活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

なぜ、和紙に飛びついたのか

2009-07-05 17:29:50 | 活版印刷のふるさと紀行
 1586年、帰国の船にリスボンで印刷機や活字や器具類を積みこんだときに、印刷用の洋紙も積み込んでいます。長い航海に備えて樽(たる)に入っていたようです。

 そして1590年、日本に着きました。
 当然グーテンベルク直系の印刷機にその舶載してきた洋紙で印刷を開始したものと誰しもが思います。
 ところが、あにはからんや、キリシタン版でいままで見つかっているものは、洋紙ではなく「和紙」に印刷されております。

 日本の和紙は楮(こうぞ)の樹皮を原料にした楮紙(ちょし)、雁皮(がんぴ)を原料にした雁皮紙(斐紙ともいう)、それと三椏(みつまた)を原料に使った椏紙(あし)とがありますが、当時は椏紙はあまりありませんでしたので、キリシタン版の場合、楮斐紙が用紙として使われています。

 和紙は湿気を嫌いますし、金属活字でジカ刷りをすれば、シワも寄りやすいし、かならずしも印刷適性があったとは思えません。それに、ドラードたちはリスボンで洋紙を使う印刷を習ったはずです。
 なぜ、和紙を選んだのか、不思議とは思いませんか。日本に来た宣教師たちはみんな「鳥の子紙」を愛好したといいますから、入手しやすい和紙を推薦したのでしょうか。それとも、前にご紹介しましたが、帰国途中、マカオで印刷した「遣欧使節対話録」は現地調達の竹葉紙に印刷されていますから、あるいは航海途中に樽紙を海に投げ込むような事態があってマカオ滞在中から、既に手元に洋紙はなかったのかもしれません。
 
 とすると、加津佐で印刷にかかる前から、和紙の印刷適性を調べたり、和紙をどこから調達するかというような問題がドラードたちを悩ませたはずです。




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キリシタン版と『逝きし世の面影』

2009-07-05 10:39:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 ちょっと前 渡辺京二さんの『江戸という幻景』を興味ぶかく読みました。
 和辻哲郎文化賞受賞の『逝きし世の面影』以来、渡辺さんファンである私にとって、この本でも登場人物の誰彼を通じて江戸時代という逝きし世を眼前にすることができました。同じ著者の『日本近世の起源』でも日本の近代について目を開かれた気がしたものです。


 渡辺さんは雑誌『選択』の2006年4月号から今日まで既に40回も『追想 バテレンの世紀』を連載されています。私にとって毎月、手にするのが待ち遠しい読み物の一つですし、完結したらぜひ、単行本にしてほしいと思います。

 膨大な史料・資料を読みこなし、まるで日本の中世社会を目の前にするような筆致で読者を引きずりこんで行き、「そうか」、「そうか」と納得させてしまうあたり、敬服を通り越して尊敬してしまいます。


 なぜ、渡辺さんをひっぱりだしたかといいますと、渡辺さんの百分の一でも、自分に勉強量と想像力があったらなと思っているからです。私にはキリシタン版の生まれた「逝きし世」がなかなか見えてきません。島原の加津佐に据え付けられたグーテンベルク直系の印刷機がどのようにしてキリシタン版を生み出していったのか、まだ、想像でしか描きだせないのが、もどかしくてたまりません。

 ところで、この2~3回、活字鋳造について考えてみました。1字1字の版下起しから、父型彫刻、母型づくり、鉛流しこみの活字作成まで、1本の金属活字を鋳込むのにも大きく分けて三工程もありました。その活字を原稿に沿って拾って、組んで版に仕上げ、次の印刷工程へ。

 そこで、登場するのが「紙」です。キリシタン版の紙はどこで、だれの手で漉かれ、ドラードたちの工房にいつ運ばれてきたのか。ここにも謎があるのです。

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