活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

大鳥の錫造活字

2011-05-08 09:33:25 | 活版印刷のふるさと紀行
大鳥圭介の金属活字の開発はおもしろいやり方でスタートしました。
いかにも兵学研究者らしく、最初は小銃の弾を溶かして四角に鋳込んで
その片一方に文字を彫って活字を作ったというのです。
 そして植字をしてバレンで印刷したのですが、2.3回で文字が磨滅
したり、つぶれたりして使い物にならないことがわかりました。

 彼は、緒方洪庵や坪井忠益の門下生として蘭学を学んでいますから、
蘭書を読み漁って錫と鉛だけではなく、アンチモニーを加えることを知
り、改良に改良をくわえるのです。いずれにしても「大鳥の錫造活字」
といわれますから錫の量が本木活字などより多かったようです。

 出来あがった活字は明朝体ふうの漢字とカタカナで16ポ、11ポく
らいで、この活字をつかって最初に印刷、出版されたのが、『築城典刑』
(全5冊・1860年)と『砲科新論』(1861年)の2冊です。こ
の2冊とも縄武館から出ていますが、その後、同じ活字を使って刊行さ
れた兵学書は幕府の陸軍所から出ています。

 おもしろいのは、『大鳥圭介伝』に≪我邦に於ける活字の開祖とし云
えば、世人皆長崎の平野富二を推すも、此は西洋の器械を初て輸入して
製作市たるものにして、余が在来の錺屋(かざりや)に命じて、鉄砲玉
を作るが如くにして作りたるとはその難易同日の論にあらず。而して余
の製作は平野に先つこと数年なれば、日本に於ける活字の開祖は恐らく
かく申す大鳥ならんと云いしことありしとぞ≫とあることです。
平野の親分、本木は無視されています。

 この大鳥圭介、明治維新後の活躍は目覚ましいものがあります。
 工部大学校の校長、工部技監、学習院院長、駐清国特命全権公使、朝
鮮公使、枢密顧問官、男爵という具合です。
コメント
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