやかに話をする、各々がよくあるように行い過ごす、お寺にお参りをする、こうして護摩に参加する、法話に耳を傾ける、座禅会に参加する、それらは自分のためと思われがちですが、それらも皆自分のためであり、またすべての生きとし生けるもののためになされている善行為と捉えることが出来ます。みんなが善くありますようにと思いなされる清らかな行い学びは、自分にとっては徳を積むことであり、それはそのまますべての生きとし生けるもののためになります。言い換えますとそうして生きることは、たとえそれが牛歩のごとくであったとしても、かつてお釈迦様が過去世で生きられた歩みを私たちも生きることになります。

ですから、國分寺では座禅会をし、お話し会を開き、護摩供を修しています。皆様と共に仏道を歩み、共に私たちもお釈迦様のようなに何度生まれ変わっても真実を見いだして、最高の清らかな心になれるように努力する歩みの中にあるべきと考えます。このお護摩の火も、仏教以外の教えではただの現世利益を求めるものとされますが、私たちはそこに最高の悟りを実現するための行と捉えて祈願するのです。自分のことばかりか多くの縁者の名前でご祈願を皆さん書かれていますが、各々添え護摩木に書かれた願いを遙かに超えたその方の最高の幸せを願うものとしてあります。ですから、それは甚大な功徳ある行為となるのです。

最後に、対機説法という言葉を聞いたことがあると思いますが、みんな同じではない、それぞれの人の心に応じた教えが仏教にはあります。ですから、みんなと同じようにしていたら良いという発想は仏教にはありません。個々の問題意識から思いを重ね、解決していく、そこに各々に応じた教えがあると考えます。だからこそこれだと自ら教えの確かさを確認し真実を見いだしていくことも出来ます。今の時代特に仏教徒は何が真実か、この世の有り様について自ら問い、そして、いかにあるべきかと問い続ける役割を担っていると考えられます。お釈迦様を私たちの人生の最高の理想として生きる、何度生まれ変わっても真実を求め、問い続けることによって最高の幸せである真理を求めていくことを誓い、そうした万感の思いを込めて礼拝したいと思うのです。


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聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか

2020年11月11日 17時46分36秒 | 仏教に関する様々なお話
聖武天皇はなぜ國分寺を建立されたか




①聖武天皇は藤原氏によって誕生した

天平十三年(741)に「國分僧寺尼寺建立の詔」を発せられる聖武天皇は、後に天皇の外戚として日本政治の中枢で大きな権力を恣にする藤原氏に育てられた最初の天皇である。藤原氏が歴史の舞台に登場するのは大化の改新と私たちが習った事件からである。今では乙巳の変といわれるようになり、外国の使節団の前で天皇も臨席する中で当時の総理大臣の地位にあった蘇我入鹿を後の天智天皇となる中大兄皇子と藤原氏となる中臣鎌足の二人が惨殺し、政権を転覆させるクーデターであったとされる。後に鎌足の子不比等が編纂の中心を担った日本書紀によって二人は英雄として描かれた。

聖武天皇は文武天皇の子ではあるが、母親は藤原不比等の娘宮子であり、生まれてからずっと不比等邸で育てられたという。そして、皇族でない、臣下の娘を母とする初めての天皇となるのだが、そのために、のちに元正天皇となる氷高内親王を養母として控えさせ、元正天皇として皇位につけたあと養母から子聖武へと皇位を継承するという手の込んだ長期にわたる策が練られていた。さらに他にも候補がある中で、みな若くして亡くなったり、皇位に就けないような措置が執られた。父文武天皇が早く亡くなった後、中継ぎに女帝が二人も帝位につき何としても首皇子を帝位につけるという執念すら感じられるものでもあつた。だからこそ聖武天皇は何度も詔の中で「徳の薄い身であるのに」「私は徳に恵まれないが」という言葉を発せられ、それがゆえに災害や凶作、伝染病などを神経質なまでに怖れたといわれる。

②長屋王の変を契機に天武天皇を理想とする

聖武天皇は大宝律令が制定された年に生まれ、その同じ年に生まれた、不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ、光明子)が十六歳の時に嫁ぎ、聖武天皇は二十四歳で即位する。そして、まず母宮子に大夫人という称号を特別に与えるべく藤原氏は動く。この時には武智麻呂、房前ら不比等の息子たちが議政官となっていた。彼らはその後、光明子をさらに皇后につけるにあたり、天武天皇の孫にあたり右大臣であった政権トップの長屋王がいたのでは具合が悪いと考えたのか、長屋王を天武の曾孫にあたる聖武天皇を呪詛したとの嫌疑をかけ尋問すると、長屋王は邸の周りを軍勢に取り巻かれ自害する。

その後光明子は臣下の娘としては初めて皇后となり、不比等の息子ら四人は議政官となるが、それまでは一豪族から複数人議政官になることは避けられていたという。そして、長屋王の死から六年した頃、大陸から天然痘が流行し、瞬く間に九州から都に至り、長屋王を尋問した新田部親王と舎人親王が感染し死す。すると、翌年光明皇后は一切経の書写を開始し、二年後には諸国の丈六の釈迦像脇侍の造立が命じられる。しかしその年、議政官だった藤原四兄弟が四月七月八月に何れも天然痘で死去すると、長屋王の祟りではないかと市中騒然となり、それを最も怖れたのが、聖武光明の二人であったと考えられる。

藤原の天皇としてあった聖武天皇が、その後母宮子と生後初めて対面するなどして、曾祖父天武天皇が国難に際して仏教に祈願したことを範とし、天皇という称号で初めて尊称され日本国の国号も正式に成立させた天武天皇の政治を理想とする姿勢に転換していく。諸国で護国経典の金光明最勝王経を転読させ、長屋王の子息を従四位下に昇叙、三年後には諸国に七重塔を中心とする寺院建立を命じた。これらはすでに後の國分寺制を見据えた施策と考えることが出来る。

藤原四兄弟なきあと橘諸兄真備を首班とする政権が誕生するが、疎外された藤原広嗣が左遷された九州で乱を起こす。すると、聖武天皇は、征討軍を派遣し、自らは平城京を出て東国へ行幸。その道程は大海人皇子後の天武が壬申の乱を起こす行路と一致する。そして、その年の末には恭仁京(山背国相楽郡・現在の京都府木津川市加茂地区)に遷都、その翌年に國分寺の詔が宣ぜられる。

③華厳思想により理想国家建設を目指す

さらに聖武天皇は東大寺良弁より華厳経の講説を受け、河内智識寺で毘盧遮那仏を拝する。そして、事々無碍法界重々無尽という教えを学ばれる。それは、仏の世界を千葉に開く蓮華に喩え、毘盧遮那仏は千の華蔵世界の中心に位置し、その千葉の蓮華には千体の釈迦仏があってそれぞれの世界で法を説く、それぞれの蓮華世界はひとつ一つ別々の世界でありながら、互いに相関し重々無尽にその関係性は続いている。個々の蓮華世界は全体の縮図であり、そのひとつ一つに変化ある時は全体すべてに変化が及ぶとする。

それぞれの釈迦如来により諸国が浄められ争いなく、多くの民が幸福になり豊かになることは国全体がよくなることであり、日本国全体がよくあることは一国、一個人がよくなることであるとの考えから、都に毘盧遮那大仏を造立し、諸国に國分寺釈迦如来が祀られた。毘盧遮那如来の顕現は無数の釈迦如来の出現を意味し、それによって、無数世界の浄化救済がなされ、時処を超えて三世十方を貫く絶対理想を実現せんとするものであった。

そうして徳の高い行為をすることで、これまでの天皇同様によくこの国を治め、国穏やかで無事に民が楽しく、災害のない凶作のない疫病のない世にでき、また長屋王の死を弔うことにもなるとお考えになられたのであろう。その後平城京に還都して大仏造立を進め、聖武天皇は娘阿倍内親王に譲位して、僧行基を戒師に天皇として初めて出家する。そして沙弥勝満として常に南面すべき方が未完成の大仏を前に北面し、自らを三宝の奴と称したという。身も心も仏に心酔し、そうして自らの念願、鎮護国家と万民の豊楽を叶えんとなされた。天平勝宝四年(752)四月九日大仏開眼供養はインド僧菩提僊那を開眼師に僧千人文武百官一万人が参加する盛大な国際色豊かな催しとなった。そのとき、聖武太上天皇の御心はいかなるものであったであろう。感無量の喜びとともに、正に赤心からの祈りが聞こえてくるようである。

④仏教という最先端の文化を知らしめる

さらにその当時の仏教の価値、当時の人々にとっての意味が今とはかなり違うことも一言述べておかねばならないだろう。仏教は千五百年前に百済からもたらされた。物部氏蘇我氏による諍いの後、聖徳太子により、四方の極宗であるとして仏教は国の教えとなる。四方の極宗とは今の言葉で言うとグローバルスタンダードということだという。中国も朝鮮もどの国も仏教によって高度な文化国家として発展している。であるから当然日本にも仏教は必要であるとするのである。

インドから中央アジアを経由してシルクロードを通って仏教がもたらされるにあたり、各地の先進文化技術を吸収しながら伝えられた仏教をそれらと共に輸入することになる。つまり仏教は当時の建築技術、彫刻、金属加工、紙墨筆の製法、衣服の製造、歌舞音曲に至る先進的な総合的文化技術思想芸術を含むものであった。よって、寺院は最先端の文化の象徴であり、結果的に諸国國分寺は中央集権国家・奈良の都の権威を示すものでもあったと考えられる。

参考文献 講談社学術文庫「日本の歴史04平城京と木簡の世紀」


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弥陀の浄土と薬師如来

2020年10月19日 07時02分14秒 | 仏教に関する様々なお話
先日、地元の退職教職員組合の皆様がご参詣になられた。十年あまり前にもお越しになり、その時にはお寺の歴史について総代さんがお話になり、私は仏教について話させてもらったことを記憶している。今回は総代さんもお越しになっていないので、私が國分寺の歴史と堂内の仏様方について一時間余り話をさせてもらった。

國分寺の話では、なぜ聖武天皇は大仏と國分寺を造ったのかというポイントに重点を置いて話し、堂内諸尊について話し始めるにあたり、丁度その日の朝日新聞朝刊に、宇治の平等院鳳凰堂の開創時の扉絵から弥陀の「九品来迎図」が見つかったとの記事があり、それをコピーして配布し、来迎の印・説法の印・禅定の印をそれぞれ見ていただいて、下品下生から上品上生までの九品浄土について話をした。そして、実は本堂の内陣には阿弥陀浄土から亡くなった信者を迎えに来られた「来迎二十五菩薩像」が祀られているので、関連して、本尊は薬師如来なのになぜ弥陀世界の来迎の菩薩が祀られているのかについて、山城の浄瑠璃寺を参詣した折にヒントを得た、その伽藍配置と当山本堂の構造についての話をさせてもらった。

それから本尊薬師如来とは、実はお釈迦様の別名で、そのお姿は薬壺を左手に乗せているか否かであり、本堂前の扁額「醫王閣」にある医王とは元々お釈迦様の事であったこと。またお釈迦様の教えのすべてが包摂されると言われる四聖諦という教えの説き方が正に当時の医者の診断処方そのものであった。さらに誰がお訪ねしてもお釈迦様に出会うだけで、実際に心の苦しみ悩みわだかまりがスッとなくなってしまった霊験からではないかと思うと申し上げた。

では、その四聖諦とはどのような教えかと言えば、これは四つの聖なる真理との意味で、内容は苦・集・滅・道の四つであり、①苦の聖なる真理とは、苦があるという真理であり、この世の苦しみ多い現実に気づくということ、幸福に感じられてもすぐに色あせ、完璧なことの出来ない私たちは常に不安や不満を感じつつあること。②集の聖なる真理とは、苦には因があるという真理であり、その原因は自分がある、自分がよくありたい、よく思われたいという欲の心にあるということ。③滅の聖なる真理とは、苦が滅した境地があるという真理で、苦しみのない理想の状態、それが悟りということになるが、それをこそ求めるべきだということ。④道の聖なる真理とは、苦の滅に至る実践があるという真理で、悟りに至るにはどうすればよいのか、八つの具体的実践の仕方を教えている。

このように説いたとき、二つ目の苦の原因として、自分がよくありたい、よく思われたいという心があるから苦があると話していると、やや不審な顔をなされる方があった。煩悩と言い換えてもいいわけだが、煩悩があるから苦があるというのは自明のことと思っていたが、そう思えないということであろうか。推量するに、これまで、自分ということを忘れて、みんなのため、子供たちのために生きてきたと思われている方には、それが故に苦労してきた、頑張って努力してこれたと思われているのかもしれないと思えた。しかし、そこに自分という思いはなかったのだろうか。自分という思いがあったればこそ、大変だった、何とか出来た、頑張ってきた、みんなのためになれたという思いもあるのではないだろうか。

これはこのとき皆さんにはお話していないが、昔サラリーマンとして働いていた会社の社長は、学徒出陣で戦地に趣く船中で爆撃に遭い、船は木っ端みじんとなり、百数十人もの兵とともに海に投げ出された経験をもつ方だった。南洋のフカの出没する海域だったため、ふんどしを長く垂らし、流木に捕まり、喉が渇いても余計に乾きをかき立てる海水を飲むことも叶わず、食べる物もなく漂ったという。元気を駆り立てるため軍歌を歌ったり、仲間の名前を呼ぶ人たちもあったというが、かえって体力を奪うので、社長は只静かに体力を温存することだけを考えたという。剛毅を装い歌を歌っていたような人から、チャポン、チャポンと海に沈んでいったという。そうした状況で、他の人を助けよう、自分の命をなげうって他の者を救おうとすること自体が、命取りになる。

そうした生きるか死ぬかの極限の中では、ただ一人一人が己自身によって生き延びることだけが唯一残された道であったに違いない。その時、自分が、自分こそ、よくありたい、助かりたい、称賛されたいなどという心が残っていたなら体力を消耗し海底に沈むしかなかったのではないか。そんな思いも、計らう心も何もなくなって、最後にはそれこそ仏様にすべて運命をお預けするというような心境にいたったのではないか。結局三日目の昼過ぎにやってきた味方の船に救助されたのはたったの三人だけだったという。そういう状況について思い巡らすとき、普通に生きる、日常生活を送る私たちが、自分という思いがまったくなく生きるというのはそう簡単なことではないのではないかと思われる。

誰もが進化の過程で学んできたがゆえに、何かしなくては、忘れていることはないか、すべきことをしていないのではないか、したことも十分なものだったであろうかと、いつも追いかけられるようにして、不安の中に私たちは生きている。そうして、苦を感じつつ生きているのだということをまずは自覚する必要があるだろう。その原因はといえば、自分という思いがあり、少なくとも周り同様にやっている、よくやっていると思われたい、自分もそうありたいと思う心がある。でも本当はそんな追い立てられるような苦を感じることもなく、他と比較することもせずにいつも楽に生きたい、満たされた心で過ごしたい、何があっても困ることなく、すぐにすべきことが解り、迷うことも無いというように。そうした泰然自若とした心を得られるためにはどうしたらよいのか。それを説くのが仏教(八正道など)の教えであろう。

ところで、九品来迎図の解説をする際、なぜ平安中期に浄土教が流行したのかという話もした。それは平等院が創建された年が正にわが国では末法に入る年だとされたからだ。末法とは、正法像法末法の三時説による説き方で、教(教え)・行(修行)・証(悟り)のある正法時、これは釈迦入滅後五百年とも千年ともいわれる。そして教・行のみの像法時、これはその後千年。そして、それ以後の末法には教えのみ残っているが、それによって修行する者もなく、悟りを得る者もないという。今年は、末法に入ったとされる永承七年(1052)から数えて、968年目となる。末法は一万年も続くとされるから、末法も終わり教えを聞くこともなくなるとされる法滅となるのはまだまだ先のことのようではあるが、いつまでも正しい教えを伝えていきたいものだと思う。


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