活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

醤油のはなし

2014-06-11 09:51:25 | 活版印刷のふるさと紀行

話は少し長くなります。ご勘弁を願います。醤油に関しての思い出が私にはあります。郷里の愛知県から大学進学で上京したばかりのころ、場所は学生食堂でした。「そこのタマリを取ってくれないか」食卓の醤油ビンを指して友人になにげなくいいました。

「おう、これか」「タマリというからには、君は出身が西の方だね」信州の生まれだという友人はさっそく醤油とタマリの違いについて論じてくれました。生れ落ちるから醤油とはいわずにタマリで過ごしてきた私にとってちょっとしたカルチュアショックでした。しかし、いまではタマリは死語に近く、たまに律儀な料理店で刺身のとき「このタマリ醤油を」とことばをそえてくれるくらいで、私も使いません。

実は前回書きました佐原については予備知識はなにもなかったのですが、出かける前の晩に佐原の老舗醤油店を舞台にした刑事もののテレビを見ました。野田や銚子と同じ千葉だから佐原も醤油が名産だろうとは思いましたが、それっきりでした。

そして、佐原でボランティアガイドの案内で「水郷佐原の小江戸めぐり」をしたのですが、そこで老舗醤油店にめぐりあったのです。佐原の町中を流れて利根川に注ぐのが小野川、その小野川沿いに何百年も続く老舗が格子造りの古い佇まいを残して軒を連ねているのです。醤油店もその中の一軒、1832年(寛政12)創業で店の前は小野川、ここで舟から原料の大豆や小麦が荷揚げされて醸造所へ運ばれて醤油に。

そして出来上がった醤油はふたたび小野川から利根川へ。大きな船に積み替えられて江戸や京、大坂へと運ばれていったといいます。おそらく江戸時代はここに醸造所はもちろん倉庫や蔵が立ち並んでいて、多くの人が立ち働いていたのでしょう。店の前の川へおりる石段をみながら180年前からを想像するのもたのしいひとときでした。

 この「正上」さんは現在は佃煮の製造販売が主とききましたが、佃煮売り場の一角で「生しょうゆ」を求めて来ました。今は佐原ではなく銚子で作られたものですが、熱処理されていませんから伝統の味がするでしょう。そういえば、私は大分の醤油愛好家です。

蛇足ですがタマリは大豆で味噌をつくるときに桶の上にタマル液体なのです。

 

 

 

 

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