活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

ふるさとへ廻る六部は

2014-08-15 17:58:03 | 活版印刷のふるさと紀行

 盆休みも終わりふるさとからの帰途につく客で新幹線も乗車率が100パーセントをこえる列車が多いとTVが駅頭の中継画像を映すのを見入っているとつい、いろいろなことを考えてしまいます。

 私自身も「ふるさと」ということばに暖かい響きとそこはかとない懐かしさを覚えます。私のふるさとは愛知県の岡崎市ですがいまでも目をつむると町の中央を流れる菅生川(すごうがわ)や幼いころ遊びまわった六所神社界隈を容易に思いだすことができますし、当時のままの顔で友人、知人の顔が出てきます。

 ことごとさように「ふるさと」は甘酸っぱい懐かしい存在ですが、焼夷弾で焼けてくすぶっている中を歩き回った苦い記憶も浮かばないでもありません。

 乗車率を100パーセントにした帰省客の多くのみなさんがひさしぶりにご両親と会い、懐かしい山や川や海に抱かれてホッとされてこられたことはなによりだと思います。私はすでに両親は送っております。

ところで、「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」という有名な古川柳があります。なんでも「六部」とはりくぶともいい、全国66箇所の霊場に自分が書き写した法華経を納めに行く巡礼というか、行者さんのことをいったらしいのです。背中に法華経を入れた箱状の笈を背負い、杖をついて歩く姿は鎌倉時代の文書にも出て来ます。

 年老いた行者さんがつい、ほかの霊場は後回しにしても自分のふるさとから先にまわりたがるのは気の弱りからだろうといったいささか自虐的な心境吐露の句と見ます。そういえば藤沢周平さんのエッセイに『ふるさとへ廻る六部は』というのがありました。彼は山形のふるさとをこよなく愛してやまない人でした。今夜は藤沢さんを偲んで、「だだちゃ豆」か「小茄子の漬物」で一杯やりますか。

 

 

 

 

 

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