今朝、NHKテレビの連ドラ「花子とアン」を見ていたら、出版社の新雑誌創刊企画会議に 印刷会社の担当営業が表紙案を携えて参加している場面がありました。設定では編集長が呼んだことになっていましたが、こんなこと、とても当時ではあり得なかっただろうなと思いました。
日本の場合、印刷発注者である出版社は印刷会社を下請けと見て、渡した原稿をキチンと印刷さえしてくれればいいという接し方が普通で、その時代が戦前・戦後と長く続きました。出版社ではなく、カタログとかカレンダー・ポスターなどの商業印刷物のクライアントがデザインや企画から印刷会社に相談するようになったのは1950年代の終わりでした。
そこで大手の印刷会社に広告代理店の組織に似たクリェイティブ部門ができはじめました。ところが印刷物の出来を握っている工場の整版や印刷部門とクリェイティブ部門とはさほど密接に機能できませんでした。それでは駄目だというので印刷会社にプリンテイング・ディレクターという職種が生まれたのが1960年代の半ばでした。私が知っている大日本印刷では資生堂の中村誠さんの制作現場で中野慶一さんがプリンティング・ディレクターとして活躍し始めたのが確か1966年でした。
プリンティング・ディレクターは写真やデザイン、タイポグラフィーはもちろん、製本や紙、印刷インクにまで精通していなくてはなりません。いわば、印刷の超マエストロでなくてはいけません。こんなことがありました。A出版社がある有名女優さんで画期的なモノクロ・ヌード写真集を企画しました。在京の大手印刷各社はもちろん、京都からも印刷会社が参加、各社プリンティング・ディレクターと敏腕営業マンが組んでぷれぜんをしたのですが、使用する印刷用紙と印刷インクでずば抜けた提案をしたPDを擁した京都の会社に発注がきまりました。
なんだか回り道をしてしまいましたが、プリンティング・ディレクターがデザイナーやカメラマンと組んで「オフセット印刷」でどこまでグラフィック表現の限界に挑戦できるかという『グラフィックトライアル2014』がいま、印刷博物館で開催されております。浅葉克己さんとPD長谷川太二郎さん、水野学さんとPD田中一也さん、長嶋りかこさんとPD富永志津さん、南雲暁彦さんとPD野口啓一さん、この4組の方のトライアルは必見です。
PDという名の職種が印刷業界でもクリェーター社会でももっと存在価値が重視されねばならないと思います。