1586年、帰国の船にリスボンで印刷機や活字や器具類を積みこんだときに、印刷用の洋紙も積み込んでいます。長い航海に備えて樽(たる)に入っていたようです。
そして1590年、日本に着きました。
当然グーテンベルク直系の印刷機にその舶載してきた洋紙で印刷を開始したものと誰しもが思います。
ところが、あにはからんや、キリシタン版でいままで見つかっているものは、洋紙ではなく「和紙」に印刷されております。
日本の和紙は楮(こうぞ)の樹皮を原料にした楮紙(ちょし)、雁皮(がんぴ)を原料にした雁皮紙(斐紙ともいう)、それと三椏(みつまた)を原料に使った椏紙(あし)とがありますが、当時は椏紙はあまりありませんでしたので、キリシタン版の場合、楮斐紙が用紙として使われています。
和紙は湿気を嫌いますし、金属活字でジカ刷りをすれば、シワも寄りやすいし、かならずしも印刷適性があったとは思えません。それに、ドラードたちはリスボンで洋紙を使う印刷を習ったはずです。
なぜ、和紙を選んだのか、不思議とは思いませんか。日本に来た宣教師たちはみんな「鳥の子紙」を愛好したといいますから、入手しやすい和紙を推薦したのでしょうか。それとも、前にご紹介しましたが、帰国途中、マカオで印刷した「遣欧使節対話録」は現地調達の竹葉紙に印刷されていますから、あるいは航海途中に樽紙を海に投げ込むような事態があってマカオ滞在中から、既に手元に洋紙はなかったのかもしれません。
とすると、加津佐で印刷にかかる前から、和紙の印刷適性を調べたり、和紙をどこから調達するかというような問題がドラードたちを悩ませたはずです。
そして1590年、日本に着きました。
当然グーテンベルク直系の印刷機にその舶載してきた洋紙で印刷を開始したものと誰しもが思います。
ところが、あにはからんや、キリシタン版でいままで見つかっているものは、洋紙ではなく「和紙」に印刷されております。
日本の和紙は楮(こうぞ)の樹皮を原料にした楮紙(ちょし)、雁皮(がんぴ)を原料にした雁皮紙(斐紙ともいう)、それと三椏(みつまた)を原料に使った椏紙(あし)とがありますが、当時は椏紙はあまりありませんでしたので、キリシタン版の場合、楮斐紙が用紙として使われています。
和紙は湿気を嫌いますし、金属活字でジカ刷りをすれば、シワも寄りやすいし、かならずしも印刷適性があったとは思えません。それに、ドラードたちはリスボンで洋紙を使う印刷を習ったはずです。
なぜ、和紙を選んだのか、不思議とは思いませんか。日本に来た宣教師たちはみんな「鳥の子紙」を愛好したといいますから、入手しやすい和紙を推薦したのでしょうか。それとも、前にご紹介しましたが、帰国途中、マカオで印刷した「遣欧使節対話録」は現地調達の竹葉紙に印刷されていますから、あるいは航海途中に樽紙を海に投げ込むような事態があってマカオ滞在中から、既に手元に洋紙はなかったのかもしれません。
とすると、加津佐で印刷にかかる前から、和紙の印刷適性を調べたり、和紙をどこから調達するかというような問題がドラードたちを悩ませたはずです。