住職のひとりごと

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世界の平和を願うなら

2022年04月06日 17時25分56秒 | 時事問題
世界の平和を願うなら



先月末、敬愛する先生から小冊子が送られてきた。『鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い 日本を救ったブッダの言葉』と表紙にある。2020年9月1日初版の第2刷で、発行者は東方学院研究会員後藤一敏氏である。

後藤氏は令和元年の東方学院会報「東方だより」に、前理事長の前田專學先生が中村元先生の世界平和の願いとして一文認められ、そこに紹介されていたJ.R.ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑について強い関心をもたれて、早速現地高徳院を訪ねられた。しかし、そこに碑がひっそりと立っているだけで、参拝者の多くがその存在にすら気づきもしなかったのだという。そこで、世界が自国中心主義を前面に出して、覇権争いの様相になり、弱者や他国移民には厳しい社会になっている状況なればこそ、温かな心、慈しみの心が、人々の幸せになる道であることを知って欲しいとの思いからこの冊子を発行されたと、あとがきに「編集の経過」として述べておられる。

第2刷は今年の2月のことではあるけれども、2年前に発行された時には想像だにもしなかった現在の世界の様相に、改めてこの顕彰碑の意義を広く知らしめんとお考えになられて、こちらにもご送付くださったのであろう。先生に葉書で御礼申し上げたように、この度の土砂加持法会の際に参加された檀信徒の皆様にはこの冊子と内容について触れ、現在の世界情勢についての私見を述べさせていただいた。

はたして、いま世界中から敵視され戦争犯罪者とまで言われているロシアではあるが、この冊子にも述べられているように、80年前には私たち自身が同じように世界中から非難されていたことを忘れてはなるまい。軍国主義、無法なる侵略者と罵られ、GHQによる占領後も軍国日本の台頭を恐れ日本軍の侵略による被害と恐怖が忘れられない人々が少なからず世界には存在していた。四か国による分割統治案が提示されるなど日本の自由な独立に異を唱える人々もあった。日本の独立を認める講和条約案がまとめられてはいたが、一部の国の反対がある状況の中で、1951年9月6日、サンフランシスコにおいて平和条約締結調印会議が開かれ、そこでセイロン政府を代表して演台に上られた大蔵大臣J.R.Jayewardene氏が述べられた演説によって日本は救われることになる。

J.R.ジャヤワルダナ氏の演説は、平和条約草案の承認に参集した51か国の代表に対し、セイロン政府を代表し、さらにアジアの人たちの日本の将来についての一般的な感じ方を声を大にして述べ得るものと前置きして、領土の制限、賠償のこと、その後の日本の防衛についてまで配慮されたうえで、すべてが合意されたものではないが、日本が自由な独立した国家であらねば、南方や東南アジアの人々の経済や社会的な立場の向上はなされず、他国との友好条約も結ぶことができないと主張された。

そして「…なぜアジアの人々は、日本が自由であるのを熱望するのか? それは我々が日本と長い年月に亘る関係があるためであり、それは、被支配諸国であったアジア諸国の中で日本が唯一強く自由であった時、そのアジア諸国民が、日本を保護者として、また友人として仰いでいた時に抱いた日本への尊敬の念からです。思い起こせば、さる大戦中に、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンが人々の共感を得、自国が解放されるとの望みでビルマ、インド及びインドネシアの指導者の中には日本に呼応した人たちもいたのです。」

「…我が国の重要産業品である生ゴムの大量採取による損害に対して我国は、当然賠償を求める権利を有するのです。しかし、我々はその権利を行使するつもりはありません。なぜならアジアで何百万人もの人達の命を価値あるものにさせた大教導師の憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止むとの言葉を信じるからです。この言葉はブッダ大教導師ー仏教創設者ーの言葉で、人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、泰国、インドネシア、及びセイロンに拡げ、また同時に北方へ、ヒマラヤを越えてチベットから支那を経て最後に日本に及んだものです。

その波は我々を何百年もの間にわたって共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのです。この共通の教養は、現在も脈々と存在していることを私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄った時に見出したのです。日本の指導者、国務大臣、一般の人達、そして寺院の僧侶など、日本の庶民は現在も大教導師の平和の教えに影響されており、その教えに従いたいという希望に満ちている印象を感じたのです。我々はその機会を日本人に与えなければならない。」

最後に「この条約は敗北したものに対するものとしては寛容な内容でありますが、日本に対して友情の手を差し伸べましょう。…日本人と我々が共に手を携えて人類の生命の威厳を存分に満たし、平和と繁栄のうちに前進することを祈念する次第であります。」と述べ演説を終えると賞賛の拍手が鳴りやまず、議場は一転し講和条約締結へと動き出したのだという。

「当時、日本国民はこの演説に大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出したのです。」と、このジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑を1991年4月に建立した顕彰碑建立委員会を代表して中村元東方学院長が碑背面の顕彰碑誌に記している。

この冊子の発行者である後藤氏が、あとがきに「世界が自国中心主義を前面に出して、覇権争いの様相になり、弱者や他国移民には厳しい社会になってい」ると2年前に記された状況を加速するかのように見える、現在の世界情勢の中にあって、私たちは今どのような観点からこの世界を見たらよいであろうか。

この4月3日に配信された東洋経済のネットコラムに国際ジャーナリスト高橋浩祐氏が「ウクライナ戦争アメリカが原因をつくった説の真相」と題する投稿をされている。そこで高橋氏は、シカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマー教授による、今回のウクライナ戦争の原因をつくったのは西側諸国とくにアメリカだと主張する説を紹介している。それによれば、今回のアメリカ、イギリスなど西側諸国で、日本も同様だが、広く受け入れられている通念は、この危機で責任があるのはプーチン氏であり、ロシアだというものだが、悪い輩と良い輩がいて、私たち西側は良い輩、ロシア人が悪い輩という見方はまったく間違っているといわれる。

そして3つの柱からなる戦略で西側諸国がロシアをウクライナ軍事侵攻にまで追い込んだとミアシャイマー教授は非難している。一つは、NATOの東方拡大。もともと東側の軍事同盟のメンバーだったポーランド、チェコ、ハンガリー、さらにはバルト三国、ルーマニアなどが1991年のソ連崩壊後1999年、2004年と2度にわたり、クリントン政権時にNATOに加盟し、ドイツ統一後の同盟不拡大の東西合意を一方的に反故にした。さらに2008年のNATO首脳会談にてウクライナとジョージアまで将来的なNATO加盟に合意している。その後その年にロシアはジョージアに軍事侵攻し、2014年にクリミア半島に侵攻し併合して現在に至っている。

二つ目は、EUの拡大。EUは経済的政治的連合体ではあるが、西欧型のリベラル民主主義の基盤となるものであり、そこへかつてのロシアの友邦国が統合されるかのように加盟し、ウクライナは今年の2月28日、ジョージア、モルドバが3月3日に加盟申請をしたのだという。結果としてロシアを刺激したことは想像に難くないといわれる。

三つ目は、カラー革命だというが、これは2000年以降ユーゴスラビア、セルビア、グルジア、キルギスなどで旧ソ連下の共産主義国家で、独裁体制の打倒を目指して起きた民主化運動のことだという。特にウクライナでは、2014年アメリカの支援を受けたクーデターによって、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が騒乱の中解任され、親米派のリーダーが後釜に据えられたが、ロシアはこれを容認せず、違法な政権転覆と非難し、これがクリミア侵攻につながったとみている。これら三つの点からアメリカ側がロシアを追い詰め戦争に導いたとしている。最後に、この度の戦争の背景には、民主主義対独裁体制、ないし西欧リベラル民主主義と強権的な権威主義の対立があると指摘している。

このような見方もあるということなのだが、自らの領域を超えて影響を及ぼし他国を恣に操作し勢力を拡大せんとする覇権意識が80年前と同様に東西ともに存在するということであろう。そして、そうした構造によって利益を得る人々が存在する。新聞テレビの報道だけを見ていては知りえない背景、忘れられた歴史、報道されない真実があるということもわきまえておきたい。私たちの目にする報道は西側の主張したいことを見せられていると思わなければならない。それが真実であると確かめることはできない。報道によって私たちに何を信じ込ませたいのか、どういう印象を残したいのかと見ることが必要であろうと思う。私たち自身がそうした報道広報によって敵視され印象づけられた時代があったことを忘れてはならない。

ジャヤワルダナ氏が引用されたお釈迦様の言葉は、法句経の第五偈である。正確には、「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」であるが、ではどうしたら怨みは息むのか。そのひとつ前の第四偈には、「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。」(岩波文庫・ブッダの真理の言葉・中村元訳)とある。誰もが、かれもわれもない、ともに小さな地球の住人であることを知らねばならないということではないか。敵も味方もない、人を傷つけることは自分を傷つけていることと同じなのだから。


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