活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

南蛮船のガレオンとナウ

2016-02-20 10:04:02 | 活版印刷のふるさと紀行

 私が「たばこと塩の博物館」で出会った思いがけない展示物というのは南蛮船の模型でした。

 フランシスコ会の修道士ヘロニモ・デ・ヘススが病床の徳川家康にたばこやたばこの種を贈ったのが1601年と記録されていますし、日本への渡来は別にしてもスペインやポルトガルの「南蛮船」が」たばこの流通をになった関係から「たばこと塩の博物館」に「南蛮船」が展示されているのは何の不思議もありません。

 模型はスペインのガレオン船でした。大航海時代から19世紀の鉄製の蒸気船の出現まで大活躍したのがガレオン船で、日本でも徳川家康の命でウィリアム・アダムスが遭難したフィリピン総督帰国用に造ったのがガレオン船でしたし、伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節の乗り組んだのも仙台製のガレオン船でした。

 しかし、私は個人的にはガレオンよりも先輩格のナウ船に親しみを持っています。これはキャラック船とかカラック船とも呼ばれていますが、天正少年使節が1582年にローマめざして旅立ったのも、1590年活版印刷機をリスボンから積み込んで日本に向かったのもナウ船でした。長い航海中、彼らの喜怒哀楽がナウ船のなかでどのように繰り広げられたのかを想像するのが執筆時の楽しみでした。

 ヴァスコ・ダ・ガーマのインド航路開拓もコロンブスの新大陸発見もビクトリア号の世界一周も日本に宣教師や南蛮文化をもたらしたのもナウ船でした。ところで、いま、はやりのクイズの設問を思いつきました。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は「喫煙者」だったでしょうか?。おそらく、三人ともNOでしょう。




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