新潮新書ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』(本年4月20日刊)を読んだ。東日本大震災後に何度か日本を訪問され講演された内容の収録だが、それは単なるお悔やみや励ましではなく、ただただシンプルな仏教論であった。平易な表現ながら素直に納得できる。おっしゃりたいことは、仏教の基本を学べということであろう。
読みながら傍線を引いた重要箇所を抜き書きする。ダライラマ法王が言いたかったことは、繰り返しになるが、「日本人よ、仏教を学べ、さすれば怖れることは悲しむことはないではないか、ただ奮起せよ、努力せよ、よきことをなせ、自ずから救われよう、ということであろう。
『日本人は、日々仏教に慣れ親しんでいると思います。でも、その割に、仏教が何であるか、どんな教えかを知らない人が多い。
せっかく仏教と縁があったのに、とてももったいないことです。
宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです。
自分の宗教だけが正しいと信じたり、他の宗教をバカにしたりすることも、まったく無意味なことです。
宗教を持たないと、精神を高めたり平和を願ったりという精神活動が疎かになりがちです。また、生きていくための指標や基準も見失いがち。そのままだととても貧しく寂しい人間になってしまうでしょう。
たとえば、宇宙はどうして生まれたのか、意識とはどのようなものか、生命とは何か、時間はどのように流れているかなど、仏教と科学には共通したテーマがとても多いのです。しかも、それらは現代の科学をもってしても、説き明かされてはいません。
瞑想ばかりして勉強を疎かにしている僧侶が多い。また、日本ではよく禅を組む修行が行われていますが、ただ座っているだけの人が多い。知識のないまま瞑想をしても意味はなく、悟りに近づくことすらできません。きちんとした勉強と瞑想があわさって初めて価値があるのです。
仏像も僧侶もあなたを救ってくれるわけではありません。あなた自身が自分の心と向き合わなくてはならない。自分の苦悩を取り除いて心の平和を得るには、自分で仏教の教えを学び、実践し、煩悩を減らす以外に方法はありません。
仏教では、死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるものと考えています。これを仏教では輪廻と呼びます。意識はこうして前世から現世へ、そして現世から来世へ、連続して持続していくと考えられています。意識は何かから生み出されたわけでも、突然消失するわけでもなく、始まりも終わりもなく、常に存在し引き継がれるものなのです。
仏教が一神教であれば、科学とこのように融合することは出来ないでしょう。唯一絶対の神がこの世界を作ったという教義があり、それを疑うことは許されないからです。それは論理を超越した観念なのです。
論理と検証の結果、仏教が導き出したのが因果の法則です。
自分自身の存在も含め、この世界のあらゆる事象が、はるか昔から続く連続性の中にあり、因果の法則によって関係し合っているのです。
因果の法則には三つのルールがあります。
第一のルールは、因がないところに果は生じない。
第二のルールは、不変から果は生じない。
第三のルールは、因には果を生み出す素質がある。
果は同じ性質の因によって引き起こされます。よい因はよい果を引き起こし、悪い因は悪い果を引き起こします。
行為の影響、行為の持っていた力というのは、そのまま自分にも残り続けるのです。これを仏教ではカルマ・業と言います。その行為にこめられた力、はたらき、性質、そういったものを指して使うのです。
カルマは、いずれ自分の身に必ず結果を生み出します。
結局自分に起こることは、過去の自分がした行為の結果ということです。これを因果応報と言います。
因果に影響を与える条件や要素のことを縁といい、因と縁がそろったときに初めて結果が生じることを縁起といいます。
しくみのありようは複雑でも、因果やカルマの原理原則は変わりません。
一度してしまった行為は、決して取り消すことはできません。同じように一度背負ってしまったカルマが、勝手に消えることはありません。その人に深く根付き、積み重なっていきます。そして来るべきときに同じ性質の結果を生み出す力となるのです。要素や状況が整いさえすれば、必ず結果が生じます。
因果の法則やカルマの影響は、死後も変わることがありません。輪廻はこれを反映した考え方なのです。
私たちは日々生きていく中で、多かれ少なかれ悪い行いをしてしまうものです。そうやってたまった悪いカルマは、一体どうすればいいのでしょうか。その答えは、少しでもよい行いをしてよいカルマの力を増やすようにするしかありません。よいカルマが増えれば、それによってよい出来事が引き起こされ、悪い出来事が起こる条件を遠ざけるようになります。
(震災・津波・原発事故など)強大でめったに発生しない出来事は、個人のカルマで引き起こされるレベルではなく、社会全体としてのカルマ、世界共通のカルマのレベルの出来事です。
はるか何世代も前から積み重なっていたものでもあります。そう考えれば人類全体の因果応報といえます。たとえば、自然を破壊し、コントロールしようとしたことが影響しているのかもしれないし、物質的に豊かな生活を求めすぎたことが影響しているのかもしれない。
(先の戦争から)こうして復活を遂げた日本の皆さんですから、今回も同じように復興を遂げ、さらによい国づくりをなさる力がある、そう私は信じています。日本人は大変勤勉な国民性と強い精神力を持っているのです。
この事実に悲しんだり、怒ったりし続けるのではなく、この苦難を必ず乗り越えようという意志に変えていって下さい。』
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読みながら傍線を引いた重要箇所を抜き書きする。ダライラマ法王が言いたかったことは、繰り返しになるが、「日本人よ、仏教を学べ、さすれば怖れることは悲しむことはないではないか、ただ奮起せよ、努力せよ、よきことをなせ、自ずから救われよう、ということであろう。
『日本人は、日々仏教に慣れ親しんでいると思います。でも、その割に、仏教が何であるか、どんな教えかを知らない人が多い。
せっかく仏教と縁があったのに、とてももったいないことです。
宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めることなのです。
自分の宗教だけが正しいと信じたり、他の宗教をバカにしたりすることも、まったく無意味なことです。
宗教を持たないと、精神を高めたり平和を願ったりという精神活動が疎かになりがちです。また、生きていくための指標や基準も見失いがち。そのままだととても貧しく寂しい人間になってしまうでしょう。
たとえば、宇宙はどうして生まれたのか、意識とはどのようなものか、生命とは何か、時間はどのように流れているかなど、仏教と科学には共通したテーマがとても多いのです。しかも、それらは現代の科学をもってしても、説き明かされてはいません。
瞑想ばかりして勉強を疎かにしている僧侶が多い。また、日本ではよく禅を組む修行が行われていますが、ただ座っているだけの人が多い。知識のないまま瞑想をしても意味はなく、悟りに近づくことすらできません。きちんとした勉強と瞑想があわさって初めて価値があるのです。
仏像も僧侶もあなたを救ってくれるわけではありません。あなた自身が自分の心と向き合わなくてはならない。自分の苦悩を取り除いて心の平和を得るには、自分で仏教の教えを学び、実践し、煩悩を減らす以外に方法はありません。
仏教では、死後も意識は消失せず、他の生命の意識として生まれ変わるものと考えています。これを仏教では輪廻と呼びます。意識はこうして前世から現世へ、そして現世から来世へ、連続して持続していくと考えられています。意識は何かから生み出されたわけでも、突然消失するわけでもなく、始まりも終わりもなく、常に存在し引き継がれるものなのです。
仏教が一神教であれば、科学とこのように融合することは出来ないでしょう。唯一絶対の神がこの世界を作ったという教義があり、それを疑うことは許されないからです。それは論理を超越した観念なのです。
論理と検証の結果、仏教が導き出したのが因果の法則です。
自分自身の存在も含め、この世界のあらゆる事象が、はるか昔から続く連続性の中にあり、因果の法則によって関係し合っているのです。
因果の法則には三つのルールがあります。
第一のルールは、因がないところに果は生じない。
第二のルールは、不変から果は生じない。
第三のルールは、因には果を生み出す素質がある。
果は同じ性質の因によって引き起こされます。よい因はよい果を引き起こし、悪い因は悪い果を引き起こします。
行為の影響、行為の持っていた力というのは、そのまま自分にも残り続けるのです。これを仏教ではカルマ・業と言います。その行為にこめられた力、はたらき、性質、そういったものを指して使うのです。
カルマは、いずれ自分の身に必ず結果を生み出します。
結局自分に起こることは、過去の自分がした行為の結果ということです。これを因果応報と言います。
因果に影響を与える条件や要素のことを縁といい、因と縁がそろったときに初めて結果が生じることを縁起といいます。
しくみのありようは複雑でも、因果やカルマの原理原則は変わりません。
一度してしまった行為は、決して取り消すことはできません。同じように一度背負ってしまったカルマが、勝手に消えることはありません。その人に深く根付き、積み重なっていきます。そして来るべきときに同じ性質の結果を生み出す力となるのです。要素や状況が整いさえすれば、必ず結果が生じます。
因果の法則やカルマの影響は、死後も変わることがありません。輪廻はこれを反映した考え方なのです。
私たちは日々生きていく中で、多かれ少なかれ悪い行いをしてしまうものです。そうやってたまった悪いカルマは、一体どうすればいいのでしょうか。その答えは、少しでもよい行いをしてよいカルマの力を増やすようにするしかありません。よいカルマが増えれば、それによってよい出来事が引き起こされ、悪い出来事が起こる条件を遠ざけるようになります。
(震災・津波・原発事故など)強大でめったに発生しない出来事は、個人のカルマで引き起こされるレベルではなく、社会全体としてのカルマ、世界共通のカルマのレベルの出来事です。
はるか何世代も前から積み重なっていたものでもあります。そう考えれば人類全体の因果応報といえます。たとえば、自然を破壊し、コントロールしようとしたことが影響しているのかもしれないし、物質的に豊かな生活を求めすぎたことが影響しているのかもしれない。
(先の戦争から)こうして復活を遂げた日本の皆さんですから、今回も同じように復興を遂げ、さらによい国づくりをなさる力がある、そう私は信じています。日本人は大変勤勉な国民性と強い精神力を持っているのです。
この事実に悲しんだり、怒ったりし続けるのではなく、この苦難を必ず乗り越えようという意志に変えていって下さい。』
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