不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

一大プロジェクトだったキリスト版の印刷

2009-06-29 10:37:32 | 活版印刷のふるさと紀行
 これはアマンという人が描いた1568年ごろ活字をつくっている工場の有名な絵です。活字工の前に薪を燃やす竈(かまど)があり、浅い鍋で地金を熔かしています。
ドラードたちのときもやり方はそんなに変わっていなかったでしょう。

 ふつう活字の地金は鉛80パーセントにアンチモン18パーセントと錫2パーセントを加えたものですが、活字の大小で配合率が変わります。母型を傷めない程度の熱で熔け、母型の字面の隅々や細い線にも入り込むようにするためには、勘を頼りのドラードの時代は大変でした。配合方法の大変さ以外にもアンチモンや錫を集めるのもさぞかし、荷が重かったことでしょう。

 私は、活字鋳造・印刷工房・父型づくりのための版下工房は別々の場所にあったと思います。父型のための版下は加津佐のコレジヨで養方軒パウロや息子のヴィセンテ法印などの監督の下に学生はもとより明国人なども加えて書き進められたのではと想像します。鋳造と印刷現場には技術指導役の外人修道士が配され、その下で近隣の信者やコレジヨヤセミナリオの生徒も働いていました。

 『サントス』の表紙の絵の下に「肥前国高来郡イエズスのコンパニアのコレジヨ、加津佐においてスピリオレスのお許しのもと版となすものである。御出世以151591年とあります。 
 日本文字を使うキリシタン版の印刷は、かなり、おおがかりで、手間暇のかかる一大プロジェクトであったはずです。 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 当初から決まっていた『どち... | トップ | 絵にみる当時の活字鋳造器 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

活版印刷のふるさと紀行」カテゴリの最新記事