活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

富岡製糸場がヒキガネで

2014-06-22 11:17:24 | 活版印刷のふるさと紀行

 蠶と繭  この2文字が読めますか。ハイ!ご正解! 「かいこ」と「まゆ」です。

 群馬県の富岡製糸場がユネスコの世界遺産登録に決まったニュースで私自身いろいろなことを思い出しました。蚕(かいこ)、いまはこの字ですが、蚕だ繭だといってもイメージが湧かない若い人が多いのではないでしょうか。

 私の子どものころは小学校の理科で蚕を育て、繭をつくらせ観察する教材がありました。何年生だったか忘れましたが、桑(くわ)の葉を採ってきて、蚕に食べさせ、蚕が意外に大きな音を立てて桑の葉をかじるのにびっくりした記憶があります。やがて繭をつくりはじめると、それを観察してスケッチを添えてノートに記録してゆくのでした。

 いなかの祖父の家にはもう使ってはいませんでしたが中二階が蚕室になっていましたし、ちょっと郊外へ行けば桑畑があちこちにあり、熟した実を口にして赤くなった舌を競い合ったことも何度もあります。ことごとさように蚕も繭も身近でした。

 そして、学生時代、私はもっと蚕糸にかかわりを持つようになりました。毎日、夕方、アルバイト先の新聞社に出かけて、その日の横浜と神戸の生糸相場を電話で受けて記事にすることをしていました。当時は生糸商社の符牒までそらんじていましたが、今は忘れました。その新聞社で『蚕糸年鑑』という分厚い年鑑の編集を手伝ったこともありましたし、農林省蚕糸局だとか蚕糸とか蚕種とか乾繭だとかいう名前のついた協会にお使いに行かされたことをおぼえております。

 製糸や製糸場は直接知りませんが、いわば、その前段階の蚕や繭とつきあいが深かったといえます。さらに、いうならば、私がお世話になった新聞社は今回の富岡製糸場の片倉工業の京橋の片倉ビルにありました。実は家内ともそこで出会いました。どうやら蠶や繭は私の個人遺産に登録してもいいかも知れません。

 

 


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