世の中には「工具」と呼ばれている物があります。
スパナとか、レンチとか、モンキーとか、”やっとこ”とか、プライヤーとか。
やっとこ?
ま、とりあえず、あるんだそうです、世の中には。
よくは知りませんが。
工場で働いていますが、文系ですから。
機械なんてバラしたいと思ったことは一度もありません。
動かなくなったらそれが寿命だと思って手を合わせて生きてきました。
TVもラジオも、後ろの”ふた”を開けたことすら、数える程です。
機械っていうのは、なぜ動くのかが重要ではなく、何ができるのかが重要なんです。
それが文系人間というものです。
ちゃんと動いてくれている機械をわざわざバラバラにして、中の仕組みを見てみたいなんていう欲望は、まったく意味がわかりません。
その用途に合わせて働いてくれている機械たちに対して、他に何を望むというのでしょう?
もし自分の子どもが盲腸になったとして、あなたは自分で手術をしようと思いますか?
機械をしばしば擬人化してしまうのは私が文系だからです。
今日、職場で機械をバラして修理するよう言われました。
スパナは必要なんだろうな…
このはさむ道具も持っていっとこうかな…
簡単簡単、教えてやるから。と気軽に言っていた上司はまったく現場に来る気配なし。
もう、一人で相手をするしかない。
まず、部品を取り外そうと、ナットを回そうとするのだけれど…これが回らない。
そもそも非力なんです。
文系ですから。(そろそろどこかから非難がきそう…)
でも実際、世の中には向き不向きというものがあるんです!
とにかく、仕事をしていてこんなに悲しい気持になったのは初めてでした。
まるで知らない世界でたった一人、荒野の真ん中に立っているような心境でした。
仕事の途中で勝手に悲しみにひたったり、比喩を使って感情を表現したりするのも私が―*(注意)*「自主規制」*(注意)*―だからです。
ま、結局他の文系じゃない同僚に助けてもらって、なんとか機械の修理は完了しました。
ナットが回らなかったのは、非力だからじゃなくて(それもあるにはあるんですが)、工具の使い方がなってなかったから。
ちょっとしたコツで工具って様々な使い方ができるものなんですね。
ま、基本はテコの原理ですが。
自分が修理工とか、技術者に向いていないとつくづく思い知りました。
今度から、機械がこわれたら修理屋さんに依頼します。
スパナとか、レンチとか、モンキーとか、”やっとこ”とか、プライヤーとか。
やっとこ?
ま、とりあえず、あるんだそうです、世の中には。
よくは知りませんが。
工場で働いていますが、文系ですから。
機械なんてバラしたいと思ったことは一度もありません。
動かなくなったらそれが寿命だと思って手を合わせて生きてきました。
TVもラジオも、後ろの”ふた”を開けたことすら、数える程です。
機械っていうのは、なぜ動くのかが重要ではなく、何ができるのかが重要なんです。
それが文系人間というものです。
ちゃんと動いてくれている機械をわざわざバラバラにして、中の仕組みを見てみたいなんていう欲望は、まったく意味がわかりません。
その用途に合わせて働いてくれている機械たちに対して、他に何を望むというのでしょう?
もし自分の子どもが盲腸になったとして、あなたは自分で手術をしようと思いますか?
機械をしばしば擬人化してしまうのは私が文系だからです。
今日、職場で機械をバラして修理するよう言われました。
スパナは必要なんだろうな…
このはさむ道具も持っていっとこうかな…
簡単簡単、教えてやるから。と気軽に言っていた上司はまったく現場に来る気配なし。
もう、一人で相手をするしかない。
まず、部品を取り外そうと、ナットを回そうとするのだけれど…これが回らない。
そもそも非力なんです。
文系ですから。(そろそろどこかから非難がきそう…)
でも実際、世の中には向き不向きというものがあるんです!
とにかく、仕事をしていてこんなに悲しい気持になったのは初めてでした。
まるで知らない世界でたった一人、荒野の真ん中に立っているような心境でした。
仕事の途中で勝手に悲しみにひたったり、比喩を使って感情を表現したりするのも私が―*(注意)*「自主規制」*(注意)*―だからです。
ま、結局他の文系じゃない同僚に助けてもらって、なんとか機械の修理は完了しました。
ナットが回らなかったのは、非力だからじゃなくて(それもあるにはあるんですが)、工具の使い方がなってなかったから。
ちょっとしたコツで工具って様々な使い方ができるものなんですね。
ま、基本はテコの原理ですが。
自分が修理工とか、技術者に向いていないとつくづく思い知りました。
今度から、機械がこわれたら修理屋さんに依頼します。