活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

フランス生まれの字母の謎

2011-05-12 13:02:12 | 活版印刷のふるさと紀行
清水卯三郎は自身で「印刷」に関係していなかったのに、どうして
パリで平仮名の字母をつくらせて持ち帰ったのでしょうか。
 それも日本を発つときに、活字の版下を用意して行ったといいます
から計画的だったわけです。

 清水に頼まれていろは四十八文字の版下を書いた人はわかっています。
≪瑞穂屋卯三郎氏仏国の博覧会より脚踏機械及び平仮名の活字を買求め
て帰朝したるか、其の字母は小説の版下に有名なりし宮城玄魚といふ者
に書かせて持ち行きしなり≫     (岸田吟香『明治事物起源』)

 では、フランスから持ち帰った字母をどうしたのかという疑問にぶつ
かります。
 この字母からパンチ母型をおこして、活字をつくり、明治五年発行
の『東京仮名書き新聞』を印刷したという説があったり、字母どまりで
活字はつくられていない説もあります。

 いずれにしろ、いまのところ清水の字母からの活字や使用例は発見さ
れていないのが事実です。然し、清水は帰朝後、積極的に輸入印刷機
を使った新聞発行に協力したり、出版にもてを出しています。自分が
印刷人ではなかったので思うに任せない部分があったでしょうし、彼が
目先のきく商人としての感覚で「印刷」に向かい合ったのではないでし
ょうか。

 ここからは私の想像ですが、清水卯三郎は幕府から金を引き出して、
博覧会で外人受けする出品物の選択で、福澤諭吉や中浜万次郎、前島
密らに相談したと思います。恐らく、その中で「これからは活版印刷
だ、金属活字だ」というような意見が出て、彼に字母づくりの知恵を
授けた人がいたと。多分、中浜万次郎だと私は想像しております。





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