夢の続きを見ることができますか?
一度目覚めて、でもどうしても夢の続きが気になって、もう一回布団にもぐり込む。
そういう時、私はけっこうな確率で、さっきの続きの場面に戻ることが出来るんです。
これって当たり前なんですかね?
今見ているのが夢だと分かっている時もあれば、なんの疑いもなく現実として体験している時もあります。
「学校行かなきゃ!」と飛び起きたことも何度あることか。
その度に「な~んだ夢か…」とちょっと損した気分になったりして。
今回のお話の主人公、クリストファーも、幼い時からとっても不思議な夢を見ていました。
岩場を抜けて谷に下りて行くと、谷ごとに違う世界があって、様々な人々、かわった動物、不思議な生き物達が暮らしているのです。
そしてさらに不可解なことに、目覚めると、なぜか夢の世界でもらった玩具がベットの上に乗っていて、あたりは泥や砂だらけ、パジャマも破けていたりして、まるで本当に夢の世界で冒険をしてきたみたい。
仲の悪い両親にかまってもらえず、メイドと家庭教師しか話し相手のいないクリストファーは、やがて夢の世界の谷間を「あいだんとこ」、無数の谷間の先にある世界を「どこかな世界」と名付け、夜ごと訪れるようになります。
それが自分の持つ魔法の力だとも気付かずに。
さあ、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「大魔法使いクレストマンシー」シリーズもいよいよ四冊目♪
今回はクレストマンシーことクリストファー・チャントの若き日の冒険と、彼がクレストマンシーになるきっかけを描いた、
『クリストファーの魔法の旅』をご紹介します☆
このシリーズの特徴ともいえるのがパラレルワールドの存在です。
可能性の数だけ枝分かれした世界が存在し、自分そっくりの人物が、やっぱり可能性の数だけ存在する。
そんな世界を自由に行き来できるとしたら?
しかも、本当はどの世界でも魔法は当たり前で、たまたまわたし達の住んでいるこの世界だけが魔法が発展しなかった世界にすぎないとしたら?
クリストファーの暮らす第十二系列の世界Aでは魔法が便利に発達しています。(ちなみにわたし達の暮らす”この”世界は同じ系列の世界B、ということになっていて、ひとつの系列にはたいてい九つの世界があります☆)
お父さんもお母さんも魔法使いらしいのですが(クリストファーはめったに会えないので確かめようがないのです)、起きている時のクリストファーは魔法が使えません。
そのために今回も数々の危険や困難にさらされるのですが、なぜ使えないかはシリーズの『魔女と暮らせば』を読んだ読者には理由が分かっているので、読んでいて思わずニヤリとさせられます☆
ふとしたことで、クリストファーが「どこかな世界」に行けることを知った、これまた大魔法使い(ほんと、魔法使いだらけの家系なんです)の伯父が、クリストファーの能力を利用しようと考えたことから、クリストファーの身の上に次々と災難が降りかかります。
そしてその騒動は、いろいろな系列の世界を巻き込んみ、ついにはクレストマンシー城を悪の軍隊が取り囲む事態に。
老クレストマンシー、ド・ウィットの魂は「どこかな世界」に追いやられ、ほとんどの魔法使いの力が奪われた絶体絶命の中、新たなクレストマンシーに指名されるクリストファー。
たよりになるのは、違う世界からやって来た少女小説大好きの女神様と、二重スパイの犯罪者。
それと七つの足と三つの頭を持つ赤毛のネコ。
知恵をしぼって、いたずらごころ全開で、靴みがきの少年から、コックに庭師という顔ぶれで、敵を迎え撃つ覚悟のクリストファー。
はたしてクリストファーはこの危機をどうやって乗り切るつもりなのか?
枝分かれ世界の壮大さと、魔法のコミカルな描写。
物語全体を駆け回る猫に人魚にドラゴンと、見どころいっぱい、読みどころ満載♪
シリーズものを読む楽しさも、もちろん押さえてあって、クリストファーの通う寄宿学校の同級生や、友達になる違う世界の女神様など、「そうか、こういうことなんだ~☆」と妙に嬉しく、楽しくさせてくれる仕掛けがどっさり。
この本だけでも楽しめますが、シリーズを通して読むのがやっぱりおすすめです♪
今回は紹介しきれませんでしたが、この他にも、外伝『魔法がいっぱい』が出版されています。
続編もまだまだ発表されるとのことなので、これからがまだ目が離せないこのシリーズ。
魔法でお困りの方、どうぞ一言唱えて下さい。
いかなる場所、いかなる世界に居ようと、きっと彼は現れることでしょう。
そう、「クレストマンシー」と☆
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著
田中 薫子 訳
徳間書店
求めよ、
そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、
そうすれば見いだすであろう。
門を叩け、
そうすれば開けてもらえるであろう。
―ルカによる福音書 一一章九節―
そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、
そうすれば見いだすであろう。
門を叩け、
そうすれば開けてもらえるであろう。
―ルカによる福音書 一一章九節―